ピガール監禁事件(4) 解放!
03年11月のピガール事件が起こる何ケ月も前に、私は司馬遼太郎の『翔ぶが如く』全10巻を読破していた。おこがましいが、私はこれに出てくるわが郷里のヒーロー西郷隆盛の印象を自分に重ね合わせ、寡黙にどっしりと構えて必要以上のことは口にしない、そういうイメージをもって仕事や生活をしていた。そういう心持ちの時期に、ピガール事件は起こったのだ。さて監禁されていた時間は2時間くらいだったと思う。ドツかれ、執拗に金探しが続けられた。しかし、いくらドツかれても金はなく、大先輩も地に伏したままで、夜が明けるまで持久戦を続けるかのようだった。とりあえず歯向かわなければ、傷つけられることも万が一の事態も起こらないだろうと信じてはいたが、そのまま解放されることは全くあり得ない状況だった。私も最悪の事態(セーヌ川に浮かぶようなこと)だけは避けねばならないと、どっしりと構えていたが、膠着状態となってからは、いかに早くこの状態から脱出できるかを考え続けた。そして大先輩に対して、支払い金額の交渉を行ないたい旨、耳打ちした。パリ駐在者としても、日本からの出張者、特に大部長に対してはこれ以上の迷惑をかけるわけにはいかないと考えた。私は、デビットカードで支払いできることを分かっていたが、(以前、「パリのカード事情」の中で書いたように)利用限度額設定があり支払い金額は限定されるため、減額交渉することで腹が決まった。 この暴力バーを仕切っている中心人物、彼だけは英語を理解していたが、私は目を見据えて、西郷隆盛の心境でどっしりと言った。「OK. We’re ready to pay, but please discount.」事態が動き始めた。「いくら払えるのか?」との問いに対して、「I’m not sure, but it’s around 1,500EUR.」と答えた。「それでは少ない」と言う。なにせ元々の請求金額は、5,400EURだ。そうしている間も、ポケットには金を探す手が横から後ろからと入ってくる。その人物が、カウンターに置かれた各々の財布の中のキャッシュカードやクレジットカードを1枚1枚チェックしていた。そして、私のSOCIETE GENERALEのカード、そのCBのロゴの入ったカルトブルーのカードを発見した。「お前はフランスに住んでいるのか?」と。そして、「これで払えるだろう」と言った。もちろんそのつもりだった。金額の交渉が始まった。正確には覚えていないが、4,000⇒3,000⇒2,000EURというように減額されていった。私は相手の目を見据えて、それは無理だと答え続けた。そして、私は冷静に説明を始めた。「このカードの利用限度額は週2,000EURだ。しかも今週既に使っている(直前にレストランでも使っていた)ので、せいぜい1,500EURくらいしか払えない。これで全員を解放することを約束してくれ。」と。解放については何度も念押しした。彼は了解した。そして、私のカードが決済用のハンディターミナルに差し込まれた。私が無理だと言っているにも関わらず、彼は2,000EURを入力した。PINコードを入力するが、当然、限度額オーバーで失敗する。1,800⇒1,600EURと連続して失敗し、「嘘を言うんじゃない」とドツかれ、カウンタのババアには怒号を浴びせられた。しかし私は動ぜず、「嘘じゃない。何度も言っているように限度額オーバーでAcceptされないのだ。」と説明した。そして、1,400EURに対してPINコードを入力した後、成功した。傍で状況を見ていたチンピラは、大幅に減額されたことに対して大いに不満気であったが、決済処理が完了し、その中心人物は約束通りに我々を解放した。私は、大部長と第先輩に決着した旨を伝え、用心棒が開けた入口のドアから外に出た。既に、午前2時を過ぎていた。外に出されたものの帰るタクシー代もない。大先輩はすぐさまバーに逆もどりして入口ドアを叩き、用心棒にタクシー代を要求し、20EURゲットしてきた。我々3人は複雑な面持ちで表通りをムーラン・ルージュの辺りまで歩き、そこからタクシーに乗って帰路についた。まず大部長をサン・ラザールのホテルで下車させ、自宅のあるPassyまで帰った。その夜、大先輩は私の家に宿泊した。今思うに、この時期『翔ぶが如く』を読んでいなかったら、同じように毅然とした対応が出来たかどうかわからない。本は自分に無い力を与えてくれることもある。