南大門の仁王様とミイラ男
1992年の8月初旬、やまもも一家は2泊3日の家族旅行をしました。旅行先は私のふるさとの町でした。ふるさとの町を離れて就職してから十数年ぶりの帰郷でした。私はその間に結婚し、そして2人の男の子の父親となっていました。 久しぶりに見るふるさとの町でしたが、古都のたたずまいは昔のままでした。緑の甍(いらか)が美しい古寺の苔生(こけむ)した石段に私たち家族の跫音(あしおと)が静かに響き渡り、その石段の上を大小3つの影が重なりながら歩むのを見て、私はなんとも言えぬ感慨を覚えたものです。 子どもたちが父親のふるさとの町を見るのは初めてでした。小学校高学年の長男と幼稚園児の次男の目に私のふるさとの風景はどう映ったのでしょうか、どんな印象を持ったのでしょうか。おそらく、彼らには、父親が生まれ育った町をいま訪れているんだという様な感慨などは全くなかったと思います。しかし、彼らが生い育ったふるさとの街では見られぬ古い神社仏閣や大きな大きな仏様、また沢山の鹿が群れ集う広くて美しい公園などはきっと彼らの心に強い印象を残しに違いありません。 ところで、家族と一緒に訪れたふるさとの町で、私が家族を連れていきたかった場所の一つに南大門がありました。鎌倉時代に建てられた重層入り母屋づくりの豪壮なこの大門の東西に、高さ8メートル以上もある大きな寄せ木造りの巨大な仁王様が向かい合って立っているのです。南大門の西側に立って口を大きく開けているのが「阿形」(あぎょう)、東側に立って口を閉じているのが「畔形」(うんぎょう)で、仁王様たちは寺を邪神から護るために約800年間ずっと阿畔(あうん)の呼吸を合わせてきたそうです。 私は、特に「阿形」に私の家族を引き合わせたいと思っていました。口だけでなく目もぎょろっと大きく開け、右腕に両端の尖った金剛杵(こんごうしょ)を抱え、左手はその指の全てを大きく開いてぐいと構えているこの「阿形」には特別の思い出があったからです。私が小学5年生の時、野外写生の時間にこの南大門の「阿形」をクレヨンを使って描き、美術の先生に高く評価してもらったのです。ちょうどその頃、私は色の濃淡を使い分けて対象を立体的に描くテクニックを見よう見まねで身に付けたばかりのときでした。ですから、南大門のこの仁王様の巨大で力感溢れる木造彫刻は私の絵の対象として最適だったのです。私は茶色を基調にしながら、様々な色のクレヨンを画用紙にぐいぐいと塗り込んで仁王様を力強く播き出しました。そして、この絵は後で額に入れられて校長室に飾られることになりました。 運動会で走れば、「やまもも君、最後まで頑張って下さい」と場内アナウンスで励まされ、音楽発表会で笛やハーモニカを吹くときは、ただそれらしくパントマイムを演じるしかなかった内向的で目立たない男の子にとって、こんな嬉しいことはありません。ですから、私が後に結婚したときも、媒酌人の方に頼んで、その新郎紹介の話のなかにこの仁王様の絵のエピソードをわざわざ入れてもらったほどです。だって、結婚式のために遠路わざわざおいで下さった列席者のみな様方に対し、新郎は「優秀な成績で卒業されました」「将来も非常に期待されています」なんて誰も信じないようなウソっぼい紋切り型の紹介の言葉だけで終わってしまうのでは余りにもさびしすぎますからね。 さて、私はこんな楽しい思い出のある南大門の仁王様の「阿形」と再び会うことができたでしょうか。私の家族を「阿形」にちゃんと紹介することができたでしょうか。それが残念ながらできなかったんです。私たち家族が南大門に赴いたとき、その大きくて豪壮な門は昔のままに元の場所に建っていました。南大門の東側に「畔形」の雄姿を見ることもできました。しかし、なんとなんと、南都の南大門の西側には「阿形」ではなく巨大なミイラ男がいたのです。 びっくりしましたね。だって、白いサラシで全身をぐるぐる巻きにされた巨大なミイラ男が南大門の西側にどんと立っているなんて予想もしなかったからです。しかし、南大門に出現したこの巨大なミイラ男があの「阿形」であることはすぐに判明しました。私たちが南大門の前の石段を上がると、先に来ていた観光客の一団にガイドさんが南大門の説明をしており、金剛力士像の解体修理のことも話してくれました。その解説によりますと、口を閉じた仁王様「畔形」の解体修理がまず先になされ、それが終わった後、今度は口を開けた「阿形」の解体修理がおこなわれ、つい最近、作業所から傷つかぬように全身を白いサラシで巻かれて戻ってきたばかりとのことでした。ですから、私たち家族が南大門を訪れたとき、仁王様の約800年間続いた阿畔(あうん)の呼吸合わせがちょうど一時的に中断していたんですね。ああ、うんがないですね(駄酒落です。念のため)。 私は、仕方がありませんので、東側の仁王様の「畔形」に心のなかで私の家族を紹介し、ミイラ男に変身している「阿形」にもくれぐれもよろしくと伝言を頼みました。 その後、私は家族と連れだって大きな仏様が鎮座ましますお寺の方に向かって晴れ渡った夏空の下をまた歩き出しました。 1998年2月28日に記す