つれづれ画像
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前の記事で,蒸気機関車の炭水車をアップした。そこでふと考えてしまった。蒸気機関車には,タンク式とテンダー式があるが,その違いについて考えたことはなかったなと。 できるなら動態保存車に変更してほしかったこの蒸気機関車はテンダー式。 現役のときお召列車として活躍この画像はあるサイトからことわり無しに借りてきたものです。それから又,想像が飛躍した。燃焼機関には,内燃機関と外燃機関があるのを思い出した。蒸気機関車はどっちだったかな?と 蒸気機関車は外燃機関だった(Wikipediaから拝借)燃焼機関の概念はうちにはないねん。
2008/01/28
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C56炭水車1月24日深夜(25日未明),文化会館の近くにあったC56がJRの駅に移動された。機関車本体と炭水車が分離されて大型トレーラーで運ばれた。移動しなければならなくなった,いきさつはいずれまた,書くことにしよう。
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薩摩高城駅・行き合い昨日,始発の川内から乗り込んだ乗客は6人で,一人は次の上川内駅で降りた。それから六つ先の阿久根駅まで乗降客は全くなかった。阿久根で3人が降りて1人が乗り込んできた。そのまま野田郷駅まで走り,そこで高校生が1人乗ってきた。その高校生は,終点のひとつ手前で降りて,終点まで行ったのはたったの3人だった。これでは赤字になるはずだ。それにしても,昨日の運転士は無愛想だった。ワンマン運行で気疲れはするだろうが,「ありがとうございました」の一言くらい言ってもよさそうなものだ。バスでも電車でも降りるときには「ありがとうございました。」を言っているが,切符を受け取るときもブスッとしたままだった。阿久根市潟付近面白い写真が撮れそうな場所だ。
2008/01/19
あいず鹿児島中央駅に到着すると,乗客がすべて降りたのを確認して約7分間の車内清掃が行われます。その間,安全柵の扉を閉めるためにつばめレディーは手を上げて駅員に連絡します。完全に前ピン(右側のお姉さんにピントが合っている)だな,機会を見つけて撮りなおそう。
2008/01/16
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到着確認ヨシ(鹿児島中央駅)九州新幹線の車掌さんかなりカメラを意識していました。モデルお礼にプリントして上げようかな。
2008/01/09
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進路確認 ヨーシつばめ45号入構前確認シュッパーツ ドア確認ヨーシつばめ50号発車直後目の前でピカッとやられてびっくりしただろうな,車掌さんごめんなさい。新幹線レール新幹線のレールは,45cm~60cmくらいの間隔で留められていました。望遠で圧縮するとファスナーのように見えるわけですね。
2008/01/05
待ち合い:薩摩大川駅今日の仕事納めの式は,午後2時半から。午後零時59分発の川内行きに乗れば式に間に合う。予定通りこの列車に乗り込んだ。この列車の途中駅での待合は,野田郷駅と薩摩大川駅の二駅だ。3つ目の野田郷駅に到着しても上り列車は,やってこなかった。運転士が電話で連絡をとったならば,薩摩大川駅と西方駅の間が強風のため徐行運転をしていた。自分が乗った列車も薩摩大川駅を出発したら,時速25km以下ののろのろ運転だった。通常5分で走るところを10分近くかかって走った。降りる駅に着いたのは,2時15分,ようやく2時半に間に合った。 鉄ちゃん列車に乗り込んだら,鉄ちゃんがいた。駅が近づくたびに座席を離れて運転席横に立っていた。こうなるとマッチャンだって負けてはいられない,待ち合いをする野田郷駅と薩摩大川駅だけはポールポジションを獲得した。あとはいつも乗っている路線だからポールポジションは譲った。 おかしな運賃表降りるときに気づいたおかしな運賃表。普通だったら1番から順に運賃は上がっていくが,どういうわけか上がったり下がったりしている。
