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テーマ:ニュース(99464)
カテゴリ:政治関連
いろいろ考えてると時間ばかりが過ぎていきそうなので、ひとまず書き留めておきます。
この演説、英語だけでなく社会科でも歴史でも政治でも、小学校から大学まで、非常に幅広く教材として使えると思います。 さて、最初に但し書きしておくべきなのが、彼以上にノーベル平和賞受賞にふさわしくない人物はいないかも知れないと、誰よりも彼自身が認識した上で、断れたかも知れない賞を敢えて受賞し、今回の演説に臨んでいるという点です。 とりあえず、信念の押し付けとか、報道内容だけに流されてしまうという反応からピックアップしておきます。 ・「正当な戦争」失望と憤り=オバマ氏受賞演説、被爆地に波紋 『オバマ米大統領が10日、ノルウェーのオスロで行ったノーベル平和賞の受賞演説に、被爆地の広島と長崎で波紋が広がっている。「時に武力は必要だ」と、戦争容認と取れる発言をしたオバマ氏に、被爆者は核廃絶に向けた活躍に期待を寄せながらも、「戦争肯定は間違い」「良い戦争と悪い戦争があるのか」と失望や憤りの声を上げた。』 いかにも扇情的な書き出しですよね。内容についての個別の反応はひとまず後回しにして、出来ればまず原文をご覧下さい。 ・英語:Text of Barack Obama's Nobel Peace Prize acceptance speech(The Christian Schience Monitor) ・日本語:オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(朝日) 一番の要の部分はここでしょう。 "So yes, the instruments of war do have a role to play in preserving the peace. And yet this truth must coexist with another - that no matter how justified, war promises human tragedy. The soldiers courage and sacrifice is full of glory, expressing devotion to country, to cause and to comrades in arms. But war itself is never glorious, and we must never trumpet it as such." 『そう、だから戦争の手段というのは、平和を保つうえで役割を持っている。しかしこの真実は、また別の真実と共存せねばならない――いかに正当化されようとも、戦争は人類に悲劇をもたらすという真実とである。兵士たちの勇気と犠牲は栄光に満ち、国家、大義、戦友への献身を表す。しかし、戦争それ自体は決して輝かしいものではないし、我々は決してそのように持ち上げてはならない。』 戦争、または戦争で使われる道具・手段(兵器)は、平和を保つ上で役割を持っているという点。日本人には認めたがらない人が多いでしょうね。 "To say that force is sometimes necessary is not a call to cynicism - it is a recognition of history, the imperfections of man and the limits of reason." 『武力行使がときに必要だと言うことは、冷笑的な態度をとることではない。それは人間の不完全さと、理性の限界という歴史を認めることだ。』 では人間の不完全性の前に絶望すべきかというと、彼はそんな事は言っていません。 "But we do not have to think that human nature is perfect for us to still believe that the human condition can be perfected. We do not have to live in an idealized world to still reach for those ideals that will make it a better place. " 『だが、人間の性質は完全であると考えなくても、人類が置かれる環境を完全にしうると信じることはできる。世界をより良い場所にする理想を追求するために、理想化された世界に住む必要はない。』 とても冷静で、力強く、前向きな言葉ではないでしょうか? 他にも良い言葉は随所に盛り込まれてますので、ぜひ原文を何度か読んでみて下さい。 『正しい戦争』の定義は、オバマ自身の言葉と表現から拾い出して頂くのがよろしいかと。 補足としては、彼のこんな表現をご紹介しておきます。 "I understand why war is not popular. But I also know this: The belief that peace is desirable is rarely enough to achieve it. Peace requires responsibility. Peace entails sacrifice." 『戦争がなぜ不人気なのかは分かっている。だが私は同時に、平和が望ましいという信念だけで平和が達成できることはめったにないことを知っている。平和には責任が必要だ。平和は犠牲を伴う。』 私自身の言葉で補足するなら、なぜ国内の社会の平安を保つのでさえ警官などの暴力装置が必要なのに、国外との平和を保つのに兵士や兵器が必要でないと言い切れるのか、その点を見落としてはいけないということです。 同じ人種の言葉が通じる相手でさえ、言葉や良識への期待が何の歯止めにもならない事は日常茶飯事です。違う人種の言葉が通じない相手に、それ以上の期待をかけるのは、有事の際の備えをしないのは、無知であり無謀なだけです。何されても殺されても抵抗せず文句も言わない人達は、絶対に社会の多数派では無い筈です。 さて、ここから先は、最初に取り上げた扇情的な記事の扇情的な表現に手短に反論していきましょう。 「戦争を肯定しながら『核なき世界』を目指すのは矛盾している」 →全く矛盾していません。核が無くなれば世界は平和になるというのは、日本社会に多く見受けられる平和に対する完全なる誤解であり、ミスリーディングです。旧ユーゴ、スーダン、ソマリアなど、いくらでも実例は挙げられます。 「戦争を肯定することは絶対に正しくない」 →もしそうだとしても、戦争を否定するだけでは戦争は無くなりません。平和を守る為には戦う事も必要な場合があるのです。これまた歴史上の実例はいくらでもあげられますが、ヒトラーとそのナチスドイツの膨張を許したのは、「戦争は良くない。避けるべきだ」という周辺諸国の対応に一因があったというのは有名な話です。 「戦争で犠牲になるのはいつも非戦闘員」 →これも完全な間違い。あるいは絶対に半分は間違い。多くの戦争で、当然ながら、戦闘員も犠牲になっています。兵士を悪者扱いしても戦争は無くならないし平和も保てません。記録上の問題とか定義の差とかもあるでしょうけども、非戦闘員と戦闘員とを区別するというのが近現代に入ってからですし、民族間戦争や宗教戦争など、互いが互いを皆殺しにしあったという例もいくらでもあるでしょう。 「平和のためと戦争を推し進めるのは被爆者の思いと反する」 →被爆者の思いと反するかも知れません。しかしその結果守れた筈の人々の命や平和な社会が失われたら、被爆者の方々は何とも思われないのでしょうか?被爆者の方々の心情は、守れた筈の人々の命よりも重いのでしょうか?言葉や心情や信条よりも重く、それ以上に大切なものがあり、優先される場合があるというのは、つまりそういうことなのだと私は思います。 「日本はかつて『正義のため、平和のため』と称して戦争を行った。日本は過去の反省を生かし、『平和のための戦争』の危険性を率直に伝えてほしい」 →既に記事中でも紹介しましたが、オバマ自身何通りか触れてます。神の名の元にとかも。『平和のための戦争』を忌避したがる心情を察することは可能ですが、同時に私は思うのです。平和のための戦争を忌避する余り、守れた筈の平和の為に戦わず、結果として平和や大量の命が失われることの方が大事なのではないかと。 『平和を守るための戦争』を完全に禁じてしまうのは非常に危険なんですけどね。昨日書いたヨタ話みたいな状況に陥っても喜んじゃう人達はもしかしたらいるかも知れませんが、民族粛清みたいな境遇に陥ってる人々を救う為の実力行使とかも禁じようとするのは、自分の信条>他人の命、としてる時点で、私はあまり好感持てませんが。それは多くのテロリスト達が実践している不等式でもあります。 まぁ、そもそも平和とか、平和を守る手段とかについての議論は永遠の平行線を辿ることが多いのでこれ以上深入りはしないでおきます。 オバマの核兵器に対する考えとか、極東ブログさんのいくつかの記事が非常に参考になるのでご紹介しておきます。 ・米国オバマ大統領の核兵器廃絶論が行き着く平和 ・オバマ大統領の言う、核兵器なき世界の実現にともなう困難に幻想を抱かないということ ・オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説抜粋 あと、おまけ的に付け加えておきますが、このオバマの演説、中国を指して言ってるんだろうなという箇所もいくつかありますので、ぜひ見つけてみて下さい。 ではでは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.15 01:38:28
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