文学的
過日読んだ「夜を着る」の著者井上荒野が直木賞をとった。文学賞の存在が物議を醸す時代、賞を得たことによって今後作品はどのように移ろっていくのか、そんなことを気にかけている自分が嫌らしい。ブラッドベリのタイトルを借りるなら「とうに齢は過ぎて」寺山修司や福島泰樹はボクシングをはじめ、自らの文学的格好の付け方を提示した。三島由紀夫であれば単に肉体を鍛えるという一点のみにおいて、それがスポーツか否かは知らねども。「オリンポスの果実」一編にて文学的昇華を極めた田中英光は私の知る限り国文学におけるボート小説の第一人者である。翻って私が、とうに齢を過ぎて始めたカヤックに文学的な匂いは一かけらもない。カヌーなら、川旅だのなんだの時間軸と移動のドラマは作れそうではあるが。かようなことをつらりつらり考える宵。私が春から所属したカヌークラブ「ウィルダネスカヌークラブ」HPの表紙写真が変わった。http://www.wilderness-cc.org/沈する私の横に、五右衛門風呂で寛ぐ二人の写真。同じ水に浸かっているはずなのに随分と違う風情、下には快楽のビアサーバーとこれから枕する人、しない人の集合写真。神の悪意を感じてしまうが如き組み写真なのであるが。現在私は決して文学的ではない行動の中で、刹那を生きる文学性をこの写真から感じ取ってよしとしようか、文学的なんぞという幻想をかなぐりすてて生きようかと、煩悶する宵なのである。煩悶しつつ、件のHP掲示板において「噴水沈脱第一号」なるハンドルで書き込みなさったかたを見て、うぅむまるで安部公房のごときハンドルと感じ入り、光栄にも「噴水沈脱第三号」の誉に預かった自らを、やや文学的と、寺山や福島や田中に僅かでも近づけたような…気がしないでもない。酔っ払いの戯言ですから。