2007/12/30
薩摩高城駅入構午後零時37分に草道駅を出発すると,次の薩摩高城駅に向かいます。この駅では,下りの午後零時43分の列車と待ち合いです。前回は上り列車が早く到着しましたが,今回は下り列車が待っていました。上り下りとも同じ時刻の発車です。雨の中運転席の横で撮影したためにフロントガラスが濡れてソフトフォーカスになりました。野田郷駅入構野田郷駅では,上下ほとんど同時に入構しました,発車も,同時午後1時15分です。前回は,この駅では下り列車が先に入っていました。
2007/12/29
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待ち合い会議が終わって時計を見ると,肥薩おれんじ鉄道に間に合う時間だった。駅まで送ってもらって,早速,おれんじ鉄道改札へ。駅員さんが「今日はどちらまで?もう電車が入っていますから乗っていいですよ。」有難うを言って単行の列車に乗り込み,運転士に「草道駅で貨物列車との待合がありますか?」「あら,よくご存じで,3分間の待合ですよ。」「写真を撮りたいのでよろしく。」と,ことわっておいた。草道駅に着き小雨の中,列車から降りて貨物列車の通過を待った。連続撮影で10コマ近くシャッターを切った。急いでおられたほかの乗客のみなさんごめんなさい。待ってくださった運転士さんありがとうございました。
2007/12/28
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乗降口ドアオープン鹿児島中央駅にて
2007/12/27
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つばめすれちがい九州新幹線の各駅停車は,おおむね私が住んでいる駅で上りと下りがすれ違う。ただ,若干の遅れが発生すると,うまい具合にすれ違いを見られない。今日は実にうまいタイミングで見られた。10時42分発の上り(左)と10時43分発の下りだ。
2007/12/26
列車到着所用で二日連続鹿児島へ。天気が悪くシンボルの桜島サンはどこかにお出かけだったのか全く見えなかった。
2007/12/19
JR九州885系特急「白いかもめ」昨日撮影したのはこの列車だけだった。長崎⇔博多間の「白いかもめ」,博多⇔大分間の「ソニック」で使用されている885系振り子電車だ。ところで,禁止ワードがやっとわかった。言葉の意味も考えず並んだ文字列だけで判断するとは,さすがコンピューターだ。それは,カメラマンの後ろ二文字と,コートの最初一文字を組み合わせて「禁止ワードがあります」と判断していた。これは,プログラムした人が言葉をしらないからちゃんとプログラミングしなかったことによる誤判断だ。「この文字列はのぞく」の一言をプログラムに書き込めばいいことだけど・・・・・。楽天市場にこの商品がたくさん売られているし,小生も楽天で買ったのだから。これを思いついた時に,笑ってしまった。
2007/11/26
何これ? アップで撮ると絵が絵になりますね。あはは。
2007/11/21
