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漫望のなんでもかんでも

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まろ0301

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2013.08.31
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 「戦争の現場」において、フェアプレイで勝てればそれに越した事はない。しかし、「戦争の現場」の真実はそんなところには存在しない。「平家物語」は、「戦場でのフェアプレイ」を描いた作品ではない。ましてや、戦場における武士たちの行動について、一々評価をしているような本でもない。

 藤原氏の言葉は、戦闘集団としての武士が戦場を駆け巡っていた時代(関が原の戦い、そして大坂夏の陣)には当てはまらない。

 利害関係によって結びついた武士たちは、不利と見ると一斉に逃げ散ってしまう(源義仲の軍勢の崩壊過程)。

 劣勢となった平家に対して、平家恩顧の家人さえ、「こはいかに。昔は昔今は今、その儀ならば、九国のうちを追ひ出し奉れ」と掌を返すような態度をとっている。「昔は昔今は今」とは何とも言いようのない言葉である。(「平家」下巻 p26)

 平家は都落ちの後まず九州に逃れて太宰府で体勢を立て直して政権を樹立するという計画を持っていたが、それは以下の様な経過を辿って失敗する。

 

 「太宰府にいる間に、平氏の中で資盛(重盛の子)や貞能は、緒方氏、ひいては後白河法皇との間で、三種の神器の返還を条件に和平交渉を行った。この交渉が決裂した結果、緒方氏が平氏を攻撃し、平氏が屋島に移るのである。この過程において、平氏は主流派(主戦派)の宗盛・知盛らと、反主流派(和平派)の資盛・維盛・貞能らに分裂し、後者は脱落する。壇ノ浦で戦死したとされる資盛は豊後にとどまったし、那智で入水したといわれる維盛は、実は三十艘の船団を率いて屋島を脱走し、紀伊(和歌山県)の湯浅氏を頼ったのである。」

(「源平争乱と平家物語」上横手雅敬 p9)

 この太宰府政権構想が実現していれば、その後の源平の戦いの帰趨はどうなったか、予断を許さない展開となったと思われる。

 清盛の弟、池大納言頼盛は、一行を離れ、平家の旗じるしである赤旗を捨てて京都へ引き返し、頼朝の、「頼盛の母の池善尼に命を助けられた事は忘れておりません」という言葉を頼りに京都に残留、のちに頼朝のはからいで官職も旧に復し、頼朝にも対面し、一族が滅びる中で生き残る事となる。

 一の谷の合戦の際に、平重衝が馬を射られてしまうと、乳母子の後藤兵衛盛長は、「我が馬召されなんとや思ひけん、鞭を打つてぞ逃げたりける」という有様となり、重衝は、「いかに盛長、われをば捨てていづくへ行くぞ。日頃はさは契らざりしものを」と声をかけるが、盛長は、「空聞かずして、鎧に附けたる赤符どもかなぐり捨てて、ただ逃げにこそ逃げたりけれ」ということになる。乳母子(義仲と今井兼平もそうであった)でさえこの有様である。重衡は呆然としてしまい生け捕りという屈辱を受けるのだが、よほどのショックであったと思われる。つまり、乳母子という存在は、「死ぬも生きるも一緒」と言う存在であったわけである。

 知盛が入水する時に、乳母子の伊賀平内左衛門家長を召して、「日来の契約をば違うまじきか」と問い、家長は、「さる事候」と言って、おのおの鎧を二領づつ着て入水する。心が通じ合っているからこその短い会話である。

 しかし、重衡は最も大切な瞬間に乳母子に裏切られる。

 そして、運の傾いた平家から、人は次々と離れていく。平家に対して恩を感じなければならない譜代の人々までも平家を見限って源氏になびく。

 

 「主従関係の堅固を誇る武士階級の離反・変節・裏切りをこれほど詳細に文学的に描いたという点では、平家物語は、他の作品のどれもが表現し得なかったこの内乱期を正しく反映しているというべきである。」(「平家物語」石母田 p115)

 

 ただ、重衡に関しては指摘しなければならない点がある。

 囚われの身となった彼が鎌倉で頼朝と対面した時の言葉である。

 

 「源平両氏は天下を警護してきたが、このところは当家が独り朝廷をお守りしており、昇進を許されたものは八十余人となった。思えば、その繁栄は二十余年に及んだ。だが、今、運命が縮まったことによって、囚人としてここに参ったのであるから、あれこれ言う事も無い。弓馬に携わる者が、敵の為に捕虜となることは、決して恥ではない。早く斬罪に処するように。」(「吾妻鏡」(2)p26~27)

 「捕虜となるとことは、決して恥ではない」という重衡の言葉と、「死して虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」(これを下令した東条が「虜囚」となったのは皮肉であるが)との間にはなにがあったのか。捕虜となったものを丁重に扱うという慣習は日本陸軍の中に確かに存在していた筈であるがそれがなぜ失われ、死ぬ必要もない兵と国民の命が失われたのか。考えてみたいテーマである。

 さらに石母田は、「平家物語」の達成したものを以下のように述べている。

 

 「平家の合戦記が文学の歴史にもたらした最大の功績の一つは、それが集団の行動を描く手法を発見した事にある。」(「平家物語」石母田 p162)

