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日記はこれから書かれるところです。

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renqing@ Administrators 櫻井よしこ的なマスコミ・シボリック・エ…
足踏堂@ Re[1]:◆村山富市の再評価◆(10/04) renqingさん 大変ご無沙汰しております。…
renqing@ Re:◆村山富市の再評価◆(10/04) ご無沙汰です。 上記、同感です。 デ…

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2011.10.04
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カテゴリ:その他
文芸春秋を読んだ。

おもしろかった。

石原慎太郎、亀井静香、野中弘務の鼎談で、歴代でのどの内閣が最強だったかについて語っている。

大変興味深いことに、

亀井と野中は、村山富市を激賞しているのだ。

村山内閣の閣僚だった2人は、村山のリーダーシップを具体例を挙げて論じている。

閣僚すべてが村山富市を信頼していたと言う。

石原は否定しようと躍起になるが、2人は動じず、評価を繰り返す。


さすがに文春として、村山を「最強内閣」にはできないだろうから、

話としては、石原の強く推す佐藤内閣がクローズアップされるが、

とにかく、世間での評価というのは当てにならないのだと思われた。


ジミー・カーターの外交手腕も、30年近く経ってから再評価されたが、

政治家の評価というのは、30年経たなければわからないのだろう。


そして逆に言えば、それだけ、現代民主主義というものが、憶測と偏見に塗れたものだということだろう。


歴史小説好きのおじさんが、偉そうに、歴史上の人物を、上から目線で、評価するのに似ているのかもしれない。

人は、自分の理解できたことだけを語る。

もちろん、それは世界の大きさの何万分の一にもなるものではない。





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Last updated  2012.03.09 16:01:59
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Re:◆村山富市の再評価◆(10/04)   renqing さん
ご無沙汰です。
上記、同感です。

デモクラシーに関して言えば、数千万人、数億人オーダーでは、デモクラシーはうまく機能しない、といえるのかも知れません。
それにしても、30年も経たないと、真実にたどり着けないことがあるなら、人間とは因果な生きものです。イリヤ・エレンブルグ「雪どけ」(1954)の「暗闇の中でも進まなくてはならないときがある。」という言葉をどこかで読んだ記憶があることをふと思い出しました。妄言多謝。 (2011.11.02 12:29:31)

Re[1]:◆村山富市の再評価◆(10/04)   足踏堂 さん
renqingさん
大変ご無沙汰しております。
deliberationなき民主主義は、ただの株価操作みたいなものですね。民主主義自体が目的となって、何のための民主主義か、という問いが消えると、民主主義はサバよりも速く生き腐れるものだと思います。大人数でのdeliberationを成り立たせようとしたのが、ミルの『代議制統治論』だったと思いますが、現代にはミルのような全員の幸福を求める(それが功利主義であっても)政治家はおりません。みんなの党が、「一票を平等に」と一生懸命訴えるのも、思想的根拠はゼロに等しい。渡辺喜美はJSミルなど名前も知らないのかもしれません。本当に、株価操作みたいな世の中ですね。

30年後の真実についても、ぼくは全く期待できないのです。renqingさんのエレンブルグの引用には、「少なくとも30年後」に対する「希望」が感じられますが(間違っていたらごめんなさい)、ぼくの感触では、30年たっても真実にはたどりつけない。

30年たって「真実」がわかったとしても、それは「実は~だったんですよ」という櫻井よしこ的な、消費される「真実」として語られるだけで、そこには真理に対する真摯な姿勢が欠けているように思われるのです。

まあ、そのうえで、私たちは「暗闇の中でも進まなくてはならない」のですが。
そうであれば、ぼくの場合、もはや、超人思想です。と軽く笑いながら呟いてみたりします。

また、お会いしたいですね。 (2011.11.09 14:08:30)

Administrators   renqing さん
櫻井よしこ的なマスコミ・シボリック・エリートを含む、リアリティの管理者たちを、かつてカレル・ヴァン・ウォルフレンは、アドミニストレイターと呼びました。そして彼らの最大の武器は「言葉」です。

