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総得票数 4万票余
この厳しい編実、数字を見ると 「多くの国民は危機感が薄いんだ」 「多くの国民は分かっていないんだ」 「マスコミは偏向している」 「出馬から時間がなかった」 「雨が降り続き、訴えを浸透する時間がなかった」 などつい、他者を指差して、敗因を分析したくなりますが、直視することから、始めなければなりません。 そのようなところから、「教訓」は得られません。 負けるには、負けるだけの理由が、自らの側にあるのです。 やはり、自ら、あるいは陣営のどこが足りなかったのかと自らを指差す以外にないのです。 痛感するのは、自民党、公明党、共産党などと比較して、日常活動の圧倒的な不足でしょうし、ネットワークの構築を怠っている。ということでしょう。「足腰」が弱すぎるということです。 選挙は、選挙期間中だけではなく、選挙前からつまりは選挙終了後からすでに始まっている。ということです。 そして何よりも、「本当に勝つため」の選挙を行ったのでしょうか? 私は、否だと思います。 確かに、党本部は、「(東京では)街宣車を出さない」「チラシの部数の不足」 など「本気度」はなかったように思えます。 そのような気配は、応援する側にすぐ伝わってきます。 もうこうなると戦というより、「自己主張」「自己満足」の世界に入っていきます。 これでは絶対に選挙には勝てません。 こんな暴露話をするのは気が引けるのですが、やはりここは冷静に「敗因分析」を行うためには言っておかなければならないでしょう。 私は、当初、この選挙勝つためには「国旗を前面に打ち出さない」「街宣右翼を近付けない」という提案をさせていただきました。(私は、最終日最終の演説の際に、自らその禁を破りましたが。。。)そこで帰ってきた答えに、私は眼を疑いました。 ある方は「騒ぎにでもなれば、マスコミが取り上げてくれる」などというではありませんか。。。 このことは、私は、田母神氏の都知事選、総選挙での戦い方の違いから学んだことです。 都知事選では、水島氏という総合プロデューサーが選挙を取り仕切り「勝つため」にいくつかのことを封印することを支持者に求めていました。 この「言いたいことを言って当選しない風潮が悪い」 だから不都合な事には、選挙戦になると口をつぐむ。 「拉致問題」などその最たる例でしょう。 本気で拉致被害者を奪還するにはどうすればよいのか? どの政党も、言いません。言うのは「話し合いで」「平和的に」「許せない暴挙」などという空虚な言葉だけです。 このような風潮は、是正する必要があります。 だからこそ、私は、赤尾由美さんに演説で「拉致問題」について少し触れてほしい。というお話をさせていただき、取り入れていただきました。 これは国民としても「聞きたいこと」の一つではないかと思います。 このような過剰な「配慮」これは是正していかなければならないところです。 しかし、やはり、多くは「国民の聞きたいこと」「知りたいこと」をこそ重視すべきなのです。 私は、赤尾由美さんの「祖国日本のお国柄」「日本人らしさ」という主張には、十分説得力もあったでしょうし、今こそ祖国再生のために必要なことだと思います。 日本人らしさとは「愛と調和と感謝」まさにそのとおりです。 このことは、政党の壁を越えて、支持不支持を越えて、多くの方々に共有してもらいたいものです。 一方、総選挙のほうでは、総合プロデューサー不在のまま「言いたいことをいう」戦い方に変貌しました。確かに、知事選の戦い方に「未消化」の部分があったのでしょうが、「言いたいこと」だけ言って、選挙に勝てるわけはありません。 勿論、言いたいことと、有権者の聞きたいことが一致している場合は別です。(まああまりそのような例はないでしょう) また私たちの主張が多数派を占める場合も別です。 私は、この場で何度も言っていますが、我々は少数派なのです。 ですから、今回のブログの冒頭に「票数」を示し、この数字から目をそらしてはならないという意味の言葉を出したのです。 あくまでも選挙は、集会など、自らと同じ考え方を持つ人を集めるものではありません。不特定多数の共感を得なければならないのです。 そのためには一般の方々に「怖い」と思わせてはなりません。もうそこで素通り間違いなしです。 「怖い」と思わせるのは「政府」に対してです。 「騒ぎが起これば」というのはたとえ冗談でも決して口にすべき言葉ではありません。 「騒ぎになれば」一般の有権者の心をつかむことはできません。 野次馬は増えるかもしれませんが、それは票には結びつきません。 我々の主張が、一定数以上の票数を集めることによって、「無視しえない」そう感じさせることは、重要です。 残念ながら4万余票では、そのような効果すら発揮しません。 選挙序盤、自らの支持者を固める。という点で、私は、一定の理解をしますが、最後までその流れの中にいてはならないのです。徐々にウィングを広げる努力を見せなければなりません。 これは米国における大統領選の予備選と本戦の戦い方と同じです。 さらに我が国の選挙では、「どぶ板選挙」「川上から川下へ」という金言があります。 「握手の数は嘘をつかない」というのは、この金言が、今なお正しいことを示しています。 私が、今回の選挙で間違いなく負ける。こう確信するまでには全く時間がかかりませんでした。 「赤尾敏さんの亡霊」を前面に打ち出したのです。。。 私は、赤尾由美さんの個人的魅力で「勝負できる」と思っていたのですが、そうではなく赤尾敏さんの血縁、後継者であることを前面に打ち出したのです。 私が、なぜ、恥も外聞もなく、「幻の演説原稿」を世に晒したのは、「赤尾敏色」を消したいがためであったのです。演説の動画をアップしなかったのもそのためです。 私は、赤尾敏さんを嫌いではありませんが、その思想は、多くの国民の受け入れるところにはなく、一部の信者を除けば、知っている多くの方々にとっては「(怒ってばかりいる)怖い右翼のおじいさん」あるいは「ピエロ」のような存在でしょう。少なくとも多くの若者は知りません。 私は、赤尾由美さんに日本のルペンという位置づけを当初期待していたのです。げんざいなぜ、仏国において大統領選の決選まで残ったのかといえば、「父親」を切り捨てたこと。その路線を変えたことにあるものと思います。「ネオナチ」的な言動から脱皮したことによって、支持が広がったのです。(娘だからこそ路線の変更ができた。ともいえるでしょう。) 少なくとも前座は赤尾敏さんからは離れなければならない。そう考えたからです。 明日も続けます。 文責 上田 和哉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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