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産経新聞調べによる今回の選挙で民進党に所属していた前職、解散時民進党の公認予定だった元職、新人の当選者の数である。 「希望の党は惨敗した」云々言われるが、解散前よりも民進党の勢力は伸びたのである。 これは、「一人でも多く生き残るため」という前原代表の言う通りになった。ということである。 希望の党から出馬し落選した人、当選した人(比例復活した人まで)から、公然と小池都知事や前原代表への恨み節が聞こえてくるが、どうにかしている。三つ子の魂百までとでもいうか、民主党・民進党で見られた光景が再現されているだけと見る人は少なくなかろう。「民進党という泥看板では戦えない」こう多くの人々が感じていたからこそ、前原代表の合流提案に異論なく、一任したのではないか。(これは立憲民主党で当選した人も同じである。小池ブームに乗れば、落選から逃れると算盤をはじいていただけだろう) このあたりは、やはり民進党の悪しき文化そのものと言えるだろうし、やはり人は変わらないのだなと思う。 同じ人が看板(党名)を変えただけで、その人の評価が急上昇するなどということはあり得ないのである。 一部メディアは、しきりに、野党が一本化していたらと野党票を単純に加算し、自民党はこんなに議席を減らしていた。などという相変わらず「安倍総理の信任」という結果を認めたくないという駄々っ子ぶりを発揮している。悪趣味というか、いさぎが悪すぎる。 私も、野党一本化がなされていれば、野党議員は増加したとは思うが、大勢としての「与党勝利」は揺るがなかったものと思う。それは、民進党議員の醜態をさらすにすぎない、「民進党」から逃げ出そうとする政治屋の姿勢を国民は見逃すはずはないからである。(小池ブームが残り火を灯していたとしてもである。こんな情けない人たちに政権は託せない。誰もがそう思う。それは安倍総理への不満を上回る野党への不満である。野党政権の不安ではない。勿論野党には不満とともに不安が加わることになる) 民進党所属議員が自ら、今回の選挙は「民進党という看板では戦えない」つまりは負ける。こう考えてのネズミの大脱走が起こったことを忘れてはいないか。。。 一部メディアは「野党は勝てる」という現実を無視した彼らにとってのみ好都合な理想を現実のものとし、その上に理想を重ねるのであるから、「妄想」の類でしかない。言い過ぎならば、まあご都合主義の極みと言っておきたい。 小泉元首相の手による郵政選挙と比較してみれば、「ご都合主義」にすぎないことは一目瞭然である。 「郵政民営化」についてはマスコミはこぞって賛成していた。そして与党大勝という結果であった。 だが、中身を見れば、郵政民営化賛成票(与党票)は、反対票(野党の合算票)に比して100万票余り少なかったのだが、マスコミはその9事実をほとんど報じることはなく、「郵政民営化は信任された」と一色で報じた。 私は、郵政選挙がワンイシューつまりは総選挙を国民投票的に用いたものであるから、反対票が賛成を上回っていたとい合算根拠には、わずかながらでも正当性は認められる。(議席の上でも上回ったとは言うつもりはない。) だが、今回の選挙は「憲法改正」「国防・安全保障(北朝鮮問題)」「消費増税」など様々な争点があり、各党ともその主義主張には違いが認められる。(さまざまな争点があるのであるから、有権者自身の優先順位も異なる) このような選挙で、野党票を合算して、「結果は異なっていた」などというのはご都合主義以外の何物でもないのである。 民進党がそのまま残り、野党協力が達成されたとしても、その声に多くの国民が共鳴したとは思えない。 「希望の党」が民進党をほとんどそのまま呑み込んで(実態は民進党)その声が多くの国民の共感を得たとは思えない。(例え小池ブームの残り火が灯っていたとしても) ただ「安倍一強は認められない」というスローガンだけで、選挙に勝てるなどと思っているのだとしたら、選挙そのものを舐めているし、有権者を馬鹿にしすぎている。 