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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2015年10月02日
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カテゴリ:神秘体験空間
 この国は一歩一歩と滅亡の道へと堕ちて行っているが、米軍の空爆といい、金満偽ユダヤのTPPといい地獄に堕ちる連中は、人の言うことを聞かずに、相手のことを考えないアホバカばかりなんで警告するのも無駄であることがわかったから、他者から搾取を続けて何も創造できなくなり、地獄に堕ちていけばよい。

 もう相手にするのもアホバカである。救いようのないアホバカは地獄に堕ちてみるしかないだろう。

 さて、人智学を学んでいると、空海さんの説いたことや、様々な宗教がいわんとしていたことなどが、手に取るようにわかるから不思議である。

 空海さんが説いたことは、一言でいえば、あの世の存在である。

 仏教は御釈迦さんが説いたことからはじまっているが、空海さんは霊能者なんで、あの世に行って直接に御釈迦さんから教えをきいたのだろう。

 密教というのはオカルトの隠された教えの意味で、本来は、この世からはわからない教え、未知の教えというわけでもある。

 つまり空海さんが、この世からはわからない未知の教えをわかりやすく、この世の出来事などを使って解釈し、説明したのが真言宗となったわけである。

 空海さんのいわんとしていることを、ソクラテス風に語るなら、未知の知となる。

 未知を知ろうとする態度や姿勢が肝心である。

 だから空海さんは今も生きているし、高野山にあるミイラなどは、その霊魂の抜け殻にすぎない。肉体が生き仏であるはずがなく、肉体を生き仏とするなら、人智学の説くように、霊人(アートマン)という霊の器官になっているはずである。

 勿論、霊の器官なのだから、肉眼でみえるわけがない。ミイラを祀るなどというのは末法の世だからこその出鱈目であることが、このことからもわかる。

 さて、人間が神々の天使、大天使、権天使になるには、三種の神器といわれている、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣、つまり人智学でいうところの、霊我(マナス)、生命霊(ブッディ)、霊人(アートマン)を手に入れなければならない。

 前回紹介したように、、霊我(マナス)は、感情のコントロールにより獲得でき、生命霊(ブッディ)は気質(性格)のコントロールにより獲得でき、霊人(アートマン)は潜在意識を意識化させる意識のコントロールにより獲得できるというのである。

 そして、霊我は、睡眠中の夢をみる意識からアストラル体を発達させることで霊視力として得られ、生命霊は、睡眠中の夢をみない意識からエーテル体を発達させることで霊聴力として得られ、霊人は、第3の眠りといわれる深い潜在意識から、物質体を発達させることで神通力として得られるという。

 霊我がアストラル体から生じるのは、アストラル体を構成する要素と同じものからできるからで、それは霊界のアストラル界(俗に言う冥界のこと)にも共通の要素であるという。更に生命霊がエーテル体から生じるのは霊界の下位神界に共通の構成要素からなるからで、また更に、霊人が物質体から生じるのは、霊界の上位神界に共通の構成要素からなるからであるという。

 つまり、物質界で、感情をコントロールすることでアストラル体を発達させ、同じ構成要素からなるアストラル界をみる霊視力が得られ、気質(性格)をコントロールすることでエーテル体を発達させ、同じ構成要素からなる下位神界を聞く霊聴力が得られ、意識をコントロールすることで、物質体を発達させ、同じ要素からなる上位神界をつくる神通力が得られる。

 さて、このブログでも何度となく紹介してきたシュタイナーの人智学的医術のなかで、霊視力と霊聴力について面白いことを述べているので、以下に紹介する。

 ★         ★         ★ 
 
 人間を物質的に観察するだけでは、表面の物質体しかみないことになる、人間は他にもエーテル体、アストラル体、自我をもち、これらが絶えず人体に働きかけ、活動し続けているが、唯物論を土台にする思考では無視されている。

 だからといって、霊視と呼ばれる高次の知性と判断力を少しでも自分のものにできるように、自らを教育する可能性が全て失われるわけではない。はっきりとしたイメージを観るような霊視までは到達できないとしても、直観といわれる判断力などは獲得できる。

 さて現代人は、自我を出発点にして考えると、この自我は特に物質体だけに働きかけ、エーテル体を支配する能力は、古代人に比べて、ほとんどわずかしかもたない。比較的にまだ子供の方が曖昧な無(潜在)意識の状態だが、エーテル体を支配している。年齢を重ねるうちに、この支配は次第になくなっていく。

 ただし、歳をとってからも子供のようなファンタジーに憧れる人の自我はエーテル体への影響も割と残存する。対照的に、唯物的な、知識偏重主義になっている人の自我は物質体には強い影響力を持っても、エーテル体への影響力は弱い。

 この自我の物質体への影響を正確に捉えると、自我は、物質体の人体機構に沿って、骨格の一種のようなものを働かせ、拡げているのがわかる。

 実際に物質体には、不可視の骨格のようなものが組み込まれている。この骨格は、ファントム(幽体)と見なせ、人体に常在する。人間の自我は、認識可能な人体の周囲の領域を、いわば骨格にして服のようにまとっている。

