カテゴリ:外国史
クロニクル 孫文臨時大総統に就任
1911(明治44)年12月29日 105年前になります。この年10月10日、湖北省の省都武昌で中国の革命派が挙兵しました。ここに中国では清朝の打倒を目指した辛亥革命が始まりました。革命派は、翌日11日には、武昌、漢口、漢陽の武漢三鎮を制圧、湖北郡政府を樹立しました。この動きに呼応して。中国革命の動きは燎原の火のごとき勢いで全国に拡大、各地で清朝からの独立宣言が相次ぎました。 この時、日本政府は清朝支援の方針を採りましたが、大陸浪人らは革命派を支援し、犬飼毅、頭山満、北一輝らは大陸に渡って活動しました。しかし、彼らもまた、革命派を支援しながら、満州等における日本の利権拡大を狙っていた点では、日本政府と大同小異でした。 こうした情勢の中、アメリカ亡命中だった孫文は、12月25日に上海に到着、この日革命政府の臨時大総統に選出されたのです。こうして、準備を整えた革命派は、3日後の1912年1月1日に、中華民国の樹立を宣言するに至ります。 しかし、各地で独立を宣言したのは、各地の軍閥配下の軍団で、必ずしも国民革命を支持したわけではなく、北京で力を持つ最大の軍閥袁世凱は、各地の軍閥の支持を受け、孫文らの国民政府擁立派を抑え、1912年3月10日に、北京で孫文に代わる臨時大総統に就任したのです。 孫文らの国民革命は、いまだ成就することはなりませんでした。国民革命の夢は、20年代末の蒋介石の北伐を待たねばならなかったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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