戦後日本という歪な社会でありながらも「何でも反対」「我が国にとって必要不可欠な措置に反対だけする」政党には、これまでも政権を託したことはない。そして今後もない。 ここで民主党政権はどうかという声が当然上がるだろう。 彼らは「政権交替」という目的(目的は政権交代でしかなく、本来ならば手段としての「政権交代ではなかった)により、求心力を保っていたし、(目的が達成されたqからバラバラなものはバラバラになった)それなりに考えられたような政策も打ち出していた。キャンプシュワブ統合縮小案も、沖縄では話題とはなっていたが、全国的には大きな話題とはなっていたとは言えず、「米国との対等化」という目標もあったように思う。(構想の白紙ではなく、若干の手直しの手法という政治技術だけであれば、問題はなかったのだが、彼らは公約を契約とし、これに固執しすぎた。) まあ民主党の「対米対等化」が我が国が自ら守る能力を向上することによって、米国の影響力を減らす。というのではなく、ただ言いたいことだけをいうという代物だったことは、日を置かずしてばれた。) つまりは国防・安全保障に関しては何も考えていなかった。そして尖閣沖シナ漁船衝突事件が起こり、東日本大震災という未曽有の天災に見舞われた。その際に統治する能力が全くないことが示されたのである。(仕分けで、予算が出なかったのは、小さな問題でしかない) 私は、何度でも言っているが、この民主党政権への政権交代は、戦後日本という幻想を追い求める社会の必然であったと思っている。幻想は打ち砕かれた。だからこそ、今の安倍政権がある。戦後日本には必要な過程だったのである。 民主党政権の大失敗がなければ、今回の総選挙、自民党は大敗していたであろう。 国民としては、民主党政権にこりごりなのである。 それと同じ人が、党名を変えただけで当選できると考えるのは安直でしかない。 与えたのは「過半数に満たない議席しか与えない批判票」である。国民は賢いのである。 一部のマスコミは、国民のあの震える様な恐怖を忘れていたとでも思っているのだろうか??? 忘れてほしいとは願っているのだろうが。。。 「安倍内閣を倒せ」「安倍一強体制阻止」というスローガン自体は別段構わないが、「倒した後の青写真やビジョンがなく、何をするのかといえば「安保法制廃案」で国民は信頼を置けるのであろうか??? そん代物、ご免だ」 安倍総理に対する不満よりも、野党に対する不満が上回っていた。 私は、今回の選挙結果をこう見ている。 現状の野党に対しては、不安よりも不満が大きいということである。 不安は政権を倒せないが、不満は政権を倒す。だが、野党により多い不満があれば、与党が負けるはずははないのである。 希望の党が民進党とほぼ合流していたら「そこそこいい勝負になった」というのは幻想でしかない。 小池都知事の不用意な発言のおかげで、普通の選挙なら落選確実な人たちが生き残った。 小池さまさまというべきものである。 朝日新聞などは、小池都知事に足を向けて寝られないほど感謝すべきである。 小池都知事の国会議員時代、都知事としての実績がないことが、多くの国民の知るところとなり、それしか人がいない政党に対する不満は高まる一方であっただろう。それこそ大逆風が吹いていたであろう。しかも実態が民進党そのものでしかないのだから。。。 もともと小池都知事に「実態」はない まあ「幽霊見たり枯れ尾花」なのである。いずればれる。そしてばれた。ばれた以上、人気に火がつくことは絶対にない。 しかし、一度その人気を当て込んだものが、批判をする資格などどこにもないのである それでいて勝てるこう見こんだのが民進党の愚かな人々だったのである。 候補者・候補予定者が認めているように減少するのは当たり前の選挙で、その勢力が実際には増加している。 この事実を見れば、やはり世論に託す危険性を感じずにはいられない。 最も間接民主主義とは、世論なるものを素のまま政治に反映させないための英知の結集である。 文責 上田 和哉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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