今日は午後から急ぎの用事はないので,時間さえ合えば少しでも赤字解消になればいいから三セクに乗ろうと思っていた。駅についてみると,午後0時22分発の列車があり,それに乗った。運転士さんに,下りの貨物列車の待ち合い駅を尋ねると,草道駅だという。そこで,おじさんは運転席の横に陣取ってカメラを構えていた。 草道駅入構草道駅に到着したが,下り列車はまだ入っていなかった。3分間の停車だという。それでも,車内の一番前に立っていると,運転士さんは「降りてもいいですよ。」と言ってくれた。また「戻ってこられるまで待っていますから,陸橋の上から撮影されていいですよ。」とも勧めてくれたが,陸橋は両側に金網が高く張られているので諦めた。 貨物列車入構と運転士結局列車後部まで走っていき撮影したが,レンズが長玉をつけていたために中途半端になってしまった。 行き合いまた次の薩摩高城(さつまたき)では,下り列車と行き合った。貨物や次の列車との待ち合いを尋ねたものだから,運転士さんは鉄道写真家と勘違いしたようだ。ただのものずきおじさんなのにねえ。
2007/11/20
車両基地整備車庫内いつも列車内から見ていました。今日はこれから会議のためにお出かけです。
ご乗車有難うございました。鹿児島中央駅では,新幹線つばめが到着するたびに,次の列車に勤務乗車するつばめレディーのお姉さんたちがお出迎えです。手前のお姉さんは,かなりカメラを意識なさっていらっしゃいます。このあと,列車の中で後から乗り込んできた乗客の女性が,ニコッと笑顔を振りまきながら頭を下げてきました。開口一番「マッチャン先生ですよね。」「はい。」「パソコンではお世話になりました。」「ン?」すべてにおいて中庸の女性だったのでしょう,まったく覚えておりません。それにしても学校の先生はすごいですね,教え子をほとんど覚えていらっしゃるわけですから。
2007/10/29
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「おじいちゃん,安全柵で新幹線が見えないよ。」「よしよし,肩車して見せてあげよう。」「ワーッ,かっこいいなあ。」「○○ちゃん,髪の毛引っ張っちゃだめだよ。しばらく経ってから「○○ちゃん,またおいで。」そんな会話が聞こえてきそうな,おじいちゃんと孫ちゃんでした。ところで,「肩車」のことを,皆様方のところの方言ではなんと呼んでいますか?私のところでは,ずっかんかん です。
2007/10/10
NTT西日本塗色車両:水俣駅おれんじ鉄道は,全路線のほとんどが単線で,複線部分は阿久根⇔折口の間に数百mと津奈木⇔湯浦の間全区間のこれだけだ。当然のことながら,離合のための待合は駅で行われる。一度だけ,JR貨物が阿久根⇔折口の間で待合のために停車していたことがあった。このときは感激した。待合のための停車中の列車が宣伝塗色車両だったり,イベント車両だと普段見られないから得した気分になる。月曜日も,2回の待合が両方とも宣伝塗色だったのでかなり得した気分になった。 ファミリーマート塗色車両:肥後二見駅ところで上の水俣駅の画像に,白髭のおじさんが写っているが,撮影したときには全く気づかなかった。昨夜,RAW現像しているときに初めて気づいた。気づいたときに,「ドキッ」とした。下の画像のように,その日の服装と同じでブルーのシャツに暗色系のスラックス,それに白髭だ。撮影中に幽対離脱して自分のカメラの画像に自分を写しこんだのかと,思ってしまった。 月曜日の服装画像をよく見ると列車の運転席に帽子を置いてあるが運転士が写っていないことに気づいた。それを確認して安堵した。このおれんじ鉄道には,白髭のかっこいい運転士さんがおいでになることを思い出した。人の姿に気づいたときは,最初ゾッとした。
新水俣駅(おれんじ鉄道)昨日の八代行きで初めて肥薩おれんじ鉄道を全線走破した。上の新水俣駅は,新幹線開通とともに乗り換え駅として作られた駅だ。昨日は往復とも土日祝日だけ走る快速列車を利用したが,少し気になる車内放送がテープで流れた。それは,八代駅を発車してから(ここ重要)だった。「この列車は,快速出水行きです。次の停車駅は日奈久温泉駅です,途中の駅には止まりませんのでご注意ください。」停車中で乗降口が開いているのなら話も分かるが,走行中にこんなアナウンスが流れても,次の停車駅まで乗っていくしかないと思うのだが,途中で停車して降ろしてくれるのだろうか? 田浦御立岬公園駅(おれんじ鉄道)三セクの鉄道になってから出来た駅。ホームの先のほう左側のレールだけ曲がっているように見えるが,大丈夫?この駅が出来たのを知った,わが町のシャッター街のお偉いさんが,「この商店街がシャッター街に変わったのは,近くに駅がないからだ。商店街の近くに新駅を作ってくれ。」と陳情したことがあった。結局,この事案は却下されたが,今ではこの御仁は市会議員としてのうのうとお暮らしになっておいでになる。
