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カテゴリ:書物・読書
![]() 「踏切の幽霊」は2023年刊行された高野和明の小説で、直木賞候補になった。 下北沢駅から150m西にある下北沢3号踏切でしばしば髪の長い女の幽霊の目撃情報があり、月刊誌記者がそれを調べるというストーリー。 詳細な取材に基づいた緻密な描写と隙のないプロットが続く文章構成で大変に面白い。また、感動的なストーリーでもあり、読後感も良い。おすすめ出来る! 誰が読んでも面白い作品だと思うし、エンタテインメント性に富んでいる。 (感動のツボは人によって違うのでその点はご了承下さい) この小説は1994年を舞台にしているが、小田急線の下北沢駅~東北沢駅は2013年に地下鉄化されて電車は地上を走っていないので、この小説の舞台になった3号踏切は現在は存在していない。 ところで1994年はねこまんまねこ氏が社会人3年目の頃であり、大学が明大前だったこともあり下北沢は勝手が分かるのでしょっちゅう酒を飲みに行き、確か小田急の線路沿いにあった夜中まで営業していたログハウス風のBarにもよく行ったのでこの辺りの当時の状況はよく分かり親近感がある。また、物語の後半で登場する函南町に近い箱根町の村、は、ねこまんまねこ氏が昨年の秋まで住んでいた熱海市からほど近い十国峠を抜けた辺りと思われる。 ところで、「幽霊」という概念および出現情報が多い国は日本とイギリスなのだという。おそらく日本では仏教思想の中で死んだ者の魂が成仏出来ないと「あの世」に行けずにこの世に彷徨ってしまう、という「成仏」じょうぶつ、という概念が浸透しているために、魂が彷徨う=幽霊、という世界観を全員共有していることが遠因であり、この概念のせいで幽霊が見えるという錯覚に陥りやすいのが原因だと思われる。イギリスの理由はよく分からないが、アメリカでは幽霊というよりはポルターガイスト現象というようであり、幽霊よりもゾンビー=「死んだ後でも動く人間」という概念が浸透しているように思う。中国、アジア、アフリカ等はよくわからない。 ちなみにねこまんまねこ氏はある時から幽霊というものを信じなくなった。80歳で亡くなった偉大なジャーナリストの立花隆さんは、死後の世界についてあらゆるアプローチで調べたが、「死んだら全てが無くなり「無」の状態になる」という結論しかない、と仰っている。ねこまんま氏は、又は「魂」のようなものが再生されて「輪廻」が始まるのか、又は生命体ではない別の何かに吸収されるのか、のいずれかだと思っており、「魂が遺恨により現世で彷徨い続ける」という亡霊とか幽霊のような状態にはならないだろうと考えている。
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最終更新日
2024.02.07 14:22:51
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