サットカンチューカス2
朝から水汲みをしていました~実は2,3日前から、水が足りなくて屋上にある水タンクが空っぽになってしまいましたリシケシュでは朝と夕方に水源から水が来るので、各家庭その時間にポンプで水を屋上に上げておくのです。今朝、階下の大家さん家よりジャブジャブと水の音がして目が覚めたので、今日からは水が来たのね!と安心していたらまだ少ししか来ないので、バケツで汲み上げておいた方がいいわよ、といわれて。リシケシュは山に囲まれているし、水量豊かなガンガも流れているのでどうしようもない水不足にはならないのですが、停電になったり地域のポンプが壊れると水道がでなくなるのです。最低限、水浴びをして トイレを流して 昼食をつくり 後片付けをする のに必要なバケツ3杯の水を汲み置きしておいたのでひとまず安心。(それから、やっと芽がでたばかりの貴重な青シソの鉢に水をあげるために)いざとなったら、ガンガに水浴びに行けばよいのです、こちらでずっと前に結婚した日本人女性は電撃結婚したので新婚当初は水道の通っている部屋を借りることができず、毎日ガンガで水浴びや歯磨き、洗濯をしていたそうです。「それでも楽しかったわ~」と。ハッピーで心が満たされていると、心配をしなくなるのですね。 すごーい。最近は停電も多くて昨夜なんて2,3時間の間に10回くらい停電したり戻ったりを繰り返してお化け屋敷みたいでした(笑)(というか電化製品が壊れそうです・・)不思議とこんなリシケシュにも住み着くと心地よいもので、それほどホームシックにはならないのですけれどもやはり、記憶がありますので昔住み慣れていた日本に帰りたくなる衝動に駆られることもあります。そこで、カシミールシャイビズム お勉強コーナー第2回目のサットカンチューカス、「魂を制限してしまう6つの間違った感覚」はニヤティ・タットバ、存在場所の感覚です。たとえば ”私は今リシケシュにいて東京にはいない。” という感覚。肉体という物質に囚われたと思い込んでいる魂は、”肉体と共にしか存在し得ない”という誤った感覚を持ってしまいがちなのです。意識が上がると肉体という小さな個の枠を飛び出て周りの存在を感じることができるようになります。意識は距離を越えることができるので、家族や恋人、友人と遠く離れていても、魂まで離れ離れなのではないのです。物理的に離れることで、本当の絆を確認できる といいますよね。離れたら、どうでも良くなってしまった! という場合よくありますが私もホームシックの衝動に駆られて、用事もないのに実際に帰国してみるとなんのことはない、「何しに来たんだっけ?」となってしまう(笑)本当の意味や必要があれば そんな風に思わないはずなのに。エゴの気まぐれな衝動だと、あっけなく まるで狐にでもばかされていたように 目が醒める!どうしても今あそこであの人に会わなくっちゃ! みたいな狂おしい衝動は人生の情熱的なスパイスかもしれません。でもスパイスだけではいつか疲れ果ててしまいませんか・・・人生学ぶことがたくさんあります、ニヤティ・タットバに惑わされないよう に気をつけましょう。なんて、私 知った風なこと言ってますけど だいじょうぶでしょうか??? 私なりの次元でのカシミールシャイビズム講座、 お粗末様でした☆いつもありがとうございます