カテゴリ:民衆の歴史
クロニクル 元日本兵横井庄一さん発見
1972(昭和47)年1月24日 47年前のこの日、グァム島のジャングルで、元日本軍軍曹横井庄一さんが保護されました。横井さんは,この日川エビを獲っているところを現地の人に見つかり、保護されたのです。 1945年8月15日のポツダム宣言の受諾による、敗戦の受け入れ(なぜマスコミは、この降伏による敗戦を終戦と言い替えるのでしょうね?)を知らず、1人ジャングルで27年も生き延びてきた横井さんは、この時56歳でした。 グァム島のジャングルで、果実やイモ類、魚や川エビ等を食べ、マンゴーの葉から衣服を作るなどして自給自足生活を送っていたそうです。健康チェック後、2月2日に帰国。帰国時の第一声「恥ずかしながら、横井庄一,ただ今帰って参りました」でした。 この「恥ずかしながら......」はこの年の流行語となり、以後、郷里の名古屋に落ちつき、サバイバル体験を生かした講演活動を行なって、各地で人気を集めました。 1997年82歳で死去。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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私が7歳の時のことですが、はっきりと覚えています。新聞やテレビで繰り返し繰り返し放映され、しばらくの間は横井さんの話題一色になっていました。
この方、御帰国されたときにはすでに56才になっておられたのですね・・・・。 戦争に時代にほんろうされた数奇な運命をたどられた方ですが、日本に帰国されたのちはそれなりにお過ごしになられ、80才を超えるまで存命であったことは何よりのことだと思っています。 27年間の現地での生活は大層大変であったとは言っておられましたが、恨み言も繰り言も言わず、淡々とインタビューに答えておられた姿を思い出しながら、心に秘められた複雑な思いがあったのではないかと今になって思っております。 (2019.01.25 02:54:20)
横井さんは、衝撃的でした。
横井さんが、終戦後も、ずっと、自ら出てこれなかったことや、日本国から、探されなかったことに・・・日本の戦争に対するいい加減さや、戦争に参加した方々の精神状態を、考える機会になったと、思います。 小学生でしたが、戻ってきてよかった・・・だけでは済まされないものを、感じました。 (2019.01.25 07:19:20)
おはようございます
偶然ですが 先日訪れました寺院 横井正一さんの 墓標がありました ブログでアップいたしましたが グアムに行きました時 この住居の 入口の穴を見学しました 近くに住宅があり よくも27年間 見つからず 住めたと思いました >恥ずかしながら...... 軍人ですね (2019.01.25 08:00:30)
グアム島・・・・よく生きのびましたよね!
(2019.01.25 12:11:32)
「はずかしながら・・」
捕虜になるということが死ぬより恥ずかしかった・・ということですから・・ 戦時下では、そんなふうに洗脳されていたのだなと思ったのでした (2019.01.25 18:14:39)
自分はまだ幼かったんですが、このニュースは不思議と記憶にあります。
(2019.01.25 21:20:47)
我が故郷・千葉からでは沖縄に行くよりも
Guam・Saipanのほうが近いことは前述しましたっけ? 私の彼s' 母方の親戚は徴兵検査を「甲」で合格し 満州事変からの15年間、さんざん大変しながらも 戦後も90歳過ぎまで、長生きしました。 一方別れた父方の親戚は新城島で一番に徴兵検査を「甲」で合格しましたが 30歳過ぎの若さで亡くなられ、そっちのほうを重宝したい 今日この頃です。 改めてこちらのBlogに、commentありがとうございました。 私は中森明菜s' songの中で、この「トワイライト~夕暮れ便り~」が 一番好きなのです。 初恋している真っ最中に、大Hitしたからなのでしょう。 それを卒業songの1曲として選んだのは当時の彼女と 現在の教え子たちが、同い年だからだという事を この歳になって、やっと気が付いているような奴です私は。 とにかく義務教育卒業後の進路先は人それぞれ違っても 同い年だという事には変わりない。 18歳の法律を弁えたうえで、成人して欲しい。 制服着用するのも、あとほんの数日なのです。 (2019.01.29 14:45:30) |
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