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Ryu-chan6708

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2008.11.13
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カテゴリ:歴史


A氏:昨日の新聞は、例の田母神前空幕長参考人招致問題を報じていたね。
  今朝の朝日新聞の「私の視点」ワイド欄では、元自衛隊の陸将の志方俊之氏をはじめ、3人の人が違った視点でコメントしているね。
 志方氏憲法9条の曖昧さで、田母神氏が「キレタ」というようなことを書いていたね。

:軍人の上層部がすぐに「キレル」タイプでは、不適格だね。
  俺はたまたま、昨日、図書館に本を借りに行くついでに、朝日読売毎日産経日経と主な新聞をざっとみたが、皆、この問題をとりあげていたね。
  この問題は、二つに分かれるようだね。
  一つは、「過去の日本の戦争が侵略戦争かどうか」の問題。
  2つ目は、軍人の「言論の自由」という、「シビリアン・コントロール」問題だね。

A氏:朝日新聞の天声人語は、日本の占領時代、帝王のように君臨していたマッカーサー元帥がトルーマン大統領にいきなり解任される話から始めているね。
  当時、まだ若き宮沢元首相は、「シビリアン・コントロール」に目を開かれたとある。

日経朝日では、日本でも戦後、来栖統幕議長が、「日本が奇襲攻撃を受けた場合、超法規的行動をとらざるを得ない」と発言し、当時の金丸防衛庁長官は「シビリアン・コントロールに反する」として、事実上、議長を解任している例をあげている。
  読売も、自衛隊の最高指揮官は、総理大臣だからその総理大臣の政府見解に従うのは当然としており、「シビリアン・コントロール」として扱っているね。
  本来、軍隊とは、普通の企業組織と違い、「個人の自由」は極めて限定された組織で、上官の命令には従う厳しい規律を持った組織だがね。
 よほど、今の自衛隊は「自由」なのかね、それとも無統制なのかね。

A氏:軍隊での「規制なき言論の自由」となると、関東軍の「下克上」を思い出すね。

:それは、「日本は侵略戦争などしていない」という問題に関係するね。
  産経は、「シビリアン・コントロール」よりも、この侵略問題の方をもっと議論すべきだとして産経らしいコメントをしている。
  田母神前空幕長の論文は、俺は読んでいないが、日中戦争や太平洋戦争は、蒋介石、コミンテルン、ルーズベルトなどの陰謀の罠にひっかかったせいだということらしい。
   これを真面目にとれば、当時の日本軍は「謀略の罠にはまりやすい」「やわ」な軍隊だったということになるね。
  誇れる過去の歴史ではないね。

A氏:君のブログの「戦争で人が死ぬということ」によると、太平洋戦争の戦闘員の戦死者は陸軍165万人、海軍47万人で、広義の飢餓による死者の比率は70パーセント。
  
海軍
海没者海没とは、移動などの途中で輸送船が撃沈されて兵士が死んだことをいう)は18万人、陸軍は18万人。

司馬遼太郎は、日本は日中戦争、太平洋戦争と、なんでこんなバカな戦争をしたのか、しかし、日本人はそんなバカな国民でないはずだ、と明治から歴史をさかのぼる。
  「坂の上の雲」は日露戦争の戦いを書いているが、この頃の日本軍人は一流だね。

A氏:「明石大尉によるロシア革命への裏工作」があり、逆に「謀略」をしかけている。
  日本の戦国時代の武将のように「大人の謀略センス」を持っていたようだね。
  それがいつの間にか、列強の謀略の渦のような20世紀の植民地化時代に、「謀略に弱い」「罠にかかりやすい」な国家や軍隊に日本はなったのかね。

毎日新聞では、第3代防衛大学学長の猪木政道氏の言葉を引用し、1928年の張作霖暗殺事件以降、陸軍が無法集団化したと言っているね。
  これは山本七平氏が「一下級将校の見た帝国陸軍」でも述べているね。
  司馬遼太郎氏は、大正の末から昭和の敗戦まで、日本人は魔法の世界にとりこまれた日本史上でも特異な時代だとしている。
  司馬遼太郎はその原因に「統帥権」をあげているね。

A氏石原莞爾を参謀とする関東軍は政府方針を無視して、満州を攻略する。
  規制を受けない「自由」だね。
  ところが、石原莞爾1937年中央の中国への戦線非拡大方針に反して行動する前線に行き、中央の統制に服するよう前線に説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた(下克上の)行動を見習っている」と嘲笑される。
 武藤章の上司を無視した「自由」だが、その武藤も後に日米開戦部下の「下克上」にあっているというね。
  下克上参謀の典型は、辻参謀だね。

私:多くの戦死者は組織のシバリのない「自由な」下克上で無法集団化した日本軍犠牲者なのか、「国際的な罠にかかった」犠牲者なのか。
  多くの戦死者の意味は、田母神氏の世代は、いざ知らず、俺たち世代には重い事実だね。
 田母神氏は、軍人なんだから、専門家としてこういう軍事の歴史を論ずるべきだね。






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Last updated  2008.11.13 22:41:11
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