ご冥福をお祈りします
金大中氏がご逝去されましたね。今や、韓国大好きな私ですが、生まれて初めて韓国という国を知ったのも、同時に怖い国というイメージを持ったのも、金大中事件のことを知った時だったような気がします。一つの時代の終わりを感じます。お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。上のニュースを検索していて、このニュースも知りました。安重根義挙100周年、中国ハルビンで記念行事(朝鮮日報) 安重根は、2月14日に死刑が宣告されてから三日後の2月17日、平石氏人高等法院長と面談した際、『東洋平和論』の主な要旨を明らかにしており、これは裁判所の書記が記録した「聴取書」に残されている。 安重根は、他国の国権を奪って日本が盟主となる東洋平和論は侵略の口実に過ぎないと批判し、自らの東洋平和構想を披露した。具体的には、▲韓・中・日3国共同軍団の編成▲日本が占領した旅順・大連を中国に返還し、東洋平和会議体を構成▲3国の共用貨幣を発行する銀行の設立▲銀行設立の資金のため数億の東洋人が会員となり、1円ずつ募金▲3国の協力下で産業化と経済共同体が成功すれば、インド・タイ・ベトナムなど東南アジア地域に会員国を拡散する-という構想だった。 安重根の東洋平和共同体構想は、現在活発に議論されている「東アジア共同体論」よりも100年早い。李泰鎮ソウル大名誉教授は、「安重根の東洋平和論は、当時誰も思いつかなかったものだ。ヨーロッパ共同体よりも約70年早い平和共同体構想だ」と高く評価した。日本版wikipediaによれば、 伊藤は国際協調重視派で、大陸への膨張を企図して韓国の直轄植民地化を急ぐ山縣有朋や桂太郎、寺内正毅ら陸軍軍閥と、しばしば対立した。また、日韓併合について、保護国化による実質的な統治で充分であるとの考えから当初は併合反対の立場を取り、1909年7月に韓国併合の基本方針が閣議決定されてもなお「本格併合は将来的な課題」として早期併合に反対していたそうで、伊藤博文が暗殺されたことで、日韓併合が促されたと読めます。双方の見方、考え方があるし、判断できるほど、私は勉強しておりません。ユ・オソンシが演じた『多黙 安重根』を観たいと数年来、思い続けておりますが、未だDVDになってない様子今日もぽちっと応援ありがとうございますにほんブログ村