2007/10/09
肥薩おれんじ鉄道車両とJR815系車両(鳥栖行き)この画像,撮影したときのファイル名がIMG_9999.CR2だった。ということは,記録メディアを装着しないでシャッターを切ったこともあるからこのデジカメで1万回以上シャッターを切ったということだ。IMG_0001.JPG(最初はRAW撮影はしなかった)の最初の画像が,昨年4月12日のだから1年半かかっている。どこに出かけるにしても,コンデジかデジ一を携行しているから,一日平均18コマはシャッターを切っていることになる。撮影したものを見ると,いいほうに解釈すると雑誌の『タイム』『ライフ』方式撮影,悪い言い方をすると「下手な鉄砲も数打ちゃ当る」だ。デジカメを使うようになりフィルム代がかからなくなって構図を考えなくなった,非常に悪い撮影方法だ。あのおっちゃんからいろいろ言われても仕方ないな。画像は,JR新八代駅まで乗り出したおれんじ鉄道の車両が八代駅にもどり,おれんじ鉄道八代駅に入構。
2007/10/08
肥後の城下町まで出かけると毛色の変わった電車が楽しめる。熊本市電超低床車両 とかJR九州811系車両などなど。したのJR車両「海老津」という駅がどこにあるのか知らなかった。九州新幹線や肥薩おれんじ鉄道の車両だけを見てるから,すべて新しい車両に見えてくる。
2007/10/07
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地元三セク鉄道肥薩おれんじ鉄道 上川内⇔草道
2007/09/23
本当の名前は知らない旧国鉄山野線 湯ノ尾⇔稲葉崎 間駅と駅の間を結んでいた信号線,それを線路脇で風雪に耐えながら立ち続けていた電柱。その様相から,鉄道ファンの間では「蝿たたき」と呼ばれていた。
2007/09/14
牛の川橋梁旧国鉄山野線 西山野⇔山野 間大口市内は線路跡がそのまま道路として整備され,この鉄橋も内側はコンクリート橋になっている。そのまま,南東へすすむと,右側に山野駅跡の駅跡4点セットが見えてくる。 4点セットのある駅跡山野から下っていくと,焼酎覚書がある郡山八幡神社の最寄り駅だった郡山八幡駅があったが,今ではその面影を知るものは全くなく駅舎の位置すら分からなくなっている。これから先,薩摩大口・西菱刈・菱刈・前目・湯ノ尾・稲葉崎・栗野と続くがろくな写真が撮れていないため,無期限で続きにします。
2007/09/12
薩摩布計駅跡四点セット廃線後20年も経つと,駅舎の場所すら忘れられてしまうようだ。廃線時,既に小学生以上だったと思うような人に尋ねても忘れられている。もっとも,20年前というと田舎では自家用車が普及し,列車の利用をしなクなっているわけでむりもないことだ。 西山野駅跡ここにたどり着くのに非常に苦労した。隣の山野駅は覚えていても,この駅を覚えている人にめぐり合わなかった。廃線後,すぐに線路は撤去され駅のすぐ脇の山を切り開いて,老人ホームが建設されたために地形が一変した場所だ。 廃線前の薩摩布計駅 撮影1982年奥のトンネルが前の記事のトンネル。 ある春の薩摩布計駅 撮影1985年撮影された,ナカチャンに感謝続く
2007/09/09
布計踏み切り跡薩摩布計⇔西山野間薩摩布計駅跡から大口市街地方向へ少し下ると,新道と旧道がわかれていた。旧道に入るとすぐに踏み切りの跡が残っていた。 ボックスはそのまま踏み切りの警報機は撤去され駅跡に,「駅跡4点セット」の部品として展示されているが,傍で仕事をしていたボックスはそのまま放置されていた。置き去りにされ,草むらに埋もれた姿にものの哀れさえかんじる。踏切から新道を少し行くと,左側の藪の中に出入り口をふさがれたトンネルが数多く見られる。続く
