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カテゴリ:映画
監督 杉田成道
少しあらすじ 赤穂浪士の吉良邸討ち入り前日に逐電した瀬尾孫左衛門(役所広司)と、討ち入りに参加したものの大石内蔵助の命によって切腹を逃れた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)。 寺坂は困窮する赤穂浪士の遺族を訪ねて回る役割を16年かけて果たした。そんな時、寺坂はかつての盟友、瀬尾の姿を見つける。瀬尾はなぜ討ち入りから逃げたのか、やがて寺坂は元同志が抱えてきた秘密を知る。 感想 今年はやたらと武士を描いた作品が多く、「サムライシネマ」なるキャンペーンも行われている。 自らを律するストイックな生き様に何かを感じる日本人は多いと思うが、それを声高に叫ぶようなキャンペーンであれば御免蒙りたい。 それはあくまでも個人の内面から出発すべきものであって、強制されるべきものではない。考えすぎかも知れないが、チャンバラ好きでありながら、私は手放しで「サムライシネマ」を歓迎できないのである。 本作は誰でも知っている忠臣蔵の後日譚である。 討ち入りの前日に逃亡した孫左衛門と、討ち入りに参加していながら切腹を逃れた吉右衛門の16年後を描いている。それがなぜ「最後の」忠臣蔵なのか、はラストシーンでわかる仕掛けになっている。 吉右衛門の事情は冒頭部分で明らかにされ、ややあってから孫左衛門の秘密が明かされる。ここまでの展開は、今年のナンバーワンではないかと思うぐらいすばらしい。久しぶりに物語のおもしろさに引きつけられる作品に出会った、という気がする。 ところが、孫左衛門が内蔵助の墓前に参ったところで元赤穂藩の武士に因縁をつけられる件や、吉右衛門の突然の訪問を受けた孫左衛門が抜刀する件など、次第に不自然な展開が多くなる。 そしてラストシーンはまったく理解できない。(ネタバレを避けるため、具体的には書かない) 「それがサムライというもの」なのかも知れない。しかしそれを「今」描くという意味が理解できないのである。そしてこのシーンあればこそ「最後の忠臣蔵」なのだとしたら、私はこの作品を全否定せざるを得ない。 (ひょっとしたら私は「忠臣蔵」そのものを嫌いなのか?と今になって思う) 持ち上げておいて落とす、ような書き方をしてしまったが、役者はすばらしい。役所広司と佐藤浩市は貫禄の演技であるし、桜庭ななみも初々しさと気品を見事に融合させて見せている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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