カテゴリ:農苑より
今週から(2日~)、ついに本格的な雪の季節。
しかし、田畑の開墾作業はまだまだ続く。 天気が悪いせいもあって、週の半分くらいは作業ができず、 美深町文化祭へ参加したり(特に女性の二人は、ストラップ作りの講師もつとめた)、 センター内で今後の農哲学院について話し合ったり、事務作業をしたり、 はたまた、8日(土)はみぞれの中、稚内へとドライブに出かけたりした。 晴れた日。 名寄にある地面での田んぼ造成作業。 この地面はもう30年以上も休耕田になっていて、木や草が生え放題。 特に奥の方の地面はヤナギや白樺の木々がまさに乱立して、もとの林に還りつつある様子。 しかし、水は豊富だ。 奥のため池から染み出してきた水、沢から流れ出てくる水で、地面は常に水のある状態。 この地面はなんとかして、開墾し、田や畑にしたいというのはかねてからの計画であったが、 機械(鉄のキャタピラーのユンボ。10月末到着)が今までなかったのと、笹刈り等に忙殺されて、 いよいよ秋も深まってきたこの時期になんとかできることになったのだ。 木とユンボのバケツ部分を太いバンドで結びつけた後、ユンボのバケツを動かしたり、ユンボ自体を動かしたりして木を引っこ抜く。 抜いた木は一ヶ所に集めて、チェーンソーで適当な長さに切って今後の薪の材料にする。 ![]() この地面には何百本も木がすでに生えているので、かなり時間のかかる作業であることは間違いない。 おまけに、途中雪が混じってきたりもして、動いているなら感じない寒さもユンボの上からではジンジンとくる。 正味2日間半で、全部で1町部以上はあろうかと思われる面積のどれくらいが終わっただろうか、まだ5分の1もできていないだろう。 しかし、こんな大変だと思われる作業もそれほど辛くない。いやむしろ楽しい。 今時分、16時過ぎには暗くなってきて仕事にならなくなってしまうが、 その時間があっという間にやってくる。 自然に触れるということは、こんな接し方もあるんだという新たに沸き起こる思いが楽しくさせているのだろうが、この農哲学院ではこんな風に機械を使う作業も実はけっこうあったりする。 もちろん手作業も多いのだが、だからといって機械一切を否定するのではなく、 機械を使う人の心を一番の問題にしているのだ。 今までの文明を支えてきた、機械を含めて、万物を単なるモノとして扱ってしまうその心が一番の問題なわけで、この文明のすべてを否定することはできない。 だからこういう機械を使う時、常に感謝の心を持って彼らと接することが大切。 もちろんそれはどんな小さな作業でももちろん同様だけれど。 木々もむやみやたらに切り倒されたのではたまったもんではない。 倒されることによって何かの役に立てればという思いがあり、快く犠牲になってくれるのだ。 「そういうことなら、わかりました。この命を捧げましょう。」 おそらく、昔の日本(といっても50~60年くらい前までは)はどこでもそうだったのだろうが、自然にあるものをやたらに破壊することは極力避け、どうしてもそうせざるを得ない時は、祈った。ひたすらに、ひたむきに。 八百万の神というけれど、万物にはすべて命が備わっているはずなのだ。 それを感じずに、感じようともせずに、むやみに破壊してしまってはいけない。 非常に危険なことだ。 この作業も慎重にならなくてはならない。 どう接するかということを常に考えなくてはならない。 彼らと真摯になって向き合ってみるとき、そのうち何か答えを出してくれるはずだ。 まだまだ、そこまで至っていないので、答えを得たわけではないけれど、 少なくとも向き合い続けてみようと思っている。 日本全国、どこもかしこも道路工事だらけだけれど、自然に対する畏敬の心は失ってはいけないと思う。 by Yasu ![]() ↓ ![]() 作業前(上)と作業後(下) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.01.01 18:54:41
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