カテゴリ:学力について
現在の世界を深く洞察する能力を 今年度の新卒の就職活動は、世界的な不況のなかで、困難を極めている。 この現状は、単に景気の動向によって起きている、青年の就職問題なのだろうか? 現在、自公の麻生政権が進めている景気浮揚策がたとえ、部分的に効果が出て、彼らの言う景気が好転したとしても、その後に又、今よりも、もっと厳しく深刻な社会混乱や景気後退が起きる事は必然のように思われる。 益々若者にとって、就職困難は今以上のものが来るにちがいない。 今、社会が若者たちに求めている能力は何か。資質は何か。 今、社会は、歴史的にみても大きな転換点にある。 新しい価値観で社会を切り開く能力・度量・資質を、企業や社会は、青年に求めている。一流の大きな企業も中小の企業にも、真剣に今の状態を打破して生き続けようと思っているところはそうではないか。 一番、滑稽な指導が、今の子はコミュニケーション能力が乏しいので、その能力をつけるための練習を課していることである。コミュニケーション能力など、その根底にある人間としての価値観や人生観と深く結びついており、付け刃的に教え込んでも世間で通用するものではない。 それよりも、若者が現代の社会を深く見る目、深く見通す力、その基盤となる教養をしっかり養うことの方が先決ではないか。そこからコミュニケーション能力などは、自然と溢れ出るもの。 社会の底辺を担うはずになる学校序列の中以下にいる若者の能力も、非常に問題あり、社会を背負っていく労働者としては、使い物にならないのが現実の姿ではないのか。 民営化の急先鋒、竹中平蔵氏などは企業が海外に出てしまうことの原因に、規制緩和が、生ぬるいことや税制の問題や社会が構造改革をやり続けないことを挙げているが、ただそれだけとは思えない。 社会が深いところでシステム的に変化しつつある。 全国学力テストで競わせて子どもに知識を身につけさせるような学校のやり方では、このような社会が要請している学力や人格は育たない。 社会は、今後も混乱が続き、若者にとって困難な道のりになりそうだけれど、困難だからこそ、自らを鍛えるとき。 私の塾に中学から来て、すでに社会に出て、仕事をしているもの、今、就職活動しているものと多々あるが、なかなかうまく行かない。うまくいかなくとも、将来に向けて、自分の生きる道が切り拓けるような仕事の仕方を、切に望むのであるが、それも中々うまく行かないのが現実である。 高校や大学の教育の在り方にとても疑問を感じている。現実の社会の困難をどう切り開くのか、その能力の育成などほぼなされていない。社会が好調なときに、受身的に生きることだけを想定して教育が行なわれているとしか思えない。あるいは、そのような教育は時間がかかり困難すぎて、放棄されているのかもしれないが。 いづれにしても、「お上の言うまま」の教育や子育てでは子どもは大人になれないということだ。社会の風潮に翻弄されているだけでは、子どもは育たない。育っていない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[学力について] カテゴリの最新記事
|
|