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プラトン「パイドン 魂の不死について」 訳は、岩田靖夫。 「パイドン」 ・・・ソクラテスの死刑執行の当日。 死刑執行になりそうな日の早朝、 友人のクリトンがソクラテスに脱獄を勧めた「クリトン」の続きです。 副題のとおり、「魂の不死について」の議論があります。 冒頭、友人のパイドンに対して、ソクラテスは、 若い哲学徒の友人たちへ、自分の後を追って早く死ぬようにと言い残します。 「人間にとって生きることよりは死ぬことの方がより善い・・」と。 ちょっとびっくり。 「哲学者は死を恐れない。 死とは魂と肉体の分離であり、哲学者は魂そのものになること。 すなわち、死ぬことの練習をしている者であるのだから。」 一方、 「すべての戦争は財貨の獲得ために起こるのだが、 われわれが財貨を獲得せねばならないのは、 肉体のため、奴隷となって肉体の世話をしなければならないからである。 こうして、これらすべての理由によって、 われわれは哲学をするゆとりを失うのである。」 肉体の世話ではなく、魂の世話をせよ、というのが結論になるのですが、 人が死に、肉体が滅びた時、魂はどうなるのか、 という議論が始まります。 途中、 大食や好色や酒びたりの生活をしたものの魂は、ロバの種族に入り、 不正や独裁政治や掠奪を選んだものの魂は、狼や鷹や鳶の種族に入り、 市民の公共の徳、思慮とか正義を実践したきたものの魂は、 ミツバチとか、スズメバチとか、蟻のような種族に生まれ変わったり、 再び人間に生まれ変わったりする・・・という。 ソクラテスは、ケベスとシミアスという二人の若い哲学徒を相手に問答を通した結果、 最後にこういう。 「よろしい、これで、魂が不死であるという点に関しては、証明は完了した、 と言おうか、それとも、どう思うかね」と問うと、ケベスは、 「はい、まったく充分に証明されました、ソクラテス」と。 ・・・おいおい、ほんとにそうか??? でも、魂が不死である以上、 また魂の世話の度合いによって、来世での生まれ変わりが決まるのだから、 私たちは、未来永劫、魂の世話をしなければならない。 これって、哲学?! ではなくて、ソクラテス宗教なんだろうな。 そうは言っても、 ソクラテスが毒杯をあおぎ、 毒が体の隅々までまわるまで部屋の中を歩き回り、 歩くのがつらくなってきて体を横たえて死にいたるシーンは感動します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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