テーマ:子どもと教育問題(292)
カテゴリ:「公教育」考
杉並区立和田中学校校長、藤原和博先生による「フィンランド調査報告(07年9月末)」を読む、シリーズです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>フィンランドなどの北欧諸国の高負担高福祉の政策は、今の日本では絶対に無理です。
確かにそうかもしれません。が、現在の日本における問題点(多くの人々の生存権さえも充分保障されず、家庭・地域の教育環境も崩壊しつつある)を直視し、多くの人々が幸せになっていける社会はどのような社会なのかを考えていく上で、北欧の現状は大きな刺激になると思います。 経済誌(『週刊東洋経済』)が北欧の特集を組んだこと自体、「どん底への競争」とは別のありかたを本気で考えていこう、というメッセージだったように思うのです。 引用を増やしましたのでよろしければ… http://sky.geocities.jp/shchan_3/pagetw.htm (2008.03.12 22:38:19)
自分はフィンランドに友人が居ます。なので、今回の題材になっている「ほとんどの親が5時には家に帰って家族で夕食を食べるのがフィンランドの習慣だ」と言うのは知っておりました。フィンランドに限らず、ドイツやイタリアなどでも同じような体制を取っている国があるらしいのですが、一連のシリーズを読んでいて、改めて「人間の存在を大切にしているな」と強く思いました。正直申し上げて、現在の日本に無いのがこの部分だと思うんです。人間を大事にしていない。それ故教育者が減ったり、医療関係者の数が減少している。そう思えてなりませんね。自分としてフィンランドと同じ道を歩む事って可能だと思うんですよ。だけどそれをやろうとしない日本のお偉いどもの存在があるわけで。ヨーロッパ諸国の勉強をしていて思うのは、日本と比べると、向こうの人々って考え方が非常に柔軟なんですよ。常に何か革命を起こすと言う姿勢で取り組んでいる事柄が多く見受けられますが、一方の保守的国家「日本」は何もかもがグレーであり、統一されていません。ましてや劇的な変化を嫌う傾向にあるような感じさえ受けてしまいます。そう言った部分で根本的に思想が異なってますからね。自分には「出来ない」のではなく「やろうと思えば出来るけど、やろうとしない」そう言った姿が浮かびます。
(2008.03.12 23:40:50)
shchan_3さん
>>フィンランドなどの北欧諸国の高負担高福祉の政策は、今の日本では絶対に無理です。 > > 確かにそうかもしれません。が、現在の日本における問題点(多くの人々の生存権さえも充分保障されず、家庭・地域の教育環境も崩壊しつつある)を直視し、多くの人々が幸せになっていける社会はどのような社会なのかを考えていく上で、北欧の現状は大きな刺激になると思います。 > 経済誌(『週刊東洋経済』)が北欧の特集を組んだこと自体、「どん底への競争」とは別のありかたを本気で考えていこう、というメッセージだったように思うのです。 > 引用を増やしましたのでよろしければ… >http://sky.geocities.jp/shchan_3/pagetw.htm ----- たくさんの資料のご紹介ありがとうございました。フィンランドもですが、北欧の国々について調べていると、「その時々の状態を見据え、何が必要なのか、何ができるのかを考えて、実際にやってみたことの良い点を分析しながら、新しい道を作り出している」ように思います。 福祉の領域で言うと、ノーマライゼーションの始まりである「脱施設化」なども、もとをたどると、戦時中に大規模な障害者施設の維持が難しくなったときに、少人数のグループホームのような対応を始めたところから、という話を読んだことがあるんです。これは、正解になる目標が決まっていて「進んでいる」とか「遅れている」という評価をするのとは違うことですよね。 「60年代に北欧諸国の福祉を調べた人が『大きな施設がたくさんあって福祉が進んでいる。』といい、80年代に視察をした人ガ『やっぱり福祉が進んでいる、施設がほとんどない』といった・・」というジョークがありましたが、刺激を受けたあと、目の前の「問題」をどう解決するのか、日本の力と苦手なところを踏まえて考えてい泣かなくちゃならないと思っています。 (2008.03.13 12:37:28)
四死天 緋水さん
我が家はここしばらく、私とアライグマオヤジさんと両方でフィンランドを調べることにハマっておりました。調べていくと、本当に「一筋縄ではいかないタフなお国柄」だと思うんですよね。シビアなリアリスト集団、でもって、緋水さんが言われるとおり、人を大事にする基本があります。 私が、日本がフィンランドと同じ道を行くことが今は絶対に無理だと思うのは、偉いさんの問題もありますが、日本の国民が「お上におまかせ」メンタリティから抜け出してないと思うからです。行政と国民・市民との関係が未熟というか信頼関係が乏しいし、国民・市民からの積極的なコミットメントが難しいですからね。「税がどう使われているかわかったもんじゃない」だから「なるべく税は払いたくない」わけです。 最近、医療や教育で過剰なクレーマーが出現して現場は大変ですが、「クレーマー」がただの「だだこね」に終わらず、「良い公共」を作る種になればいいのですがなかなかそうはなっていません。 今までのやり方が通用しなくなる環境(自然も経済も人の動きも)になってきているのですから、ラディカルという言葉の本来の意味、「根源的な」変化は避けられないと思うのです。 (2008.03.13 12:50:31) |
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