「哲学的な眼で社会現象(human affairs)を考察するひとにとり、多数者が少数者によりやすやすと支配されているあのたやすさと、ひとびとが、彼らの意見や情念をすなおに彼らの支配者のそれにしたがわせているあの一も二もない盲目的なすなおさ(implicit submission)ほど驚異的に思われるものはありません。このような驚異的な現象を生み出している原因をたずねてみるとき、『実力』(force)はいつも被支配者の側にあるのですから、支配者側が支柱とたのむものが輿論以外にはないということがわかるでしょう。したがって、政府の基礎は輿論だけということになります。そして、この原則は、最も自由で最も人民的な政府にも、最も専制的で最も軍事的な政府にも、一様にあてはまります。」
D.ヒューム「政府の第一原理について(1742)」『市民の国について』上、岩波文庫(1992年)、p.226

事実としてdeliberation processが起こり得るかどうかは、力を持つ人々のopinion以外の、複数のopinionが存在しているかどうかに依存するでしょう。今私にできることと言えば、たとえブログにでも、言いたいことは書いておく、です。

何か機会がありましたら一声おかけください。都合のつく限り、参上します。 (2011.11.11 01:08:21)

Re:Administrators(10/04)   足踏堂 さん
renqingさん

櫻井よしこやみんなの党は、感情に訴えかける「言葉」を多用します。その意味で、彼らはdeliberationとは対極にいます。アリストテレスの政体区分における衆愚政は、まさにこうした「言葉」たちが生んだものでしょう。
現代はさらに複雑面倒で、官僚機構による行政のオートメーションがあり、政治家は、そうしたオートメーションと国民の政治との間の緩衝材くらいの役割しか果たしていません。その役割をうまく演じるかどうかの違いがあるだけです。どじょう殿は演じもせず、捨て身でオートメーションシステムを推進させようとしていますが。

いずれにしても、renqingさんのような、至極真っ当な意見を、多くの人たちは読めるだけの知性が無い。そしてそれだけでなく、そうした知性の無さを恥じるだけの善性(=倫理)もない。これが、株価操作の世界ではないかと思うのです。企業の《ほんとう》の評価よりも、操作された評価額。見る目が無い人々は、ただの金額の多寡でだけ、企業価値を判断してしまう。

衆愚政の入口には、こうした倫理の欠如があるように思えます。だから、口で何と言おうと、櫻井よしこは倫理の対極にいるように思えてならないのです。読売新聞が保守でもなんでもなく、ただの経済合理性で記事を書く新聞であるのと構造は一緒です。

見る目を養う。自分の頭で判断できるだけの批判思考を養う。こうしたことがおこりにくい。批判思考を唱えるのがビジネス書なのですから、彼らの頭はどうかしています。現行の経済社会を批判的に見れない人々が、どうして批判思考なんて言うんでしょうか?

われわれは新たな戦略を求められているのかもしれません。 (2011.11.12 14:22:27)

Re[1]:Administrators(10/04)   renqing さん
足踏堂さん

>見る目を養う。自分の頭で判断できるだけの批判思考を養う。こうしたことがおこりにくい。批判思考を唱えるのがビジネス書なのですから、彼らの頭はどうかしています。現行の経済社会を批判的に見れない人々が、どうして批判思考なんて言うんでしょうか?

 人間の生物としての著しい特異性は、記憶や過去を持つということだと思います。その人の生きてきた過去は、好むと好まざるとを問わず、既にその人間のアイデンティティの一部です。

「実務家(彼らは自分がいかなる知的影響からも全く免れていると信じている)たちといえども、大抵は過去の経済学者たちの奴隷なのである。」
ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論(下)』岩波文庫2008年、p.194

 自分の何事(何者)かの奴隷である、と気付くことは誰にとっても困難なことです。一番の解毒剤は、異なる時代、場所の事実や人物を知ることだと思います。その意味で歴史を知ることは大切で、私にとり現代の business society を異化させる教材は、我田引水ですが、徳川社会です。少なくとも、人口3000万人が200年間この列島に、自由貿易なしで、現代とは全く異なる仕組みで暮らしていたことは、この列島に生きる我々にとり重視されるべき事実だと思っています。

>われわれは新たな戦略を求められているのかもしれません。

ここ一世紀、人類が取ってきた経済成長戦略は、ゼロサムゲームという分配問題(=永遠の政治の課題)を、プラスサムゲームというパレート最適問題(=誰かの効用を引き下げずに誰かの効用を増す)に変換しする、問題先送り戦略でした。すでにこの戦略は飽和状態です。新たな戦略をとり始めないと我々の後の世代に禍根を残すことは明らかです。 (2011.11.13 15:49:51)


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