A氏:たしか、戦争中の天皇が来る観兵式のことが書いてあったね。
「小便の川」というのが強烈な印象で、今でも覚えているよ。
私:陸軍の観兵式は一月八日だというから、厳寒だね。
これに大勢の兵隊が逐次集まる。
厳冬の代々木の原っぱの寒風に8時間くらい立っていなくてはならない。
問題はトイレだね。
近くの練兵場入口に小さな共同便所があった。
当時は水洗なんかないから、汲み取り式だ。
全員がここで用をたす。
小便が汲み取り槽からあふれて流れ出し、道路を横切って川となったというね。
A氏:これは実際に一兵卒で参加してみないとわからない事実だね。
これが言えるかで、その人が本当に参加したか、事実が分かるわけだね。
私:ところで、マッカーサー憲法には「国際間の紛争手段として戦争を放棄し、国の交戦権を認めない」とあるね。
では、「主権の侵害」という問題が出たとき、どういう紛争解決の手段が別にあるのかが明記されていないと山本氏は鋭く指摘しているね。
A氏:まだ、北朝鮮の拉致問題が表に出ない前だね。
「平和憲法下における主権侵害問題解決の原則」がない。
交戦しないのだから、外交オンリーかね。
私:この本を山本氏が書いているときは、金大中の拉致問題があったね。
これは日本の主権侵害なんだが、なんだか分からない政治解決となったね。
「紛争の解決手段はごまかしの政治解決」ということか。
A氏:北朝鮮の拉致はこの時期あたりからではないかね。
私:ところで、山本氏は「戦功を横取りして部下を憤激させた」としてマッカーサーをあまり評価していないね。
占領政策を成功裏に終わらせ、それによって政治家として名声も確立し、次のステップへ進むことだけ考えており、「平和憲法」も彼にとってはその手段の一つに過ぎないとしているね。
マッカーサーが大統領をねらっていたことは、戦後の歴史家が指摘していることだね。
A氏:ところで山本氏は厳密な意味での「命令」、いわば「命令形」は日本軍になかったと言っている。
命令だけですむなら、部隊長が命令文書にハンコだけ押せばよい。
それでは名指揮官とか統帥の神様とかいったものが存在する余地がなくなる。
そこで兵を動かすには命令以外のいろいろな要素があったという。
私:その要素を指揮官のタイプに分けているね。
4つになるというね。
1つは、教祖型だね。
部下は信徒だね。
命令なしでも尊敬で動く。
苦戦に強かったという。
そして、戦後、部下の罪を負って絞首台にのぼったという人はほとんどこのタイプだという。
2つ目は叱咤・煽動型だね。
代表的な人は辻参謀だね。
これはどうしようもない存在だったという。
好調のときはいいが、逆境に弱く、すぐ潰乱するといわれたという。
第3が暴行・威圧型。
誰彼かまわず撲りつけ、どなりつけ、「腹を切れ」というだけでなく本当に自殺に追い込むという。
ノモンハン事件では命令という形はなく強要されて3人の隊長がピストル自殺や割腹自殺しているね。
「恐怖政治」型だね。
第4が技能型。
特殊な技能が必要な部隊にある型で職人タイプだという。
山本氏は砲兵隊だったので部隊長はこのタイプで大変楽をしたという。
A氏:これらの型は組合せができ、一番多かったのは第2プラス第3型であったというね。
私:第4型を除き、これらは部下に集団ヒステリーを起させ、命令同様の効果をもつ煽動=軍人的断言法となるわけだね。
この分析をしていないと日本の近代戦は欧米の命令形発想では正確に語れないだろうね。