3247749 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2006年12月12日
XML
カテゴリ:神秘体験空間
 今回は、数の象徴学と呼ばれるもので、神秘学の記号や象徴に関して語る時に、数の中に表される形象について、簡単にシュタイナーの著作からまとめる。

 前々回、宇宙における数の関係、各惑星が運行する速度に関してまとめたが、数の関係は宇宙空間を貫いて波打つ天球の波動の調和(ハーモニー)の中に表現され、それら数の関係は宇宙全体と宇宙の考察にとってある特定の意味を持っていることを、神秘学からまとめてきた。

 今回は、数の象徴学から、その意味を軽くなぞり、例えば古代のピュタゴラスの秘教学院で教えられた、宇宙への洞察力が、数と数の性質からいかに意味づけられたかをまとめたい。偉大なピュタゴラスが、「数の性質について知ることは事物の奥深い本質へと導く、」と弟子たちに語ったことには、深い根拠があるという。ただ、1や3、7といった数そのものについて熟考すれば十分であると考えてはいけないという。

 真の秘学の教えは、魔法や御呪いではなく、数に関する迷信でもなく、もっと奥深い事柄に基づいているという。数は瞑想とも呼ばれる魂への沈潜のための1つの拠り所を与えてくれるものであるという。

 まず1という数、合一の数から始める。この1という数が、真実をどれほど真にイメージ化しているかは、他の数を後で考察する際に更に明らかになる。神秘学において、常に1という数により宇宙における「神の分離できない存在」が表されるという。1で神が表されるという。

 1=神の合一、分離できない存在を表す。

 神秘学では2は開示の数と呼ばれるという。2という数でいわば両足の下に何か基盤を得、一方、1という数の場合、まだ基盤のないまま手探りで探し回っている状態であるという。2は開示の数であると言う時、この世界で出会うもの、ある意味で隠されたものではなく世界へ現れ出たもの、これら全ては何らかの形で二元性の状態であるということに他ならないという。

 2=開示の数、人間が両足の下に基盤を得、この物質世界に現れた状態を表す。

 物理学の素粒子論でも、物質を構成する素粒子は、フェルミ粒子と呼ばれ、フェルミ統計という二元性の統計に従うのである。これは物理学者ディラックにより、相対論的量子力学として数式により記述された。この二元性のために、負のエネルギーという概念が生まれ、数学的な変換式により、陽電子として記述され、アンダーソンの霧箱実験で発見され、確証を得るのである。ちなみに、このような数学の変換式から生まれる粒子をマヨナラ粒子と呼ぶ。

 神秘学は、自然の至る所に、2という数が広がっているのを見出すと説く。いかなるものも2という数に触れることなしには自らを開示することはできないという。光も決してそれ自身だけで一元的に自らを開示することはできない。

 光子の生成消滅は対(双子)で行われることを、放射線物理学でも認めるところである。

 光が開示される時、影あるいは闇もその傍になければならないという。つまり、二元性が存在せねばならないという。開示された光に満ちた世界というものは、もしそれに相応する影がないとしたら、決して存在することはできないという。これは全ての事象にあてはまり、善は、その影としての悪を持たないなら決して自らを開示することはできないという。善と悪の二元性は開示された世界の中では必然的なもので、このような二元性は無限に存在し、二元性は世界全体を満たしているという。ただ、それを正しい場所に探さなくてはならないという。

 人間が生きていく中で考慮可能で重要な二元性は以下のようなことであるという。

 前回、人間が今日の地球の住人となる前に経てきた様々な進化状態を書きまとめたが、土星紀と太陽紀では、人間はある種の不死性を保ち、自らの肉体を外から管理し、肉体の一部が崩れ落ちると新たな部分が再び付与された為、人間は死や消滅については何も感じることがなかったという。

 人間の意識は当時、今日の意識とは異なり、おぼろげな夢うつつの意識で、この地球紀になってはじめて、人間は自己意識と結びついた意識を獲得したという。この地球ではじめて人間は自己自身について何かを知り、対象から自分を区別できる存在となったという。
 
 つまり、我々は、地球の外的な環境、物的対象物をみることで、はじめて「わたし」という自我を認識したのである。それ以前は、いわば夢のような漠然とした色彩のみをみるような、幼児が色だけを塗り手繰る絵画の如き意識だけだったのである。

 そのためには、単に外から肉体を管理するだけでなく、この肉体の中に、昼に入り、夜に出るように交互に入り込んで、自らの内で「自我」が語りかけるのを感じとらねばならなかったという。人間はその肉体に完全に入り込むことによってのみ、完全な意識を獲得できたという。そして、今や人間はこの肉体と運命を共有するようになった。

 地球紀以前、まだ上方にいた時、人間はこのようなことはせず(聖書の記述のエデンの園のこと)、人間が、肉体に入り、この覚醒意識を獲得したことによってはじめて、死と関係を結ぶようになったという。肉体が崩壊する瞬間、運命共同体となった人間は自分の自我が停止するように感じるようになった。

 それは自我と肉体を同一視してきたからだという。

 少しずつ霊的な進化を経てようやく、人間は再び太古の不死性を取り戻したという。肉体は意識して不死性を獲得するための修行場として存在するようになったという。人間が死によって不死性を贖わないなら、生と死の二元性を認識しないなら、決して高次の段階で不死性を獲得することはできないという。

 人間が死を知らなかった間、生と死の二元性は開示された世界に属することなので、まだこの世界は人間に開示されなかったという。この世界の至る所に生における二元性を指摘することができると、神秘学は説く。物理学におけるプラスとマイナスの電流、磁気における引力と反発力など、すべては二元性の中に現れているところのもので、2は現象の数、開示の数だという。

 この世界は、開示の数2、つまり二元性によっているが、この世界の背後で神的なものが働くことなしには、いかなる開示も存在しないと、神秘学は説く。従って、いかなるこの世の二元性の背後にも一元性が隠されているという。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006年12月12日 19時43分23秒
コメント(2) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.