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テーマ:タイ(3306)
カテゴリ:タイ旅行記
プラチュンラジョームクラオ陸軍士官学校キャンパス内を通る
「千早街道」を北へ向けて歩いていると、木々の間から山が顔を覗かせました。 たぶん日本軍が「双子山」と呼んでいた山かな。 この角度だと良く見えないけど、頂が2つあるんでしょうね。 タイ語では เขาชะโงก(カオ・チャゴーク=頭を突き出した山)と呼ばれているようです。 ほどなくして目的地に到着! 大きな岩の上に建つのはクン・ダーン廟(ศาลเจ้าพ่อขุนด่าน)。 近寄ってみましょう。 なんでも戦時中、ここを取り壊した日本軍の兵が祟りで何人も亡くなったとの 言い伝えがあるのだとか。 そんなところに同じ日本人の私が来て大丈夫なんでしょうか。 ちょっと気になりつつも登ってみることに。 参道を進むと否が応にも目に入るのは、 沢山のシマウマさんたち ^_^;) クン・ダーン廟はとてもご利益があり地元で篤く信奉されているとのこと。 そんな地元の方々が奉納したものなんでしょうね。 でも不思議なのは奥にはチャボらしき鶏の像も並んでいるものの、 圧倒的にシマウマが多いんですよ。なぜでしょう?? ひょっとしたら・・・ ワット・プラーンマニーに慰霊碑を建てた第37師団が ナコンナーヨックの地で抑留生活を送っていた時点で、 中国戦線から共に生き延びてきた軍馬3,100頭がいました。 そのうち良い馬200頭は英軍が引き取り、残った馬はお世話になった 付近在住のタイ人たちに譲ろうと考えていたそうです。 それがです。復員が迫っていたある日、 英軍から残りの馬を全部殺すよう命令が下されたのです。 一頭につき一発の銃弾と拳銃が渡されます。 馬と言えども苦しい戦場を一緒にくぐり抜けてきた戦友を 自らの手で殺させるとは、なんともむごいですよね。 殺されるのが分かっているのかじっと立ったままの馬を 涙を流しながら一頭一頭射殺したのだそうです。 馬の死体は対戦車壕や燃料弾薬庫用に掘った穴などに埋葬されました。 近年、陸軍士官学校敷地内でゴルフ場の建設中に当時のものと思われる 馬の骨が出てきたそうです。 地元の人達は軍馬の供養の意味でシマウマの像を奉納しているのかなと思いましたが、 違ってたらすみません。 ちなみにワット・プラーンマニーの第三十七師団慰霊碑に 師団将兵と並んで「師団軍馬四三七六頭」の精霊を祭ると刻まれているのは、 この時殺された馬と中国戦線以来命を落とした馬の総数のようです。 軍馬をどれほど愛しく思っていたのかが、この点からもひしひしと伝わってきます。 さて、階段を登りますか。 雨に濡れて滑り易いので気を付けながら…。 すると途中にこんなものが。 「剣保管所」と書かれた祠(?)に、まさに剣がいっぱい収められています。 これも奉納されたものなのか。 階段を登り切った岩山の頂で、廟の内部を覗きます。 クン・ダーンらしき男性の胸像と、ここにも一振りの剣が。 クン・ダーンはアユタヤ時代のナレースワン大王治世に この地で関所の長を務めていた人物。 ナレースワン大王がビルマからアユタヤを奪還した3年後の1587年、 ビルマ軍が再びアユタヤを攻めてきました。 その機に乗じて東方からクメール軍も進攻。プラチンブリーを陥落させ、 次にナコンナーヨックを狙います。 クン・ダーンは少ない手勢ながらも諦めず、 クメール軍がナコンナーヨックを掌握した後も カオ・チャゴークに陣取りクメール軍の前進を阻止。 そうこうしているうちに、ビルマ軍がアユタヤ攻略を諦め撤退開始。 アユタヤからの応援部隊が到着し、クン・ダーンの部隊とともに クメール軍を攻撃してナコンナーヨックとプラチンブリーから退却させることに 成功したのです。 その功績からクン・ダーンは死後、廟に祀られたのだとか。 ナコン・ナーヨックの守護神と言っても過言ではないでしょうね。 