えー、昨日の続きです。カテゴリは「提言・提案」にしておきましょう。
銀治が撮影しながら考えてしまったのは、明暗の輝度比再現についてです。簡潔に言い換えるならば、なぜデジタル写真は銀塩写真の概念に留まっているのであろうか、なのです。以前から話をしている通り、人間の眼は大変優秀です。デジタルだからこそ人間の眼に近づいてもいいんじゃないか、と改めて感じてしまいました。
つまりこういうこと。
室内から窓にレンズを向けて撮影するときの露出って難しいですよね。何を表現したいのかで、室内に基準を定めて窓の外が明るい方が良いのか、窓の外を重要と考えて室内は暗くするのかで露出を決めます。しかしながら人間の眼には、瞬間的にどちらもきちんと見えています。しかし写真では表現することが難しいです。もしも両方を生かしたバランスが良い人間の視覚に沿った写真にするならば、室内へ屋外と同じぐらいの光量をセットして撮影すれば良いのです。でも窓が大きかったりした日にゃ、ライトのセッティングがめちゃめちゃ難しくなります。
なんで人間の視覚に近い写真がイッパツで撮れないのでしょうか。
ポジフィルムならば約5絞り、カラーネガフィルムならば約7絞り、白黒で露出と現像をコントロールしたならば約10絞りの輝度比を再現でるはずです。デジタルならどうでしょうか、いっぱいいっぱいで7絞りぐらいじゃないかと思うんですよね。
これってやはり狭い階調表現じゃないですか。
学校で習った記憶では、「紙ベースのプリントを作る際に階調が広いと明暗が間延びして「ねむい」表現になる」、「銀の黒化現象が全てにおいて一定にならない(いわゆる特性曲線の濃度変化や相反則不軌ね)ためにシャドーとハイライトは階調の圧縮が起きる」が主な要因でした。
しかし、デジタルの能力は違うと思うんですよね。銀と異なり光を規則正しく数値化できるのがCCDやCMOSの特徴だと思っています。相反則不軌とかも考えなくていいし。1回のシャッターでは表現しにくいですが、複数枚のRAWデータから擬似的に広い階調表現を作り出す方法が、HDRであります。去年からコソコソと実験研究していますが、ソフトウェア的な違和感はあるけれども、1枚の写真の中に銀塩では撮りにくい広域な階調表現を求めることができます。そして言われたように間延びした再現とも違うように思えます。
なんだか写真がデジタルに進化していっても、銀塩写真の呪縛から抜け出していないように感じてしまうのです。別に銀塩と同様なコントラスト表現にこだわらなくともいいと思うんですよ。それなのにデジタルカメラの設計段階にして、銀塩での階調表現を追い求めているような気がしてなりません。
平たく言えば、10絞りとか20絞りの光量差を一気に16bit RAWとしてCCDやCMOSで受け止めて、RAW現像のときに必要なコントラストコントロールをすることができればいいんじゃないか、と思う訳です。つまりちまちました感度設定ではなく、感度50~1600と感度400~25600みたいな幅で使えるってこと。
素人考えでは、「光量→電荷量」となるのですから、ある意味際限なく受け止めてくれるような気がするんですが。素子にも限界があるんでしょうかねー。
近い将来このような銀塩的感度概念が取り除かれたデジタルカメラが出てくるような気がします。つか、早く作って欲しいよ。
「駐車場」
SIGMA DP1
with HOYA R72 infrared filter
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「大口径開放戦線」
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この辺りの電子技術に詳しい人、教えてぇぇ!
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