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『わが闘争』第1巻「Eine Abrechnung」(和解)は1925年7月18日に公表された。 今、この本は角川文庫で読める。 ヒトラーは、世界大恐慌によって経済の破たんしたドイツの状況を最大限に利用して、この本を書いた8年後にドイツの首相となった。 民主主義、議会制を否定し、大衆を侮蔑し、嘘をついて人々をだますことを正当化し、人種主義を鼓吹した末にである。 日本では1932年に翻訳され出版されている。ただ、ヒトラーの人種観、特に日本人を含むアジア人を劣等民族とする部分は削除されている。そしてその「効果」あって、1940年9月27日に英・仏・米を対象とした日独伊三国同盟が結ばれる。 戦後の歴史学、哲学、社会学の重要なテーマの一つとなったのが、なぜヒトラーのような人間が、それも自らがこれから行おうとしている犯行を赤裸々に語っていながらその犯行に成功したのかという事である。 学生のとき、フロムの『自由からの逃走』を読んだ。そこには一つの明確な解答があった。この本が出発点となって、いまだにヒトラー、ナチス関係の本を細々と読み継いでいる。 この本の中に書いてあることは決して過去の事ではない。 政治不信、すべての政党を「既成政党」とくくる単純さと思考停止、強力な指導者、上から命令口調で語りぐいぐいと引っ張ってくれるリーダーを求める心情。対立する人々を口を極めて罵倒し侮蔑するやり方に声援を送る人々。 それを私は今この日本で見ている。
◎大衆の心理はすべて中途半端な軟弱者に対しては感受性が鈍いのだ。女性のようなものだ。弱いものを支配するよりは強いものに身をかがめることをいっそう好むようである。大衆もまた、哀願するものよりも、支配するものをいっそう好み、そして自由主義的な自由を是認するよりも、他の教説の並存を許容しない教説によって内心満足を感ずるものである。
◎大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい。この事実から、すべて効果的な宣伝は重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、その言葉によって目的とした事が最後の一人にまで思い浮かべる事ができるように、継続的に行わなければならない。
◎大衆は自由をあたえられても、それを利用していかに事を始めたらよいかわからないし、却って見棄てられたと感じ易いものである。
◎個人及び大衆に対するテロ行為は重要である。
◎この世に一大変革を起こさせる推進力は、何時の時代でも大衆を支配している科学的認識の中にあるよりも、むしろ、大衆の心をつかんでいる狂信の中に強く存在し、往々、大衆を前進へと駆り立てるヒステリーの中に強く潜んでいる。広く大衆を味方につけようとするものは、大衆の心の扉を開く鍵を知らねばならない。それは客観性、すなわち弱さではなく、意志と力である。
◎(戦争の責任について)実際にはそうでなかったにしても、事実そうであったように、この責任をすべて敵に負わす事が正しかったであろう。
最後にヒトラーの青年教育論を紹介しておこう。 ◎力強い堂々とした恐れを知らぬ無情な青年を余は待望する。余は知的教育を望まない。知識をあたえては、余みずから青年を堕落させることになる。彼らが自らの遊戯衝動に従って自発的に習得するものだけを青年に学ばせることが、余の最も望むことである。しかし、青年は支配することを学ばねばならない。
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