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日本刀讃歌★心の中の日本刀

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国分寺助国

国分寺助国

2024.05.15
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伯州住秀春、伯耆国の住人藤本和一郎秀春については、過去伯州住秀春の研究と題して、五回に亘り此のブログにて簡易的な経歴等は記載しましたが、其の詳細については不明な点も有り、はっきりしたことは記載できませんでした。
しかし、伯州住秀春の御子孫に当たられる、鳥取市在住のO氏のご努力により、ある程度のことが解ってきました。
過日、秀春の故地である琴浦町にて、O氏による講演会、並びにゆかりの地矢橋の散策等の行事が実施され、其の資料をお送り頂きました。

私が最初に入手した伯州住秀春の刀です。


何故、私が伯州住秀春の刀を好むのかと云うと、其れは日本刀の本質を備えているからに他有りません。
折れ難く、曲がり難く、刃毀れし難く、よく斬れる。昔から言い古された言葉ですが、是れらを全て備えている刀は決して多くはありません。刃筋を間違えると直ぐ曲がる、刃毀れする、そんな刀が多いのも又事実です。
腕が悪いからと言ってしまえばそうなのですが、腕の悪さをカバーしてくれる刀を求めて、辿り付いたのが、新々刀伯州住秀春の刀であった訳です。

過去、此のブログで五回に亘り【伯州住秀春の研究】と題して拙文を記載しました。
下記一から五迄のリンクをクリックして御覧ください。

【​伯州住秀春の研究其の一​​​】

【​伯州住秀春の研究其の弐​​】

【​​伯州住秀春の研究其の参​】

【​伯州住秀春の研究其の四 一雲齊銘について​】

【​伯州住秀春の研究其の五​】

私は愛刀者で有りますから、残された刀から其の足跡を辿るわけですが、其れだけでは到底其の刀工の実像に迫ることは出来ません。
伯州住秀春の系譜に繋がる、鳥取市在住のO氏による調査資料を基に、其の実像に迫ってみたいと思い、此のブログに記載することにしました。
簡略な系譜は、伯州住秀春の研究其の一にも記載していますが、今回はもう少し詳しく其の足跡を辿ってみたいと思っています。

秀春は文政四年(1821年)八月七日矢橋町で出生した。父親は林蔵と云い、性の松井は明治になってから加えられたと伝える。本来、菩提寺過去帳から藤屋林蔵で有ることが近年の調査で判明した。
母は、矢橋町押本惣左ヱ門の娘で、記念の記に記載ある藤本甚兵衛の妹である。
秀春誕生のいきさつについては、当時矢橋郡に於いては堕胎禁止の教諭が行なわれており、記念の記に記載のある中井三郎左衛門も其の一人であったと思われる。
此の中井家は、鉄商いの元締めであったと伝えられており、上段の藤屋も鉄商いをしており、母親は此の中井家で働いていたと思われる。
誕生した男子は、三郎左衛門の命名により、和一郎と名付けられた。
天保九年(1838年)、年十七歳にして、汗入郡の鍛冶屋眞嶋伸吉の元に鍛冶修行に出る。鍛冶屋の道に進んだのは、鉄の環境の元で成長した事が大きな要因で有ったと思われる。
修行すること八年、弘化三年(1846年)矢橋町に帰る。この時、伯父藤本甚兵衛の尽力で、菊里村八軒屋に鍛冶場を設けた。此の期秀春25歳を迎えていた。
伝えるところに依れば、この時から野鍛冶の合間に鍛刀を始めたと云う。此の時の切銘は尚春で有ったと伝えている。只、鍛刀法を誰に習ったのかは伝わっておらず、鍛冶修行の経験を元に、試行錯誤しながらの鍛刀で有ったのかとも思われる。
しかし、残された尚春刀を観ると、野鍛冶の片手間仕事とは思えない出来映えであることから、本職の刀工について幾らかは修行したのではないかと思えるのである。

鳥取県東伯郡矢橋城趾


鍛冶場を設けて二年後、嘉永元年【1846年】矢橋町押本常右衛門の長女を娶る。一女を授かるが一女は幼くして没し、その後嘉永六年【1853年】九月二十五日、長男甚太郎が誕生する。しかし其の3ヶ月後の十二月妻が亡くなる。乳飲み子を抱えての鍛冶職は大変であったと今に伝える。
その後、周囲の勧めで亡妻の妹の【さの】を娶ることになった。
秀春は、刀鍛冶の道に進むことを望んでいたが、幼子を抱えた身では如何ともし難く、此の幼子を託す環境が出来たので、刀鍛冶修行への道が開けることになり、江戸修行への決心をつけたと思われる。

