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Manachan's World-東京下町日記

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2005年10月29日
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カテゴリ:大連の暮らし
Shokuan

昨日の朝、用事があって解放広場に行ったら、右も左も、すごい人込みでした。少なくとも、数百人はいたのではないでしょうか。中年の、むさ苦しい(失礼っ!)風体のおじさん達が多かったです。日本でいえば、競馬場のレース前を思わせる、そんな雰囲気でした。

もう少し歩くと、ようやく、人込みの意味が分かりました。ふと目に入ってきたのは、「大連市外来労働力市場」という役所。その門の前にも、人だかりができており、すぐ近くに、求人広告がたくさん貼り出されていました。そう、これは日本でいう「ハローワーク」。昔ふうにいえば「職安」です。

求人広告をいくつか見てみると、たとえば、こんなものがありました。

ラーメン店の厨房係:月給900元+宿舎・食事付き
ガラス工場の雑用工:月給800元+宿舎・食事付き
パン屋の店員:月給800元+宿舎・食事付き、22~30歳まで
清掃員:日給45~50元

求人広告で提示される月給を詳しくみると、最低が600元(雑用工)、最高が1500元(運転手)で、宿舎・食事付きという条件がほとんどでした。いま大連は家賃がものすごく高いですから、給料の中から家賃を出したら暮らしていけないかもしれませんね。

用事を済ませ、また人込みの中を通り抜けると、時々、胸に職種名を書いたシールをつけている人々に出会います。「ラーメン職人」、「焼鳥職人」、「掃除婦・保母」などなど。「私は、これができます!」という売り込みの趣旨だと思われます。それにしても、これだけの人が、職安の建物にも入らず、路上に立っているは、どういう意味なのでしょう?

私はこの光景をみて、東京の「山谷」(さんや)という、日雇い労働者の町を思い浮かべました。山谷は、大阪の釜が崎と並ぶ、全国二大「ドヤ街」の一つ。日雇い労働者用の簡易宿舎(ドヤ)が建ち並び、毎日、早朝から、人々が路上に立ち始めます。すると、どこからかトラックが続々とやってきて、彼らを乗せて、東京湾岸や郊外の作業現場に連れていく・・・という日常風景。

日雇い労働者の町というと、多くの人にとっては縁遠い存在のように思われるかもしれませんが、私にとっては、存外、身近なものです。なぜなら、山谷の最寄り駅は、JR常磐線の南千住。この駅は、私の地元・柏から東京に出る途中にあり、都電荒川線(東京に唯一残る路面電車)への乗り換え駅でもあります。加えて、駅の近くに美味しい惣菜屋がいくつもあるので、これまで何十回と、この駅で乗り降りしてきました。

以前、こんなこともありました。当時、東京でサラリーマンをやっていた私の父が、会社近くの焼鳥屋で一杯飲んだあと、常磐線の車内で、日雇い労働者のおじさんと意気投合して、「じゃ俺の家に泊まりに来いよ!」と言って、柏の我が家まで連れていきました。すでに夜遅かったので、私を含め家族はみんな寝ていました。

次の日、父の出社は早く、朝7時過ぎには、家を出ていきました。その後、私の母はびっくり仰天!なんと、見知らぬ男の人が、家で寝ているのですから!・・・幸い、そのおじさんは礼儀正しい人で、「お騒がせしてすみませんねえ」と言いつつ、静かに、山谷に帰っていきました。

また、こんなことがありました。大学生の時、オーストラリア人の若いお兄ちゃんと仲良くなって、そいつが、「日本を旅したいんだけど、カネがない。東京で、どこか安く泊まれるところを知らないか?」と聞いてきたので、私は、「じゃ、それなら山谷の簡易宿泊所がいいかもしれない!」と思い、下見を兼ねて、友人一人を誘って山谷に繰り出し、一泊2200円の4畳半の部屋に投宿しました。日雇い労働者は朝が早いから、夜は10時に消灯、という決まりになっていました。

翌朝、私は山谷の路上に、何百人の労働者と一緒に立ちました。しばらくすると、トラックがやってきて、私に一言。「お兄ちゃん、体格いいねえ。解体の仕事やらないか?埼玉の草加で、一日1万4千円」・・・。当時、慢性金欠状態だった私は、1万4千円という高給に、心を動かされましたが、あいにく、その日は大学で、ゼミの研究発表があったので、泣く泣く(?)辞退。その後、近くの屋台で豚汁を食べました。結構な大盛りで、お値段はわずか100円!しかも美味しい・・・。山谷の人々に愛されている味らしく、たくさんの人が並んでいました。朝っぱらから、「ワンカップ大関」と一緒にいただいたのは、言うまでもありません。

そんな山谷の風景と、ここ大連の「職安通り」の風景がダブって見えたのです。ここで立っている何百人の人々は、もしかすると、職場に連れていくトラックを待っているのではないか?・・・折りしも、解放広場には、四方八方から、いろんなトラックやライトバン、マイクロバスが、ひっきりなしに、出入りしていました。

とはいえ、中国の日雇い労働者も、つらいよなあ。日給が45元とか50元(630~700円)で、一体どうやって暮らしていくんだろう?

中国の100元紙幣って、日本円でいえば1400円だけど、でも彼らにとっては、二日分の給料なんだと思うと、改めて、その重みを実感しました。

また昨日の日記で、日本語のできるITエンジニアが、ものすごい高給を得ているという話をしたばかりなので、この国の貧富の差が余計、切実に感じられました。

いろんな思いが頭の中をよぎるなか、私は職安通りを後にして、近くのスーパー「カルフール」に向かいました。





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最終更新日  2005年10月29日 12時40分55秒
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