「内面の小劇場」
昼休みに大手書店に出かけ、出版社のPR誌をもらってくることがある。業務上必要なこともあるのだが、最近ではその内容がなかなかバカにできない。そういえば中学校の頃、岩波の「図書」を定期購読していたことがある。学生服を着たチュー坊が郵便局で振り込み用紙に書き込んで、お小遣いで「図書」を年間購読していたというのだから、今考えると、なんだか涙の出るような話である。そういえば、中学・高校時代は、私が唯一「雑誌を定期購読していた時期」にあたる。これもなんだか変な話だ。ちなみに中学時代に定期購読していたのは、「リーダーズ・ダイジェスト」と「文藝春秋」と「週刊朝日」と「世界」だった。高校になるとこれに「思想の科学」が加わり、「週刊朝日」は「朝日ジャーナル」に変わる。いったい何を考えていたのだろうか。幸いなことに今となっては、当時の記憶はまるでない。ひょっとしたら軽い分裂症を患っていた可能性もある。(ああ、失礼、統合失調症でしたね)それはさておき、本屋でもらった各種PR誌は会社のデスクの脇に積まれ、徐々にその高さを増していくことになる。いわゆる「ふるふっへんど」(@「解体新書」)状態である。さすがに半年以上たつと、その山が崩壊寸前になる。こりゃあ、そろそろ片づけないといかんなと思い、一冊一冊手にとって片っ端から斜め読みしていく。大部分はそのまま故紙回収置き場に積まれるのであるが、瞬間的にぱっとこちらの視野にとびこんでくる文章がある。そのワンフレーズに引かれ、冒頭から読みはじめ、中断することもかなわず、最後まで読んでしまうことがある。そして、読み終えて、「ふー」とため息をつく。ほとんどの文章は読まれることもなく捨てられていくわけだから、こういう文章はおそろしく生命力が強いということになる。そういう文章をひとつご紹介したい。筆者は鶴見俊輔。岩波の「図書」07年7月号に掲載された「一月一話」という連載ものの一編である。タイトルは「内面の小劇場」。わずか1pの文章である。登場するのは大江健三郎。「ノーベル賞のような大きなものをもらうと、もらった人の暮らしへの圧力になるだろう」という書き出しでその文章ははじまる。その後、鶴見氏と大江氏が同席した「九条の会」の講演会のエピソードが紹介される。その会で、大江が作詞した「卒業」という歌を広島の女学生が歌う。この曲は障害をもつ長男光の卒業を祝って大江が作詞したものである。作曲は、光氏。長男の誕生日に大江家では小さなコンサートが開かれる。そこで大江は自身でこの歌を歌う。ピアノ伴奏は光氏。聴き手は大江の妻である。この曲には一箇所、転調するところがある。そこまでくると、ピアノ奏者はやおら両耳に手を当てる。「いつか、そこのところも息子に耳をふさがれないほど上手に歌うようになりたい、と彼は練習を重ねるという。」「大江健三郎の生活の中にあるこの小劇場は、彼を、日本の中の世界的有名人にとどめない。彼が自らを励まして、九条の会の演台に立つ力もまた、おなじ源に発するものだろう。こちらのほうは、なめらかに演説する域に達するときがあれば、もはや講演は彼にとって内面の支えとなる力を失うだろう。」私の記憶は高校生の頃にとぶ。文藝春秋の講演会というものにハガキで応募して出かけたことがある。講演者は大江健三郎と小松左京。なんだか変な組み合わせだが、東京の進歩的文化人に直接会えるということで、いそいそと出かけていった。小松の話は、たしか、ダンテの神曲をネタに「イタリア的肉欲について」語るという趣向だった。さて、大江の話は、というと、これがまるで覚えていない。とにかく訥弁で、何を話しているのかよくわからないのである。おどおど、どぎまぎ、あっちにいったかと思えば、こっちにさまよう。なんて話の下手なおっさんなんだ。そう思ったことを覚えている。講演が終わって、なんだかいたたまれなくなって、はやめに階段を降りていくと、控え室のあたりから、「ほな、これから、中洲へでもくりだしましょか」「あ、ああ、ええ、その、あの」というふたりの会話が聞こえてきて、悄然としたことを記憶している。鶴見の文章は続く。今、九条の会で女子学生が大江作詞の曲を歌っている。その演壇の隅で、手話による通訳が行われている。「手話を私は、ほんのところどころしか理解しないが、それは、歌われている歌がひきおこす内面の劇を表現しているように、私には思われた。」そして、この文章の白眉となる表現へと続く。「自分は、平和を守る側に立って生きたい。この願いは、自分にそれができるかという疑いとせめぎあって、終わりなくつづく。そのことを、手話は、私たちに伝える。 六十年前に米国に敗れて、その後押しによって日本の新憲法ができたとき、これを支持する発言には、内面のせめぎあいは、こもっていなかった。占領軍を背にした話に居丈高な発言が飛び交い、不満を隠した賛成の発言が、やがて米国の立場の変更に応じて、すこしずつ、あからさまな九条否定に変わっていった。 内面のせめぎあいは、生きているかぎり私たちの内部にある。それがあって、はじめて、反戦の姿勢は逆風に対しても保たれる。声に出された演説と平行して演じられる手話の声なき語りは、言葉に表現される思想と、言葉に表現されない思想とのかさなりを私に考えさせた。」 日本国憲法第九条はかつて誰も反対することの許されない力を伴ってわれわれのところにやってきた。そしてわれわれはそれを受け入れた。でも「はたして丸腰で日本はやっていけるんだろうか」。そういう小さな疑いをこころに抱かない日本人はいなかったはずである。そこには外側からくる大きな声と小さな内心のつぶやきとのせめぎあいがあった。 やがて空気は変わる。自主憲法、愛国心、武力による国際貢献。それらが大きな声で語られる時代がくる。「でも、ほんとにそれでいいのか。日本は戦争を捨てたのではなかったか」。こんどはそういう小さなささやきがこころのなかから聞こえてくる。大きな声と小さな声はここでもせめぎあう。それは壇上からの声を拡声装置で会場全体に響き渡らせる演者と、その隅でひっそりと行われる手話通訳の関係にどこか似ている。鶴見の文章はこう結ばれる。「言葉に表現されない思想が、言葉に表現される思想との対立を保ちつつ、これを支えるとき、言葉に表現される表の思想は、持続力をもつのではないだろうか。」なによりもこの鶴見のことば自身が、いくつかの倍音と和音を含みながら、深い余韻と持続を読む者のこころに響かせる。ためらい、とまどい、葛藤し、迷い、せめぎあう。それがことばに、文章に、持続をもたらし、力を与える。私は鶴見の文章のページをそっとカッターナイフで切り取り、その紙片を通勤カバンにしまいこむ。「内面の小劇場」。そのタイトルをこころのなかで何度も反芻しながら、私は一人帰路についたのだった。