ヅショドンは密かに祭られていました
昭和三年二月ココ玉山神社の参道の改修工事が行われたとき僧侶墓の中から上り参道の中程左の茂みの下の現在の位置に移されました。ヅショドン・・がです。ヅショドンとは苗代川の人々が報恩のためにために建てた調所広郷の拝み墓のことです。幕末から明治そして大正とここの人々は密かに祭り続けていたのです。現在の位置は最も目につきやすい場所に移されています。誰はばかることもなくようやく陽の目を見るまでに100年以上の時間が必要だったのです。嘉永元年十二月。琉球を通じた中国との密貿易が幕府隠密の手で暴露されました。そのおとがめが藩主島津斉興に及ぶのをふせぐために調所広郷は全責任を負って江戸の薩摩藩藩邸で服毒自殺をとげます。全責任を負ってですから・・・彼のことが公然と人々の口に上ることはなくなりました。