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カテゴリ:八重の桜
第48話『グッバイ、また会わん』
「愛国心とはそんなものではない」by襄 ↑メイン・ストーリーとは直接関係ないけど 「そうだそうだ」と頷ける台詞だったので 大隈重信、襲撃される― 秋月悌次郎、再登場― 梶原平馬、死去― 大隈はまた復帰するのだから良しとして>ぇ 秋月さんにまた逢えたのは嬉しい。 八重も覚馬もさほど年齢を感じさせない中で ちゃんと老けメイクしていて良い>ぉ 襄の『同志社設立の旨意』に感動し再び教鞭を取ることを決意した …とのことだけれども 本当かどうかは知らないけれども>こらこら 襄の信念がここにも芽吹いたのだと思うと嬉しい。 だって 学校を創ったことは勿論、素晴らしいことなのだけど それを通じて何を成したか…イマイチ描かれていない気がするもんで(^^;) 何か学校内のトラブル(教師達との方針の違いとか生徒達の不満とか)と 資金集めに奔走しただけの様に見えてしまってたもんで(^^;) 秋月さんったら、かのラフカディオ・ハーンから 「神の様な人」と評されていたとかで そこのところだけ取れば、まさに襄の遺志を継いでくれたって感じ。 梶原平馬も最後まで近所の子供達に学問を教えていたとかで 教育を…という襄の信念に繋がる。 彼の死は、戊辰戦争の完全なる終結を意味する? たださ 単純ひじゅにには測り知れない思いがあったに決まっているけれども 二葉さんと離縁したまでは、そこのところを慮るとして 結局のところ再婚してるしなー 子供の絵を描き続けていたといっても 子供への思いであって二葉さんへの思いじゃないしなー …と余計な事を考えてしまった。 なんて言ってるうちに、襄危篤― 群馬の前橋で倒れ、神奈川の大磯で療養。 勿論これは実話だから疑問の余地もないのだけれど 具合が悪いのに移動が大変じゃなかったのか…と これまた余計な事が気にかかる。 臨終の場に八重が立ち会えたのは良かった。 まるで夫婦の間にだけ通じる予感の様なものに導かれて襄のもとに引き寄せられた …みたいな描写は、まあドラマだからだろうけど(^^;) 「また逢いましょう」 襄の最後は、さすがにウルウルしてしまった。 地元出身で上毛カルタのおかげで名前はお馴染みだったものの 生涯についてはよく知らなかったし ましてやこうして映像作品として観ることは初めてだったけど オダジョーの新島襄はなかなか魅力的だったと思う。 山に籠っていた時のキム・ギドク(映画監督)のもとに オダジョーが訪ねたことがあると聞いて 個人的に彼の評価がグンと上がったりしたんだけど… それはまあ別の話(笑) 未亡人となった八重は「日本のナイチンゲール」の道へ― これはとても素晴らしいと思うのだけれど 覚馬にほとんど命令されるかの如く…ってのが 何かイマイチな気がしてしまった。 今迄も何度となく覚馬に道を指し示されていたよね。 そういう描き方はどうなのかなあ…と思ってしまった。 スミマセンスミマセン ☆トラックバックは何がなんだか…ひじゅに館へお願いします☆ http://yakkunchi.blog90.fc2.com/tb.php/1305-6addb475 ☆クリックしてね♪(3つも多過ぎ?)☆ にほんブログ村 人気ブログランキングへ 人気BLOGRANK ☆ドラマ&映画感想は「REVIEWの部屋」に色々置いてあります☆ やっくんち 八重が焼いていたのはパンケーキ?ワッフル? なるほど新島襄 みかん お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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