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カテゴリ:歴史
![]() ![]() ”鬼才”リーフェンシュタールによる1936年ベルリンオリンピック大会ドキュメント第1部!第1部となる本作では陸上競技を中心に、勝利の喜びと敗北の悔しさを克明に記録!■民族の祭典■ ベルリン・オリンピック1936 私:ベルリン・オリンピックが画期的な成功を収めたとして記憶されているなら、それはその映画「オリンピア」のおかげであろうと著者は言う。 A氏:監督は女性のレニ・リーフェンシュタールだね。 私:最初、彼女は映画女優としてスタートするが、次第に映画監督もするようになる。 A氏:この映画を一部見たが、苦痛に歪む選手の顔、力を込めた際に盛り上がる筋肉などの近接撮影が多いね。 私:これはエキスパートの写真家が600ミリ望遠レンズ付きの巨大カメラを使い、スタジアムの半分向こうから選手の汗まみれの顔を捉えることができたという。 A氏:棒高跳では12時間の死闘を、アメリカのアール・メドーズ、西田修平、大江季雄の3人でくりひろげて、夜10時半になってしまうね。 私:映画「オリンピア」の最初の公開は、オリンピックの2年後に、ヒトラーの49回目の誕生日である1938年4月20日に行われ、好評であった。 映画は第1部「民族の祭典」、第2部「美の祭典」の2本だ。 A氏:ヒトラーはスポーツをしないから、運動不足で、今で言うメタボだね。 私:ところが「オリンピア」の英語版では、ヒトラーは時々しか現われず、唯一のクローズアップショットは開会式で開会の辞を述べるときだけだという。 A氏:外国での評価はどうだったんだね。 私:パリではナチの鉤十字やヒトラーが写っている場面をいくつか削除したせいか、批判はなかったようだね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.18 06:45:07
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