粋じゃなかった蕎麦屋の一献
先週の金曜日のこと。その日は新橋の夏恒例の「こいち祭り」の最終日で。最終日といっても木金開催の2日目ってだけのことでしかしメインイベントとおぼしき浴衣美人コンテストやら汗だくのミュージシャンによるライブやらで盛り上がってるふうな中、そこそこ物珍しいつまみラインアップの屋台に群がる人たちで駅前周辺はかなりの盛り上がりだった。そんなごった返しまくりな会場の直中に、みなさんの期待通りに私はいた。木曜日は見ざる聞かざるでスルーできたものの、さすがにこの日は仕事仲間兼飲み友達兼コピーの師匠兼キャンプ仲間だったA氏の席へ行って「お祭り…だよ?」とささやき2,000円予算でね!と固く契った上で会場へと向かったんだけど、この時期は常に風呂上がりのごとき大汗をかきまくっている上に人ごみが嫌いなA氏にとって、群衆による熱気までをも孕んだ熱帯夜は拷問に近かったようで、到着後10分もしないうちに「どっかそこいらへんの店に入るか」なんてことになったのだった。会場で買った缶チューハイを喉を鳴らして飲み干して入ったのは駅そばのそば屋さん。そば屋で呑むなんざ大人の粋。たまにはいいやねぇなどと思いながら枝豆と鶏さわなどをオーダー。すると店員さん「鶏わさは終わっちゃいましたね。板わさになります」ぶっちゃけずいぶんと乱暴なリコメンド。鶏わさの代わりに鶏ぬたでどうでしょうと言うのならまだしも鶏笹身の代用をかまぼこにさせるのはどう考えても無謀。名前こそわさびつながりとはいえ、まったく異なる料理と思うがそうは思わないのかね、ホールをあずかるアナタは…。そうとは言えない気の弱い私。お互いに視線を泳がせながら沈黙する事しばし。しかし「じゃあ」と板わさをオーダーしたA氏はやっぱり大人だなぁと妙なところで感心したりしてしまったのだった。で。出て来た板わさ。変わり切りして異なるものにみせたつもりだろうが同じかまぼこに違いないことは食べずともわかったことは許すとして曲がりなりにもそば屋のくせしてカニかまはどうなのよ。かまぼこの腐敗を防ぐ役割もしている板は、それこそ最後まで切っても切っちゃいけないものなわけだしそこに板があるからこそ、かまぼこ&わさびが「板わさ」と称されるわけでしょに。そんなふうだから、やがてテーブル上は居酒屋となんら変わらないラインアップのつまみ達が並ぶ顛末となって、それぞれが芋ロックを4杯とか6杯とか呑んだ頃、〆にざる食べる?とA氏。せっかくだからいっときますかと答えると、初対面の人だったら気付かない程度の間をおいて「ここのそばさ、すんごいマズイんだよ」とのたまう。なぜ薦めたのか未だに謎だけど、催促までしてやっと出て来た件のざるは茹ですぎているわけでもないのにコシがなく、更級風に色白なのに蕎麦は香らず、つゆも出汁が感じられることはなく、「ここっておそば屋さんだよねぇ」と言わずにはいられなかった。結局期待した「粋」モードとはずいぶんと遠くけれどそんなことはおかまいなしに飽く事のない会話が延々続いた夜だったのだ。その後、やっぱりどしても行っときたい雑魚へ行き、そこしか空いていなかった外の席でポツネンとハイボールをやり、それじゃあと帰って来た私は、さていったい何がしたかったんだか。