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カテゴリ:陰謀論批判

 物事には、なんでも 「似ているところ」 と 「違うところ」 が存在する。したがって、どんなものでも抽象化のレベルしだいで、一つにまとめることもできれば、別々に分けることもできる。人間と馬は種としては異なるが、哺乳類という点では一緒だし、人間と石ころは全然似ていないけれど、物質的存在という点では同じである。

 ただ、一般的に言うと、一見して似ているもの同士の場合には、「似ているところ」 よりも 「違うところ」 のほうに気付くのが難しく、逆に一見して似ていないもの同士では、「違うところ」 よりも 「似ているところ」 に気付くほうが難しいということになるだろう。

 たとえば、イルカとマグロの場合、その外見は明らかに似ている。むろん、たいていの人は、知識としてイルカは哺乳類であり、マグロは魚類だということを知ってはいる。しかし、そういう知識を誰からも教えてもらわなかった場合、はたして実際に、どれだけの人がその違いに気付くかははなはだ疑問である。実際、クジラの場合であれば、漢字では魚偏に京と書くわけだし。

 多くの場合、「陰謀論」 にはまる人というのは、歴史上に存在した関東軍の満鉄爆破のような 「ありうる陰謀」 から始まって、しだいしだいに 「ユダヤ陰謀論」 などのような 「ありえない陰謀」 にまでエスカレートしてゆく。つまり、そういう人は、「ありうる陰謀」「ありえない陰謀」 の区別がついていないのだ。

 その逆に、「陰謀論」 という言葉と 「陰謀論」 批判なるものを知ったばかりの公式主義的な 「陰謀論」 批判者もまた、なにやらちょっとでも陰謀めいた話のあるところを嗅ぎつけると、「それは『陰謀論』だ!」 みたいな批判を躍起になって展開する。

 ようするに、そういう人もまた 「ありうる陰謀」 「ありえない陰謀」 の区別がついていないのであり、それは 「陰謀論者」 の誤りをただたんに裏返しているにすぎない。

 むろん、実際にはその区別を明確につけるのは難しいことではある。「概念」 というのは抽象の産物であり、具体的な事物というものは、「概念」 によって作られているわけではなく、したがって 「概念」 どおりに明確に区別されて存在してはいないのだから。

 民主党の小沢代表をめぐる今回の事件そのものについては、それほど興味もないし、情報を集めるのも面倒だから論じない。しかし、警察や検察の捜査の恣意性というのは今に始まったことではないのだから、一部の人のように、そのようなことに疑問を呈する程度の話まで 「陰謀論」 呼ばわりするのは、いささか行き過ぎというものだろう。もっとも、その背後に、なにやらきな臭い 「陰謀組織」 の暗躍とかを想定するというのなら、話は違ってくるが。

 「陰謀論」 というものは学問的概念とまでは言えないし、明確で確定された 「定義」 が存在するわけでもない。人によってその定義は様々であり、多少の違いも存在するかもしれない。しかし、たまたま外見が似ているからといって、全然違うようなものを一緒にしてしまうような 「定義」 というものは、事実上、役に立たない。「定義」 というものは、似てはいるが違うものを区別できてこそ、意味があり、役にも立つ。

 よく使われる言い回しに、 「味噌もクソも一緒にするな」 という言葉があるが、実際の話、もし鼻が詰まっていたりしたら、味噌とクソを分けるのは、味噌とクソを一緒にするよりも、はるかに難しいことであるに違いない(汚い話でごめんなさい)。

 そうは言っても、たしかに、味噌もクソも、色や形状が似ているという点では、一括りにできないわけではない。しかし、そのような味噌とクソを一緒にした 「概念」 をなんらかの定義によって作り上げたところで、実用性などないし、したがってその意味もないというものだ。

 こういうことは、「陰謀論」 の話だけでなく、いろいろなことにも当てはまる。学問的な検証に耐えうる史実の見直しと、探偵気取りの単なるディレッタントによる興味本位や、あからさまな政治的意図に基づいた 「歴史の見直し」 の関係もそうだが、似ているものどおしの微妙な差異を理解するのは、その「共通性」 だけに着目して一緒くたにするよりも、ずっと難しいことなのである。

 最後に、「ありうる陰謀」「ありえない陰謀」 とを区別する目安をいくつかあげるとすれば、想定される 「陰謀」 の規模と性質、費用対効果(経済的合理性)、それに問題となる社会の性格といったところになるだろう。

 一般的に言えば、あまりに規模が大きく、したがって、膨大な協力者を必要とする 「陰謀」 というものは、まずありえないし、あってもすぐに露見する。陰謀というものは、普通、お互いに信用できる少数の人間によって企まれるものであり、したがって社会全体を自由に操作するなんてことも、まずありえない。関係者が増えるほど、不確定要素が大きくなるし、意図したとおりの効果が生まれるということも難しくなる。

 また、その社会の一般的な感覚や通念から、あまりに乖離したような陰謀も、まずありえない。自国の実質的首都とも言っていいニューヨークの世界貿易センターに、その国の政府関係者が飛行機を突っ込ませたと主張している 「9.11陰謀論」 がありえないのは、そういう理由による。

 厄介なのは、社会の性格である。独裁者や特異なイデオロギーを掲げた集団によって、社会全体を統制する専制政治が行われている国では、一般に様々な 「陰謀」 が生じやすいが、そういう国では、そうでない国の者から見ると、経済的合理性すら無視したたような、とてもありえない 「陰謀」 が企まれ実行されることもある。

 具体的に言えば、1930年代に、スターリンが潜在的な政治的ライバルを一掃するためにでっち上げた 「モスクワ裁判」 や、ナチによる 「ユダヤ人絶滅政策」 が、そういう例になるだろう。

 金正日による 「拉致事件」 も、通常の感覚からすれば、まずありえないことだったのだが、実際にはありえたわけだ。実際、工作員に日本語を教えるとか、日本の書籍などの翻訳をして、情報収集をするというだけなら、自発的に協力を申し出る者などいくらでもいたはずであり、あんな馬鹿げたことをする必要など少しもなかったはずなのだが。






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Last updated  2009.03.21 18:48:49
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