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カテゴリ:銀の月のものがたり
その依頼を、彼は最初辞退しようとしていた。
闇の勢力が拡大するに従い、天使の数が激減している。より強い天使を、より戦える天使を創ろう、という流れになるのは、ある意味必然でもあった。 魔術と霊的医療の専門家である彼に話が持ち込まれたのも必然なら、実験体の人選も・・・・・・おそらく必然の流れであったのだろう。 ある日、強い意思を宿した瞳が印象的な天使の子が、ミカエルの訓練から帰るなり彼に言った。 「ねえ! 聞いてよ。私新しいプロジェクトに任命されたんだ」 幼さの残る白い頬を紅潮させ、誇りに満ちた緑色の瞳はきらきらと輝いている。天界のやわらかな陽の光に、白に近い淡い金髪がけぶるようだった。 「・・・・・・それで、受けるのかい?」 そのプロジェクトが何なのか、すぐに気がついた長身の彼は、相手の顔を覗きこんで確かめるように聞いた。もちろん、と若い天使はうなずく。当然だろ、そのために生まれてきたんだから。 「そうか・・・・・・」 相手に感づかれないように、彼はそっと嘆息した。 最愛のツインソウル、文字通り魂の片翼。 その彼女が――実際は天使に性別はないのだが、仮にそう呼ぶことにする――今回の被験者に選ばれたのだ。 辛くなるよ、と彼は言った。彼女の未来に何が待っているのか、彼には見えてしまっていたから。その誇りも必要性も、すべて理解してはいたけれど、できれば辞退してほしいとさえ思った。 しかし彼女はまっすぐに彼の眼を見て言い切る。 「わかってる。リスキーだってことは。でも私がそうしたいんだ。 ・・・・・・あのさ、こないだお前が悩んでたの、この仕事なんだろう? 話を聞いたとき、おまえならいいと思ったんだ。知らない人にいじられるよりは」 「そうか・・・・・・そうだね、私もそう思うよ」 一瞬の間をおいて、彼は限りない愛と哀しみを秘めた瞳でうなずき返した。 ……神は私になんという罪を犯させるおつもりか。 手を伸ばし、彼は愛する片翼を抱きしめた。その幸せな感覚を腕に刻むかのように、そっと目を閉じる。二人の背に純白の翼が透けて見えた。 翌朝、彼はその仕事を受けた。 手術はラファエルの管理のもとに行われた。 実際のオペは彼と黒カイルが交代しつつ行い、もう一人がデータをとってラファエルに報告、という形をとっている。 白く漂白されてたくさんの医療機器が置かれた実験棟は、もはや天界とは呼べない雰囲気だった。 求められている特質は、恐怖感を持たずに少々やられてもさらに相手に突っ込んでいく勇気。死を恐れないこと。 次元が高すぎて戦いに向かない天使の波動を落とし、戦いに特化した天使として、死の恐怖や痛みを快感として誤認するよう、洗脳すること。 それがどんなに残酷で危険なことか、彼にはわかっていた。 死や痛みや残虐さへの恐怖というものを取り去るかわりに、最終的な局面での生存意欲がどうしても少なくなる。 危機的な状況になるほど高揚してしまうために、闇や死をなんとも思わず、少々のことでわざわざそちらを選び取るような性質が生まれてしまう・・・・・・それは逆に、闇に引き込まれやすくなるということではないだろうか? しかし彼の思いとは別に、実験は着々と進んでいた。 手術台の上の彼女は、もう全身内部がぼろぼろと言っていい。 吐き気とふるえと涙をこらえ、表面的には冷静な無表情を続けて、彼はチューブを操作して彼女のチャクラの奥に当てた。 ごぼ、と音がして彼女が血を吐いたのがわかる。 苦しげにゆがむ顔を拭き、すぐさま抱き上げてやりたかった。もうやめようと言いたかった。けれどもそれは許されぬ。 奥歯を噛み締め、チューブをきつくきつく握って彼は操作を続けた。 彼の仕事のひとつは、ツインソウルの記憶の消去だった。 大事な特定のひとりがいては、戦闘員には向かない。まずそこを消さねばならなかった。 思いとはうらはらに冷徹なメスがツインソウルの太いコードを切断し、新たな回路を構築してゆく。 それは彼とのつながりが、積み重ねてきた時間が失われてゆくということだった。 