生命力が強ければ、性格はよい方向に!
質問 自分の性格がいやです。変えたいのですが「性格は運命なり」という言葉がある。だれもが自分の性格に悩む。悩むからこそ進歩がある。その反面、悩んでいるだけでは、どうにも変わらないという現実がある。 ☆性格は「人さまざま」だが、桜梅桃李の原理です。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、その人その人に価値がある。内向的だからだめだとか、せっかちだから価値はないとか、そんなことはありません。自分は自分らしく生きていけばいいのです。そうなれることを目的としているのが仏法なのです。たとえば一本の川があるとする。ある地点では、その川の幅は変わらない。同じように、その人自身というのも変わらない。しかし、「質」はさまざまである。浅いか深いか、濁っているか清らかか、魚がたくさんいるかいないか。「内容」は違う。人生も同じです。性格によって幸・不幸が決まるのではなく、どう生きたかという「内容」によって決まっていく。その内容を立派にしていくために仏法があり、教育がある。一切の努力・向上・進歩がある。それが人生です。 ☆題目をあげていけば、必ず濁ったものは浄化されます。全部、幸福への方向へと進んでいきます。たとえば、内面的な人は思慮深さとなって、それが生きる。せっかちの人は、何でもスピーディーに進める力となって表れる。また、川は、蛇行しながら流れ、行き詰らない。それが自然です。性格も努力すれば、蛇行しながらもよくしていけるのです。だから、ともかく前へ前へ流れは続いていかなければならない。 ☆性格(キャラクター)というのは、ギリシャ語の「彫刻」とか「印象」と言う言葉から出ている。「刻みつけられたもの」です。性格も、体質も、医学的に見れば遺伝的に刻み付けられ、決定されている部分もあるかもしれない。しかしそれがわかったからといって何になるものでもない。今、現実に生きているなかで、どのように向上していくかが問題です。仏法は「現当二世」です。現在と未来が大事なのです。「現在から未来へ」、また「現在から未来へ」と挑戦していくのが仏法の信仰です。 ☆絶対自分を卑下する必要はない。自体顕照と言って、自分らしく自分の個性を最高に発揮し、輝かせていける大法なのです。そのためには「生命力」です。生命力が強ければ、自分の性格がよい方向に出て行く。川それぞれ違いはあっても、海に向かって、ともかく前へ前へ進んでいくことです。そうすれば、いつか必ず、“自他ともに幸福”という大海にたどりつく。周りの人たちの個性を喜び、生かしながら、自分も輝いていける、広々とした人生となるのです。(『青春対話1』から)【未来部と共に学ぶ 希望の語らい】聖教新聞2011.9.21