『文藝春秋』9月号 760円
『文学賞メッタ斬り!』では、社長さんが社長室の飾りとしておいておく雑誌だと書いてあったような記憶がある。で、『文学賞メッタ斬り!リターンズ』での、島田雅彦さんのご発言によれば、この雑誌の平均読者年齢は、70歳ぐらいだという。そうか~、お年より向きなのか。どうりで、この雑誌を買う人を、本屋で見かけなかったわけだ。あんだけ平積みされている本を、いったいどんな人が買っているんだろうと不思議だったけれど。週に1,2度は本屋さんへ行っているから、一度ぐらいは、遭遇してもいいよね。あ、一度持っているひとは見かけた。総合病院の待合室で。さて、なんでこの雑誌を買ったのかというと、新聞広告があまりにも「買え~!」って言っているように思えたので(笑 芥川賞発表だ。<同級生交歓>ありゃ、忌野清志郎さんと三浦友和さん。不思議な組み合わせだなあ。キヨシローさんのその後の経過はどうなんだろう。昭和天皇のメモの話は、もう終焉したのかな。結局、本当のことはわからなかったのね。<この国のために命を捨てる>安部晋三意気込みはわかるんだけれど、言葉の仰々しさに、国民は不信感を持ってしまうこともある。あまりの優勢さに、ご自分自身に酔っていませんか。確実な前進を望みます。<ゴーン家の「夫操縦法」教えます>リタ・ゴーン×リシャール・コラス夫というより、家族、夫婦のありかたを話している。で、ちょっと気になったのがゴーンさんの子育てについての発言――「アメリカにいた頃、しつけをできず、子どもに振り回されるばかりのアメリカ人の親をたくさん見ました。どう見てもしつけに失敗しただけの子どもが、“学習障害児”として診断される例もありました」――先日の新聞で、殺人事件を起こした子どもの親が、自分の子どもが学習障害児であることに気がついていなかったという謝罪文を載せていたのを目にした。学習障害児とはいったい何? 今、ずいぶん増えているというが、増えているのでなく、ただ単に「勉強ができないやつ」を別な名前でよんでいるだけじゃないのか? うちの三女も知的障害者だが、ものの善悪はわかる。ただ、勉強を理解するのに時間がかかる。時々、悪いこととわかっていて、してしまうことがある。その悪いことといっても、隠れてお菓子を食べるとか、姉のものをだまって持ち出すとかいった些細なことではあるのだが。まだ、そういう些細なことで済まさせるうちはいい。三女の精神年齢は小学生のままであることを考慮にいれても、そのままであるはずはない。障害者も成長するのだ。芥川賞受賞作「八月の路上に捨てる」伊藤たかみなんか、久々に<純文学>と言われるものを読んでいるのかと、感慨深かった。でも、純文学と中間小説と大衆小説の違いって、生活レベルの違いと比例してるんじゃないのかなと思っていたんだよね。だから、これが純文学なんだと言われたら、わたしの枠組みは間違っていたことになる。でも、トルストイを読んだときの向上感とか、カミュを読んだときの排他的な喪失感とか、そういう感動がないのは、わたしが歳とってしまったからなのか?…「そうだよな~、こういう人生もあるよな」感想終わり純文学って、何? 大森さん、豊崎さん、教えてくださいよ。お二人のお勧めは、センスオブワンダーだし。純文学にセンスオブワンダーは関係ないの? 他人のブログ読んでるだけで面白いと思っちゃうのは、出版界に失礼かな。