新春、22年ぶりの歌舞伎鑑賞@歌舞伎座
1月10日、初釜の余韻に豊かな気持ちに浸っていた私達夫婦は、その足で東銀座にある歌舞伎座を訪れる。夫婦着物姿で迎える新年の休日というのは、今年が初めてのこと。そして、着物姿で遊ぶのに相応しい場所はどこか?と考えてみて思い浮かんだのが、歌舞伎座であった(右写真)。実は、歌舞伎のことは殆ど知らない。関心は無くも無いが、永年、敷居が高いというイメージを持ち続けていた。過去の記憶を紐解くと(実はチケットの半券をファイルしている)、22年前に1度だけ観たことがある。それは、新橋演舞場で観た市川猿之助さん、演目は「碇知盛」と「吉野山」だった。当時、「ヤマトタケル」で、そのアクロバティックな歌舞伎が一大旋風を巻き起こしていたこともあり、観に行ったのであるが、それが最初で最後。歌舞伎座に入るのも、1988年夏、SKD(松竹歌劇団)のラインダンスを観た、1度きりである。22年前と言えば、私もまだ24歳。当時、筋書きを読んで観劇に臨んだものと思うが、良く分からなかったというのが、正直な感想。日本の伝統文化を、そのパフォーマンスを、一応、経験したというところで終わり、以来、遠ざかってしまった。しかし、この1年、茶の湯を学び始めたことで和文化への関心が高まり、またNHKの大河ドラマで歌舞伎役者が活躍する演技を多く見るにつけ、自分の中での歌舞伎に対する印象も、より身近なものとして感じられるようになっていた。まだ開演まで2時間以上も前に歌舞伎座に到着した私達は、目出度く、夜の部の当日券を手に入れる。演目は、「壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」「鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)」である。歌舞伎座も来年、改築のために閉じるということで、今月から16ケ月間、"さよなら公演"と銘打たれていた。(下写真:終演後、歌舞伎座前に掲げられた演目を見る) さて、22年ぶりに観た歌舞伎の感想はというと、実に面白かった。そして、楽しかった。開演前には、そういう感想を持つとは思ってもみなかったのだが、これも音声ガイドの助けあってのことだろう。舞台の進行に合わせてストーリーや背景、演出、また衣装や音楽なども解説してくれる。これが無ければ、面白さを理解することはなかったであろう。さらには、ほど良い照明が、手元の公演パンフでストーリーや出演者を確認させてくれたので助かった。舞台の進行にあわせ、公演パンフで役と出演者とを対比しながら、顔写真を見た私は、その豪華出演陣に驚く。歌舞伎に縁のない私にとっても、そこにはテレビで見て知る顔、顔、顔。一幕目の「壽曽我対面」、目の前で主役を演じるのが、かの松本幸四郎さんだと知り、まず驚いた。曽我兄弟の仇、工藤祐経役である。その存在感の大きな役柄には、「これぞ歌舞伎だ!」と感じたものである。そして、曽我兄弟、その静と動、対照的な役を演じるのは、尾上菊五郎さんと中村吉右衛門さん。とにかく素晴らしい舞台であった。曽我兄弟の仇討ちという、歴史的事件をテーマにした「壽曽我対面」は、私が頭の中に描いていた歌舞伎のイメージにピッタリのものであった。しかし、二幕、三幕と見て、私の歌舞伎に対するイメージは随分と変わっていくのである。第二幕の「春興鏡獅子」は、中村勘三郎さんの舞が実に圧巻だった。獅子頭に翻弄されて踊る小姓の舞、そして勇猛な獅子の精として登場しての舞い。可愛い2つの胡蝶の精と掛け合う舞い、そして長い白い毛を振り回し、勇ましさを鼓舞する舞い。それらは、まさにエンターテインメントと言って相応しい。そして第三幕の「鰯賣戀曳網」は、中村勘三郎さんと板東玉三郎さんとの豪華な競演。それは、コメディタッチのハッピーエンドのお話。揚屋の女性に惚れた、鰯売り。何とか会わせてやろうという父親の思案で、大名に化けた鰯売り。しかしその女性、実は鰯売りの声を追った城下で、人さらいに会ってしまったという過去をもつ、お姫様だったという巡り合せ。そして、その後に続く奇想天外な展開。それが、三島由紀夫が書き下ろした作品というのだから、またその意外性に驚くのである。これまで歌舞伎について、敷居が高い物、難解な物という、イメージが先行しすぎていたように思える。この日、重厚なものから、エンターテインメント、そしてお笑い満載、と歌舞伎が持つ色々な魅力を見せてもらった気がする。しかし、私が感じた魅力もほんの一部だろう。まだまだ気が付かない魅力は一杯、詰まっている筈である。歌舞伎を始め、まだ知らね日本の伝統芸能は多い。歌舞伎と共に、文楽、能、雅楽、狂言、等々、機会があれば触れていきたいと思う。幕が下りた後、出口へ向かう途中、思いがけない方と顔を合わした。それは、昨年、お茶を通してお世話になった方で、ここ数ヶ月お会いしていなかった方。思わず「こんな所で」と、びっくりしたのであるが、きっと巡り合せてくれたのだろう。新年に相応しい場所で、新年のご挨拶も出来た。いいスタートが切れたと思う。今年は、人と人との絆を大切にし、そしてまた和の探求も進めていきたい、そう思うのである。初釜に始まった初春の一日は、まさに身も心も贅沢な一日であった。