2007/09/08
遺構旧国鉄山野線久木野⇔薩摩布計間 ループを抜け上のトンネルを抜けると,崖の上高いところを線路が通っていたようです。これから先,薩摩布計へといくつかのトンネルを潜り抜けながらすすんでいきます。あとにも先にも山野線を利用したのは昭和37年薩摩大口から水俣まで1回だけでした。当時ループ線があることだけは知っていましたのでディーゼルの一番前に陣取って,移り行く風景を眺めていました。トンネル内で派手にカーブしていることだけは覚えています。 薩摩布計駅手前のトンネル久木野からやってきて,駅手前の最後のトンネル。 薩摩布計駅跡金山で栄えたこの駅も鉱山閉鎖とともに急速に衰退していきました。近くには,最近の戦争映画でロケに使われたふるい小学校の建物が今も残っています。続く
2007/09/07
旧国鉄山野線 久木野⇔薩摩布計間。シメジ栽培場の建物を過ぎ切通しの中を歩いていくと,トンネルにたどり着く。大川ループの入り口のトンネルだ。現在は入り口がコンクリートで覆われていて中に入れないが,上部には通気のためか,はたまた中に棲みついた蝙蝠のためかはわからないが小さな穴があけてあった。トンネルの近くは木や萱に覆われて近づけなかった。このトンネルを抜けると見晴らしの良い大川ループの上段に出て,それからもうひとつのトンネルに入り薩摩布計へと進んで行った。この大川ループの上段に登ってみたいのだが,写真撮影のときに怪我をして入院という前歴があるために母親からは「頼むから一人では行かないでくれ,」ときつく言われている。 横から見た位置関係宇宙から見ると, Google Earth画像続く
2007/09/06
近くから見ると旧国鉄山野線久木野⇔薩摩布計間 采の木橋梁枕木とキャットウォークは残されたままです。(下の画像) 鉄橋の上部鉄橋を渡り終えると,県道15号線を横切り,切通しを抜け大川ループへと進んでいました。続く
2007/09/04
置き去りにされた橋梁旧国鉄山野線久木野⇔薩摩布計(さつまふけ)間
NTT西日本塗色隣の市で開催される森林組合の総代会に出席するために,肥薩おれんじ鉄道の駅へ。赤字解消のために特別色に塗られた車両が停車していた。これに乗りたかったがこれで行くと間に合わないから断念した。熊本鶴屋百貨店塗色帰りは,土日祝日専用の快速で帰ってきた。熊本方面に向かう乗り換え車両は,デパート塗色の車両が待機していた。両車両とも乗りはしなかったが,実際に待合で待機していたのを見られたのはラッキーだった。残り後1車両,鹿児島のデパートの塗色車両が残っている。
2007/08/25
ホームから見たホームの風景今日は会社の株主総会だった。非常に厳しすぎる決算内容で株主の皆様には申し訳なく思っている。といっても,直接営業にタッチさせてもらえないから,何にも言えない。同族会社で外様大名は少なく,「ご尤も,ご尤も,あんたが大将,シャンシャンシャン」ですぐに終了。社長以下,役員,社員のみなさん今年度はぐあんばってたくさんの利益を上げて頂戴よ。
2007/05/22
九州新幹線800系先頭車両「鼻が長くてかっこいいね」と言ったので,「私と同じだ」と答えたら,「バカを言うな,おまえは鼻の下が長いんだ,言葉は正しく使え。」と切りかえされた。やぶへびだった。北東の方角から「そうだそうだ」という声も聞こえてきそうだ。
2006/11/28
それぞれ待ちぼうけ新幹線が終着駅の鹿児島中央駅に到着する間際,これから乗り込む人,駅員さん,車内清掃のおばさんにお姉さん,おじさんにお兄さん,出迎えの人,それぞれどんな思いで列車の到着を待っているのでしょうか?ひょっとしたら,「あのおじさん,また写真撮ってる。」と思っているのかもしれない。