 「武士のこと、弓馬のわざは、生佛、東国のものにて、武士に問ひ聞きて書かせけり。」(「徒然草」角川文庫 p139)という情景が彷彿とする場面を引いてみよう。

 「橋合戦」の場面での「馬筏」の場面。「馬筏」とは、「馬を並べて泳がせ、徒歩の者を馬にひきつけて河を渡ること」(「平家」上巻 p215 注)である。平家方に属した坂東武者の足利忠綱(17歳)の指揮の元で平家方は宇治川を渡る。

 

 「足利大音声を揚げて、『弱き馬をば下手に立てよ。強き馬をば上手になせ。馬の足の及ばう程は、手綱をくれて歩ませよ。はづまば、かいくつて泳がせよ。下らう者をば弓の弭(はず)に取り付かせよ。手に手を取り組み、肩を並べて渡すべし。馬の頭沈まば、引き上げよ。いたう引いて引つ被くな。鞍壺によく乗り定まつて、鐙を強う踏め。水浸まば、三頭の上に乗りかかれ。河中にて弓引くな。敵射るとも相引すな。常に錣(しころ)を傾けよ。いたう傾けて天辺射さすな。馬には弱う。水には強うあたるべし。かねに渡いておし落さるな。水にしなうて渡せや渡せ』と掟てて、三百余騎、一騎も流さず、向かひの岸へさつとぞ打ちあげたる。」(「平家」上巻p215~216)

 

 指示は具体的であり、合戦の中で生み出されたとおぼしき知恵も散見される。

 

 最後に、この頃の武士にとって最大の関心事であったといっていい「先陣争い」の様相を見てみたい。有名なのは「宇治川の先陣」である。(「平家」下巻 p55~61)

 頼朝は、生食、磨墨という二頭の名馬を持っていた、木曽義仲追討の為に京に上る梶原景季は生食をほしがったが、頼朝は「之は何かあった時に私が乗る馬であるから」と言って磨墨を梶原に与える。ところが頼朝は佐々木四郎が暇乞いに来た時に何を考えたのか佐々木に生食をやってしまう。佐々木はそれに対して、「今度この御馬にて、宇治川の真先渡し候ふべし。もし死にたりと聞し召され候はば、人に先をせられてげり、と思し召され候ふべし。未だ生きたりと聞こし召し候はば、定めて先陣をば、高綱ぞしつらんものを、と思し召され候へ」と言い放つ。

 

 梶原は、自分が頼朝から賜った磨墨こそが最高の馬と嬉しく思っていたところへ、生食に乗った武者を見ることとなる。佐々木四郎と知った梶原は、以下のように心の中で思う。

 

 「安からぬ事なり。同じやうに召し使はるる景季を、佐々木に思し召しかへられけるこそ、遺恨の次第なれ。今度都へ上り、木曽殿の御内に四天王と聞ゆる、今井・樋口・楯・根井と組んで死ぬるか、しからずば、西国へ向つて、一人當千と聞ゆる平家の侍どもと軍して死なんと思ひしに、この御気色では、それも、詮なし。詮ずる所、ここにて佐々木を待ち受け、引組み、刺し違へ、よき侍二人死にて、鎌倉殿に損とらせ奉らん」。

 

 「よき侍二人死にて、鎌倉殿に損とらせ奉らん」という心情は、この時代の侍が何に価値を置いていたかを如実に示している。梶原は、合戦での勝敗よりもわが身の評価、またわが身の功績を上位においている。幸い、佐々木の機転の利いた答えによって同士討ちという事態は避けられる。以下、概略を見てみよう。

 梶原は、馬を並べていきなり組討を・・と思ったが思い直して佐々木に声をかける。

 「いかに、佐々木殿は、生食給はらせ給ひて上らせ給ふな」。

 佐々木は、梶原がこの馬をほしがっていたことに思い至って以下のように答える。

 

 「この軍では、宇治や勢田の橋は渡れそうもないから乗って渡ることができる馬はないものかと思っていた。生食は梶原殿が頼朝公に所望されていたこともあるし、私のようなものには到底お下げ渡しはないものと心得て」「後日にいかなる御勘當もあらばあれと存じつつ、暁立たんとての夜、舎人に心を合せて、さしも御秘蔵の生食を盗みすまして、上がりさうはいかに、梶原殿」。

 これに対する梶原の反応。「梶原この詞に腹が居て、『ねつたい、さらば景季も盗むべかりけるものを』とて、どつと笑うてぞ退きにける。」

 「いただけそうもないから盗んで来た」という佐々木の言い分を梶原はそのまま受け取り、腹立ちも消えて、「しまった、俺も盗めばよかった!」と高笑いしてその場を去っている。






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Last updated  2013.08.31 10:29:37
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まろ0301@ Re[1]:ドラマ「舟を編む」(03/27) maki5417さんへ 正社員二人というのは、…
maki5417@ Re:ドラマ「舟を編む」(03/27) 私も見ています。 キャスティングを見てど…
まろ0301@ Re[1]:ドラマ「舟を編む」(03/27) 嫌好法師さんへ 「なんて」の語釈。 […
嫌好法師@ Re:ドラマ「舟を編む」(03/27) ある人から勧められ私も今ハマっています…
まろ0301@ Re[1]:大二病なのか?(03/20) maki5417さんへ 確かに「詳細につきまし…

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