 この骨格は、不可視で、エーテル体の力により、物質体に組み込まれる。しかし、人生の経過に伴って、覚醒意識上で、徐々にこの骨格を組み込む力を失っていき、結局、睡眠中の夢のなかで、ファンタジーに満ちた創造力として現れるだけとなる。

 さて、自我がエーテル体を働かせ、人体に組み込む、この骨格は、本質的には、物質体にとっては侵入者なので、幾分異物なのである。物質体は、この骨格に抵抗する傾向を常にもっている。つまり物質体は、毎夜、睡眠中に、この骨格を破壊すべく努めている。

 日常生活では、この骨格を知覚することがほとんどないが、忘れてはならないことは、この骨格は、物質体のなかでいわば崩壊や分解の傾向を絶えずもつことで、継続的に人体の炎症の隠れた要因となっていることである。

 自我が実際に人体のなかにファントムを作り出し、このファントムに対して物質体は異物として抵抗する、そしてこの異物も、物質体のなかで分解、崩壊して、人体から落ち葉のように抜け落ちる傾向をもつことに注目すべきである。

 さて、人間の眼を研究してみるだけで、自我の認識が生み出す、この骨格について上述した見方との合致に至るだろう。というのも、眼と外界、ないし眼を通して魂と外界の間で演じられる事象全ては、この骨格の確立を、正真正銘、明らかに示しているからである。

 しかも、両者の間、つまり自我の活動のみによる純粋な骨格と、目と外界との相互作用を通じて成立する骨格の間の相違、つまり、眼が見えない人について私が研究してきた様々な関係が顕著に現われる。眼が見えるほとんどの人々の通常の骨格、つまり視覚を通じて調整され、物質体に組み込まれている骨格=ファントムと、自我の認識の結果生じる正味な骨格=ファントムとの関係が良く比較できる。

 (視覚が自我に与える影響がわかる。)

 この比較を図で表現してみる。

 antromed14-1.gif

 視覚を通じて、人体にまた別の骨格=ファントムが組み込まれる。この骨格よりも、自我の活動のみの正味な骨格の方が、少し深い位置にある、端的に言って、内側にある(図参照、黒点線と黄点線)。

 図の黒線の骨格は、外界の物質力から生じる輪郭を明確に描き、この黒線の内側の黄線が、自我の活動を通じて組み入れられた骨格=ファントムで、正味の骨格だが、視覚から生じる黒線の骨格は、まだ物質化する前のエーテルにすぎない。

 だから、次の視覚の違いを注意して見ていくと興味深い。つまり、近視の人は、この骨格の両者が互いに接近し、つまり図の黒線と黄線が接近し、そして遠視の人は、黒線と黄線が離れ、黒線の骨格が外側にずれる。

 要するに、人間の眼の研究から、エーテル体と、自我が、上図の骨格として描いたように区別できるようになる。現代人のような個人的な自我をもつ条件では、視覚に注意を払うこと以外に、エーテル体を把握できるようになる方法はない。

 自我から生じる骨格は、正味の骨格として備わっている。近視か遠視か、という視覚に注意を払うことで、エーテル体を考える習慣を身につけたなら、エーテル体を知覚する感受性が育てられるだろう。更に、このような事例について瞑想などで、思考力を高めれば、視覚による骨格から、エーテル体への観察に到達するのはそれほど困難ではなくなるだろう。

 さて、続いて次のような事実も確認できる。視覚による骨格の人体への組み入れは常在し、正常となっているが、これと同じ経過が、今度は異常とみなされる場合がある。つまり、この骨格の組み入れは日常生活では正常とみなされるが、炎症疾患の場合も似たような経過が起こる。

 つまり、次のような結論に至る。物質体に組み入れられるエーテルに似る骨格が、あまりに強引に組み入れられると、炎症への誘因や炎症疾患として現われる。

 例えば、動物(アストラル)界の蟻に由来する蟻酸の外用を試みると、この炎症誘因の経過がはっきりしてくる。蟻酸の使用による骨格の研究は、次のような実験を行うとよい。蟻酸を非常に薄く希釈し、その液に入浴することで人体によくなじませると、上図の黄線の骨格が強固になる(図参照)。

 つまり、非常に薄い蟻酸の風呂に入浴すると、この黄線の自我による骨格を強固でき、この骨格に合わせて、自我が制御を行うようになる。

 この原理を用いると、炎症疾患に罹った人の炎症に対処できる。というのは、自我とこの骨格は互いに補完し合っているので、この骨格が崩壊し、炎症となる傾向を持つのは、この骨格が自我に正確に浸透されずに、制御されていないからである。

 非常に希釈した蟻酸(アストラル)に入浴することで、エーテル体の骨格と、自我の両者を強固に結びつけることができる。ただし、非常に極めて薄く希釈した状態でなければならず、その状態ではじめて蟻酸(アストラル)の力が正しく発揮される。
 
 さて、このような療法を扱う場合、体格や体質などを加味しないといけない。炎症患者が例えば、肥満傾向なのかどうか、ということである。というのも、炎症と肥満の両方が複合的に現われてくる場合、上述の蟻酸入浴による療法はかなり良い成果が期待できるからである。

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 肥満傾向の人は、エーテル体の活動が過多である傾向にあることを、シュタイナーは4つの気質を挙げて述べている。次回に続く。





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Last updated  2015年10月06日 19時54分07秒
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