テーマ:美しい日本の四季(95)
カテゴリ:私の散歩小径
今年は柿が大豊作。スーパーの店頭にさへ、大振りのよく熟した柿がきれいに箱ずめにされて、山と積まれている。そんな柿に誘われて、
季節の花300(晩秋の空に照り映える柿) 柿が実ると。 秋になると私の体は 柿の甘さを欲しがっている。 幼い日、柿畑は遊びの庭であった。 春、柿畑は、 つややかな、黄緑の新緑に輝き、 慎ましやかな花をさかせ、 花をぽたぽたと地面に落とし、 花がらが地面を覆いつくす。 そして、深い緑の夏。 柿畑は、濃い緑のは葉っぱの屋根の 涼しい夏の風の通り道となり、 格好の遊び場となった。 そして、実る秋、 柿は、その大地の恵みを実にたくわえて、 日毎に赤みを増し、 とろける甘さとなって 子供たちの 甘いおやつとなった。 子供たちは こんなにも甘いお菓子をまだ知らなかった、 食の貧しい時代であつた。 祖母や母は、 この甘さを どんな思いで食べていたか。 この大地の恵みの結晶を 古い家柄のしがらみの哀しみや格闘の 女のくらしの日々のなかで、 その甘さを、涙とともに食べていたのだろうか。 どこまでも高く透き通る晩秋の空の明るさに 熟して輝く赤い実に 祖母や母は どんな重い思いを託していたか。 柿畑が紅葉の葉っぱで敷き詰められると、 子供たちは、さくさく、かさかさと、葉っぱのなかを 駆け回り、葉っぱのスキーに興じたものだ。 錦の葉っぱは、おままごとの皿になり、赤いスープとなった。 柿畑の晩秋は、 華やいだ友禅織の大地となり、 やがて濃い土色の茶色にとけて、 大地の営みを密やかに見守る布団となって、 来るべき春の準備へと冬の眠りへとつく。 暗い家の冬がはじまる。 甘い柿よ。 晩秋は私の幼き日々と 暗き嵐の若い日々の、 甘さとほろ苦さを 思い出させる。 今は、 柿は子供たちに 嫌われている。 甘すぎると、 皮をむくのが面倒だからと。 わが生家の柿畑も、 今は手入れする主も老い、 荒れ果て、小さな実を 申し分けなさそうに秋の日のなかに 照り映え、輝かせている。 ああ、柿の木よ。 わたしの幼き日を育ててくれた。 わたしとともに、 おまえも枯れてゆくか。 季節の花300 柿の花 『青井 史さんの歌、柿三題』 次郎富有禅寺丸 稔る秋の日の柿の甘さは 大地の甘さ すさまじきひとりの貌(かほ)なり 夜の鏡に柿を食ひつつぞ いる 終りなき苦しみあらじ物食(は)みて 熱ほのほのと 胸にもどり来(く) わが祖母の一生の物語のような歌である。 秋の日差しを浴びて、日増しに甘くなる柿の実を、暗い土間で、柿を食(は)む祖母。 孫に一番甘い実を一番高いところの枝からもぎ取って、食べさせてくれた祖母。そんな祖母をふつふつと思い出させてくれる歌である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.11.30 13:15:39
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