彼女の眼は開いている。まぶたも動かせるし、見えてはいるはずだった。 だがもう彼のことはわかるまい。 なんとなくよく知っている人だ、くらいには認識しても、彼が誰であるか、彼女にとっての誰であるかは、もうわかるまい。 彼女の記憶とともに、自分の存在の半分が消えていくような感覚を彼は味わった。 この次目覚めたとき、彼女はもう、彼の隣にいた彼女ではない。 (愛しているよ。愛しているよ。愛してる・・・・・・) 心話というには低すぎるささやきを、彼は続けずにはおれなかった。 もう聞こえていないことは知っていた。 もしも聞こえていたならば、これ以上残酷なことはないということも知っていた。 それでも彼の魂は、失われようとする片翼に向かって、たったひとつの真実をささやかずにはいられなかった。 秘されるべき彼女の内部に進入し、辛い施術をする長い指の先から、罪が彼の心に這い登る。 そうだ、確かに他人に触らせるよりは、わが手を汚したほうがいい。この身に罪を背負ったほうがいい。 最愛の人をずたずたに傷つけるとわかっていて、あえて自分で選んだことなのだ。 血に染まった手に残るこの大罪とひきかえに、ほんのひとひらのかすかな愛でも、彼女のどこかに残ってくれればいいと願った。 手術の痛みに彼女の身体が逃げようと反応するのを見るたびに、彼の心に太い楔が打ち込まれてゆく。 施術が進んで痛みが快感に変換され、彼女の表情が徐々に変わってくることは、打ち込まれた楔に無数の棘が生えてくるかのようだった。 大方の施術がすべて終了し、彼女はうつぶせのまま手術台の上に乗せられていた。 包帯が少し巻かれているほかは全裸でひどい状態だが、観察のために毛布をかけることも許されなかった。 カイル、それと記録係の天使が、少し離れた壁際に立って彼女を見ている。 そこへラファエルがやってきた。記録係が現在の進行状況を報告する。 ラファエルはうなずき、指示を出して左の眉の上、右のまぶたと眼球ぎりぎりのところに麻酔の注射器のようなものを刺した。 彼女は恐怖の中で(それなに?)とラファエルに聞いたようだ。天使がなにごとか答えたらしい気配がつたわる。 ぼろぼろになった彼女は無気力で自暴自棄になっており、放置されていても逃げようという気もなくなってしまったのだろう。もはやラファエルに助けを求めることもないらしかった。 その様子を、彼はただひとり中二階の観察室から見ていた。 とてもカイル達と並んで見ていることはできなかったのだ。しかし、眼をそらすこともまたできなかった。 彼の愛を。彼の罪を。 しっかりと瞼に焼きつけなければならない。 吐き気がこみあげてきたが、彼はそれを無理やり押さえ込んだ。 両の目に、いままでこらえていた涙があふれようとする。 薄く開けた唇から大きく息をつき、その涙をもぐっと押さえ込んで彼は思った。 彼女は泣けない。 彼女は感じられない。 そうしたのは自分なのだ。 未来永劫、もはや自分に泣くことは許すまい。 彼女が癒されて本来の自分自身を取り戻す、そのときが来るまでは。 窓枠に両の手をつき、彼の長身は小刻みにふるえていた。 涙の涸れ果てた青灰色の瞳が、まばたきもせずに愛する人の姿を見つめる。 死ぬことも狂うことも泣くことも、彼は自分に許さなかった。 そんな権利は自分にはない。 ただ生きよ・・・・・・来るべき罰のすべてを負うために。 彼女がこれ以上苦しむ必要はない。 もう充分だ。 痛みが必要ならば我に与えよ。 苦しみが必要ならば我に与えよ。 すべての責は我が背に課したまえ・・・・・・ 愛していた 愛している 永遠に 神 よ ************* この【銀の月のものがたり】シリーズはimagesカテゴリでお読みいただけます。 →→登場人物紹介(随時更新) 拍手がわりに→ ☆ゲリラ開催☆ 5/7~5/10 満ちるウエサク一斉ヒーリング 5/12 一斉ヒーリング~地球へも感謝をこめて~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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