次回第二章で、江戸修行以降の足跡を記載します。





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最終更新日  2024.05.15 00:00:29
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Re:刀工、伯耆国藤本和一郎秀春の足跡を辿りて 第一章(05/15)   源利行 さん
刀工は高い地位ではなかったためか、有名刀工でも残された記録に限りがあるようですから、地方刀工になると、その経歴を辿るのは難しいでしょうね。
播州源利行は明石藩工だったようですが、詳しい経歴は知りません。廃刀令後、鉋鍛冶に転向して上手くいったところをみると、無名工であれど、腕の良い刀工だったのだと思います。

先日、ネットでとあるブログを見つけました。
三原や、尾道の刀工について色々と調べた結果を記してますが、現地調査、寺社の文書や墓石調査に加え、判明した子孫に話を聞いたりと、相当な時間を費やして調査されてました。
こうした調査も現在は個人情報の問題もあり今では難しいでしょうね。 (2024.05.16 11:18:46)

Re[1]:刀工、伯耆国藤本和一郎秀春の足跡を辿りて 第一章(05/15)   国分寺助国 さん
源利行さんへ コメント有り難うございます。

仰る様に、名誉の刀工であっても、残された記録は少なく、其の足跡を辿るのは容易ではありません。
此処まで秀春の事績が明らかになったのは、御子孫であるO氏の御努力の賜物です。
私では、鍛刀地の現地調査迄は中々出来ませんから、残された刀から其の事績を推測するしか有りません。

備後刀工龍泉子驍邦の事績調査では、その方と一緒に現地まで出向いたこともあります。
その時は、詳細な調査は出来なかったのですが、その後も継続して調査されていたようです。
この様な調査は【労多くして功少なし】ですから、刀が好きでも刀工の調査迄試みる人は甚だ少ないのが現実です。
従って、比較的に近い新々刀期の刀工であっても、解らない事の方が多いのです。
郷土の刀工は、郷土に住む者で調査するのが必然であろうと思っています。
若い愛刀家に望むのは酷なことでしょうかね? (2024.05.16 13:24:59)

Re[2]:刀工、伯耆国藤本和一郎秀春の足跡を辿りて 第一章(05/15)   源利行 さん
国分寺助国さんへ
あのブログの方と御一緒に調査に赴かれたこともあったのですね。
驍邦刀工だけでなく其阿弥や、水田鍛冶などの調査もされていて、
熱意に驚きます。
今ですと、個人情報保護法だかの影響で、お寺の過去帳も閲覧しがたくなったようですし、個人で調査するのはなかなか難しいです。
私などは、そもそも昔の崩し文字がさっぱり読めません。
崩し字アプリなどもあるようで、私も一つ試してみましたがイマイチでした。この崩し字の読解力はこうした調査で必須でしょうね。

祖父が元々河野姓で、父からは海賊だったと昔聞いたことがありました。
かのブログで、河野水軍の末裔が青江鍛冶に弟子入りし、その後水田鍛冶になったようで、ちょっと水田の刀が欲しくなってしまいました。
父方には家系図も何か特別な物もないので、河野水軍末裔の話はとても嘘くさいですけど。 (2024.06.01 15:32:40)

Re[3]:刀工、伯耆国藤本和一郎秀春の足跡を辿りて 第一章(05/15)   国分寺助国 さん
源利行さんへ 何時もコメント有り難うございます。

仰る様に古文書の調査等では、内容を読み解き理解することがスタートになりますから、くずし文字や漢文が読めなければスタートにも立てません。
刀が好きだけでは難しい事も多いです。

我が家にも、系図は代々伝えられていますが、その中で顕如上人の石山本願寺合戦に従軍し、手柄が有り太刀一振りを賜った等の記載もあります。

今となっては、事実かどうか解明する手立てはありませんが、【拝領したと言われる太刀も伝わっておりませんし、眉に唾して読み解いた方が良いのかも知れません】
鎌倉時代創建の菩提寺に記録があり書き写した物だとも聞き及んでいます。

私の所蔵刀は、強靱な刀で有ることが第一ですが、その他には郷土刀を主体に収蔵しています。
其の中心に位置するのが、伯州住秀春の刀と云えます。 (2024.06.02 09:28:12)


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