廟から見下ろすと、 おぉー、半端無い数のシマウマさんたちに改めて驚愕! 視線を上げると、 向こうに建物が見えます。あれは競技場。 あの辺りは終戦後「赤坂村」と呼ばれ、 第15軍約8,000名が復員まで過ごしていました。 ナコンナーヨック地区日本軍総司令官の片村四八陸軍中将もここにいたようです。 さてさて、岩山を下りて、さらに奥へと歩いてみますか! <交通費> ソンテオ:18バーツ ここまでの合計:168バーツ ※旅は2013年8月16日(金)に行いました。 <参考> 『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年 『英雄クンダーン』The Golden Jubilee Network(タイ語) つづく ※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめた新ブログを立ち上げました。 『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 です。 左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。 旅の参考になれば幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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気になって調べてみましたが、バンコク市内にもクンダーンの祠があって、同じようにシマウマが大量に奉納されているらしいです。本当は騎馬像を奉納したかったのだけど、なかったので仕方なくシマウマ像で代用したのを、後世のひとがクンダーンがシマウマ好きと勘違いしたってことらしいですが、どうなんでしょう?気になりますね。
(2013/09/09 12:23:52 PM)
Tui☆さん
>気になって調べてみましたが、バンコク市内にもクンダーンの祠があって、同じようにシマウマが大量に奉納されているらしいです。本当は騎馬像を奉納したかったのだけど、なかったので仕方なくシマウマ像で代用したのを、後世のひとがクンダーンがシマウマ好きと勘違いしたってことらしいですが、どうなんでしょう?気になりますね。 そうなんですか! ありがとうございます! 私もバンコクでシマウマ像を売っているのを見たことがあるんですよ。なので同様に馬の代用にシマウマを奉納したのかと考えたのですが、日本軍の軍馬ではなくクンダーンが軍馬に跨って戦ったことからなんですね。 遅ればせながら私もタイ語ソースでちょこっと調べたところ、ここの責任者曰く「願いが叶った際にお礼として軍馬像を奉納したいところが、シマウマ像のほうが入手が容易で値段もサイズも手頃なことからシマウマ像が増えた」とのことです。 (2013/09/09 12:43:05 PM)
今回のもなかなか勉強になりました!
なぜ英軍は無害な軍馬を殺させたのでしょう? 無益な殺生は可哀想ですが、キリスト教徒にはそういう発想はないのでしょうかね。 (2013/09/09 01:31:38 PM)
しゅ☆じんさん
>今回のもなかなか勉強になりました! 私も付け焼刃の知識で書いてますが、毎回勉強になってます ^_^;) >なぜ英軍は無害な軍馬を殺させたのでしょう? >無益な殺生は可哀想ですが、キリスト教徒にはそういう発想はないのでしょうかね。 泰麺鉄道建設での捕虜酷使やインパール作戦、元をたどればマレー半島・シンガポールから英軍を追い出したのは日本軍ですから、相当恨まれてたんでしょうね。民間日本人の戦後タイ在留についても、タイ政府が認めた人数より大幅に少ない人数しか英軍は認めませんでしたし。推測ですが、辛い思いをすると承知の上でわざと日本軍の兵自らの手で愛馬を殺させたのでしょう。 (2013/09/09 02:01:31 PM)
ブログが二刀流になるってことですか?
