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無銘刀思考
近郊の刀剣店に時たま出かけるのですが、何処の刀剣店に行っても磨り上げ無銘刀が多く、極端な場合ほとんどの刀が無銘という店もあるほどです。磨り上げ無銘刀はほとんどが古刀ですが、残存古刀数に対して無銘刀の割合はどれくらいあるのだろうかと何時も思っています。大雑把に計算して日本刀の残存数が200万振りあるとして、其の内古刀が6割で120万振り、少なめに見て5割が無銘と考えると60万振りという途方もない数になります。 刀が無銘にされるにはいろんなケースがありますが、ざっと考えると下記のような場合が考えられます。 (1) 戦い方の変遷により(騎馬から歩兵)長寸であったものを磨り上げて銘の部分を切り落とし無銘となったもの (2) 製作時に銘を切らなかったもの(生無銘) (3) 上位の刀工の作に見せようとして敢えて銘を消され無銘となったもの (4) 偽銘が切られていたものを消して無銘としたもの この四種類に要約されるかと思います。 刀剣店に於いても現在この無銘刀の割合が非常に多く、何故こんなにも多いのか疑問に感ずるところでもあります。中でも(1)の磨り上げ無銘の刀が多く散見され、何時の時代に磨り上げられたものか、何故銘が残されなかったのか不審を憶えるのであります。現存の無銘刀の中には(3)の上位の刀工の作に見せようとして敢えて銘を消され無銘となったものが相当数あるのではないかとも思っています。 刀を磨り上げた時代は、天正磨り上げとも慶長磨り上げとも云われ、この頃の磨り上げが無銘刀の大多数と思っておりますが、室町中期以降であろう事は間違いないと思われます。現在では古い磨り上げ無銘刀に位列上位の刀工が極められることが多いように思いますが、磨り上げ当時著名刀工の銘を簡単に切り捨てたのでしょうか?勿論当時刀は実用品でしたからその様な事には頓着しなかったといえばそれまでですが、今でも折り返し銘や額銘の刀が残されている事を思えば、名工の銘を切って捨ててしまうことがあるのかと思うのであります。(南北朝期の三尺に及ぶような刀は、七寸も磨り上げれば茎は完全に切り捨てられますから、額銘ならばともかく折り返しは無理かもしれません) 磨り上げ刀には鎌倉期の刀工に極められたものも多く、当時の太刀の定寸は2尺5~6寸とも言われておりますが、これを2尺2~3寸に磨り上げしたとしても茎尻に銘は残存するのではないかと思われます。現に鎌倉期の太刀で茎尻に銘が残された太刀も多く現存しています。 この様な大磨り上げ無銘刀を見るにつけ、作為的に下位の刀工の銘を消して磨り上げ、上位刀工に見せかけた刀も多いのではないかと疑いたくなるのであります。いろんな書籍でもこの様な事が書かれていますが全く同感です。 私は、自分の作った刀に銘を切らずに注文主に納めるという事は、鎌倉期といえどもあり得ないのではないかと思っていますが、一歩譲って、古刀期【鎌倉期】の刀工が銘を切らない場合【うぶ無銘】とはどのようなケースがあるのでしょうか? 新刀期のような抱え鍛冶という制度があったのか定かではありませんが、【大和鍛冶等は寺院に従属していたとも言われています】下級の兵の戦闘用の刀を大量に製作する時などは銘を切らなかったこともあるのではとも考えられます。しかしこの様な大量生産品は幾多の戦いで消費され、数百年も伝来しないのではないかと思われるのであります。現に鎌倉期と思われるうぶ無銘の刀を見ることはほとんどありません。 最近も2尺4寸5分、反り6分の大磨り上げ無銘、茎に本阿弥光遜極めの金粉銘の施された名刀を拝見しました。鎌倉末期の裏日本鍛冶の作と思えるもので、極めとしては妥当とも思いましたが、原寸に直してみると3尺1寸ほどの長寸で、そっくり返った様な反りの深い太刀姿となります。当時この様な太刀が造られたかどうかよく知りませんが、現状の姿では特に違和感は感じませんが原寸に直してみると少し首を傾げる姿であります。 【2寸ほどの磨り上げであれば妥当なところだと思えますが・・・・・・・】 私の所蔵刀に無銘の刀はありません。無銘刀の中にも見ごたえのある良作があるのは承知していますが、無銘刀を愛玩し楽しむには相当な鑑識眼と知識が必要だと思っているからであります。私が無銘刀を購入しないのはそこまでの見識が無いからであります。 無銘刀に偽物なしとは昔からよく言われる言葉で、名刀は大磨り上げ無銘刀にありともよく言われます。無銘刀は在銘刀に比べ安価で楽しめるところが最大の魅力ですが、個銘の極めは慎重であるべきだと思います。一目で誰と判るような刀は巷間には少なく、時代流派でも予測が外れる事が多く(写し物や姿の崩れているものなど)まして個銘までは到底判別しがたい刀がほとんどです。 無銘刀はお勧めなのですが難しいのも確かです。(しかしそれは極めにこだわればと言う事です)悪意によって施された無銘刀も数多いという事も承知しておくべきだと思います。 取り留めのないことを長々書き記して論旨もはっきりとはしませんがご容赦ください。 刀を楽しむにもいろんな楽しみ方がありますが、私も、無銘の良刀を楽しむほどの度量と見識を持ちたいとつくづく思う今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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