カテゴリ:私の散歩小径
わが散歩の友パピヨンのユメ。
カメラ嫌いで、カメラを見ただけで、すごすご姿を隠すユメ。去年の年末から娘のお下がりのデジカメを散歩に持ち歩くこと多くなり、ユメを撮ってみた。ユメの一番素敵な表情を捉え切れていませんが。 ユメが我が家に来た時は、生後7ヶ月を過ぎた雌の成犬であった。 ペットショップで売れ残り、処分寸前の犬を犬好きの娘が救出してきたのである。 生まれてからそれまでずっとショップの狭いゲージの中で、ひたすら客の目に晒され、おどおどした目で誰かを待ち続けていたのである。 我が家に来た時、犬嫌いで犬など飼ったことのない私に妙になつき、 娘に「この犬はお母さんが好きらしいよ」などとおだてられ、やむなく飼う事になった。 そんな私とユメの2人6脚の暮らしが始まった。 散歩などしたことがなかったユメちゃん。 外にでると怖くてうずくまり動こうとしなかったユメちゃん。 犬見知りや人見知り激しく、いつも私の陰に隠れて固まってしまっていたユメちゃん。 こんなユメちゃんが我が家に来てから8年が経過した。 パピヨンという犬種は、その昔、フランス・ルイ王朝の時代に貴族たちが愛好した犬とか。 きゃしゃで豪華な毛並みの犬とか。 でも我が家のユメは、骨太でおおがら、野性味あふれる歩くことなら何処までもお供できる散歩犬となった。 控えめで、主人の私にはあくまで忠実。 つぶらな賢い瞳でじっと私をみる。 ユメのこころと私のこころはツーカーに通じているように思える。 こころとこころは触れ合っている。 しかし、 犬も年ととっていく、人間よりも速いスピードで老いていく。 犬の老ゆく姿は、人間の老いゆくありようを映し出している鏡ともいえる。 ユメも老いていく。私を抜いて老いていく。 お互いに老いることを美しいと、 思える生の営みを 日々重ねることができればとても良い。 とても幸せなことである。 私の老いを写し出す鏡として、ユメがいつも私の傍にいる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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確かにパピヨンですね。でも、なんて凛としているのでしょう。きっと冨士子さんに似ているのでしょう。
子供が生まれたら犬を飼う。子供の成長と始めはいっしょだけど、犬はどんどん先を行き、そして子供が思春期になるころには死をむかえる。 子供にとって身近な、共に成長したものが目のまで命つきるその瞬間、しっかり見送ることで、大人になりかけている子供は正しく生と死を見極められるのでしょう。 とかく壮絶な死を幼い子にみせたくない、そう思いがちですがそうではない。共に成長した間柄だからこそ、見届けるべきことで、ただかわいそう・・とか悲しいではなく、愛されて幸せに生きた動物の死はきっと子供に生きる力を与えてくれると私は信じたいです。 もう我が家は手遅れですが、そういう動物との関わりを持たせてあげられるのは、都会では難しく、まさにこの環境の中でこそできることですね。 でも、私がいた職場には家畜的な動物との関係をよしとし、ペット的な考え方を否定する発言をする人がいました。ペットとしての動物とのふれあいを認められない教育者でした。低学年の生活科での小動物とのふれあいはなかなか難しいようです。 私などは不登校の子供には園芸と犬とネコを!と思いますけれど・・・ 私もネコ大嫌いだったんです、でも、リリーが来てすっかり変わりました。 (2006.02.17 19:34:14)
ミーシャ1225さん
>----- 孫娘のことねは生まれた時から2匹の犬に囲まれて成長しています。よくよく考えてみればことねは必ずこの犬たちの死に出会うのですね。 赤ちゃんが犬と交流することのすごさ私も娘の子育てを見て学んでいます。言葉ではうまく言えませんが犬も赤ちゃんの出現で成長し、とても優しくなっています。勿論ことねも犬との交流で色々学んでいます。これは私の育児体験では出来なかったことで、娘に脱帽です。 植物を育てること、種から育てることもぜひ子供たちに体験して欲しいことですね。根から育つことの意味を体験的に子どもが知ることとても大切ですよね。 このような生き物との関わりの実地の体験が、今の子供は意識的にやらないと出来ない不幸な環境にいますね。 (2006.02.17 21:54:55) |
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