あまりにも可哀想ですねえ軍馬のはなし。 戦争はいつの時代も理不尽ですね・・・。 どんな思いで引き金を引いたのか、考えると辛いですね。 すげ~シマウマの数! この数が前述の数ってことかな~? 英軍に引き取られた残りの数。 いつも思います。 タイにも戦争の爪あとがあちこちに残っているんですね。 (2013/09/09 02:05:59 PM)
ナーンさん
>ブログが二刀流になるってことですか? はい。メインは今までどおりこちらの楽天ブログです! 新ブログは、過去の1日旅を読みやすくしたいという思いから作りました。楽天ブログだと過去記事に辿りつくのが大変なんですよ。 >あまりにも可哀想ですねえ軍馬のはなし。 >戦争はいつの時代も理不尽ですね・・・。 >どんな思いで引き金を引いたのか、考えると辛いですね。 可愛がっているペットを殺せと命じられるようなものですからね。死線を共に越えてきた戦友の軍馬ならなおさら辛かったことと思います。 >すげ~シマウマの数! >この数が前述の数ってことかな~? >英軍に引き取られた残りの数。 どうやら私の推測が間違っていたようです。クン・ダーンに限らず戦いの英雄を祀った廟では一般的に、願い事が叶った際に奉納する(ゲー・ボン)ものとしてシマウマがポピュラーなようです。英雄が跨って戦ったであろう軍馬の代わりってことですね。 でも奉納した人の中に、ひょっとしたら日本軍の軍馬を慰霊する思いも込めた方がいるかもしれませんね。 >いつも思います。 >タイにも戦争の爪あとがあちこちに残っているんですね。 ナーンさんのホームグラウンド北タイにも日本軍は駐屯していましたしね。結構各地に日本軍の足跡が残っていそうです。 (2013/09/09 02:42:13 PM)
馬の人形の代わりにシマウマを使った動機が安易ですね。^^
ところで、アフリカ産シマウマ像がタイにたくさんあるというのもちょっと変ですね。 (2013/09/09 07:39:43 PM)
バンコク「竹亭」さん
>馬の人形の代わりにシマウマを使った動機が安易ですね。^^ ですよね~。何ももんなこぞってシマウマにしなくてもいいのにって感じです ^_^;) >ところで、アフリカ産シマウマ像がタイにたくさんあるというのもちょっと変ですね。 そうなんですよ。なんでシマウマなんでしょう? それだけ軍馬像の需要があるなら小さめのサイズでお手頃価格の軍馬像を誰か作れば大儲けできると思うんですけどねぇ。シマウマじゃなければならない理由が何かあるのか調べたら面白そうです。 (2013/09/09 08:25:13 PM)
ここのシマウマもすごい数でしたね、クンダーン廟のシマウマがいつの頃から奉納されているのか判りませんが、どういう事なんでしょうね、全国にある「タクシン」や「ナレスワン」の廟の象とか軍鶏なら判るんですが、変わった所では「เจ้าพ่อยีราฟ」ってのもありました、キリンですね、動物じゃないんですが、赤いファンタが無数並んでるってのもありますよね。
(2013/09/09 08:56:48 PM)
Lekさん
>ここのシマウマもすごい数でしたね、クンダーン廟のシマウマがいつの頃から奉納されているのか判りませんが、どういう事なんでしょうね、 Lekさんもクンダーン廟に行かれたことがあるんですね! ほんと、シマウマの数に圧倒されます。軍馬像の代用でシマウマ像ということのようですが、そもそもなぜシマウマ像がこんなに流通しているのかがナゾですよね。 >全国にある「タクシン」や「ナレスワン」の廟の象とか軍鶏なら判るんですが、変わった所では「เจ้าพ่อยีราฟ」ってのもありました、キリンですね、 キリン像ですか! 私は見た記憶が無いです。なぜシマウマと言い、アフリカの動物があるんでしょう? サイやカバまでありそうな気がしてきました…。 >動物じゃないんですが、赤いファンタが無数並んでるってのもありますよね。 ナムデーンですね。あれはワット・プラーンマニーの記事でも書いたんですが、一説によると昔、神に願い事をしたり誓約したりする際に自分の血をお供えしていたものを、のちに同じ赤い色ということでナムデーンで代用するようになったんだそうです。 (2013/09/09 09:04:07 PM)
>ナムデーンですね。あれはワット・プラーンマニーの記事でも書いたんですが、一説によると昔、神に願い事をしたり誓約したりする際に自分の血をお供えしていたものを、のちに同じ赤い色ということでナムデーンで代用するようになったんだそうです。
そうなんですか、納得です。 蛇足ですが、馬の象がないわけでないです、タクシンのターク県にあるタクシン廟には大小の馬が奉納されています。 (2013/09/09 09:38:30 PM)
Lekさん
>ナムデーンですね。あれはワット・プラーンマニーの記事でも書いたんですが、一説によると昔、神に願い事をしたり誓約したりする際に自分の血をお供えしていたものを、のちに同じ赤い色ということでナムデーンで代用するようになったんだそうです。 > >そうなんですか、納得です。 >蛇足ですが、馬の象がないわけでないです、タクシンのターク県にあるタクシン廟には大小の馬が奉納されています。 ターク県ですか。私にとっては未踏の地です。日帰りはしんどそうですね ^_^;) 手頃なサイズの馬の像もあるとなると新たな疑問が生じますね。じゃぁなぜ敢えてシマウマの像なのかと。もしかしたらバンコク近辺にはほとんど流通していない可能性もありますね。調べてみたら面白そうです! 教えてくださってありがとうございました! (2013/09/09 11:16:21 PM) |