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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2019年01月17日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
前回は教育についての古い書き込みを改めて紹介しました。いまトートのエメラルドタブレットを改めて読んでいるのですが、トートが紀元前5万年前の当時の人々をどう治めたかといえば、「心服」です。

 信頼を寄せるようにさせたわけです。この人なら安心だ。この人は我々を癒す。心地よいと思わせることです。この人がいれば大丈夫だ!と思わせることです。

 民に知らしむべからす。よらしむべし。

 これは論語で有名ですが、間違った解釈が罷り通っています。現代訳では、「人民を従わせることはできるが、なぜ従わねばならないのか、その理由をわからせることはむずかしい。」となっていますが、これでは80点で、満点に満たない。

 これは、民に自分がいかに素晴らしいかを一々知らしめるのではなく、信頼されるようにしなさい。ということなのです。

 要するに、トートが約5万年前にやったように、民を心服させなさい、ということなのです。

 早い話、民の教師、教育者になれ、ということなのです。

 では、なんの教育かといえば、魂の教育です。魂の教育というといかにもオカルトに聞こえますが、簡単にいえば、自分にされたくないことを他人にするな、ということです。

 バカというのは、自分にされたくないことを無神経に他人にします。そこには一種の優越感があるわけで、人類皆平等の精神に欠けているわけです。自分なら許されるだろうという甘えがある。つまり簡単にいえば、差別意識がある。

 だから、教育というのは差別意識をなくすことなのです。エメラルドタブレットでは、この驕りを第一に戒めています。自尊心というべき、この驕りは、人類の進歩を阻むと断定しています。

 この自尊心が、人類の学びを止めるからです。つまり愛を阻むわけです。

 キリスト、釈迦ら救世主は、ホームレスとなり、名声を求めずに社会の底辺へと自ら下りました。自ら被差別的な立場となり、差別されたわけです。人々の心の痛みを知ったわけです。人々の心の叫びを聞いたのです。

 次の話はいささか胡散臭いのですが、あの家康も、世情を知るために、お忍びで将棋をさしに長屋に通ったらしいです。八切史観によれば、家康は元々は被差別部落民の出なので、差別を受けてきた人々の気持ちがよくわかったらしく、それが後の天下の将軍になるのに役立ったわけです。

 信長も、秀吉も、西郷さんも、皆差別を受けてきた部落民の出なのです。だからいまでも人気があるのです。体制側の仏教徒たちが歴史を書き換えてしまったので、ほとんど残っていませんが、信長が叡山を焼き討ちしたのも、秀吉が朝鮮を侵略したのも、中国といっても当時は唐ですが、大陸の唐からきたカースト制度、つまり植民政策への反発だったわけです。

 いま英国は、かつて植民地支配した報いで、分裂状態になっています。支配すれば、支配されるのです。これは他人にしたことが自分に返ってくる、わかりやすい四次元の性質です。三次元空間は四次元に支配されています。

 古代人はそのことをよく知っていたので、かつての祖先の報いを晴らすことを信仰したのです。

 日本には祖霊信仰が強いのも、積年の恨みを晴らす、という意味があるので、そのガス抜きという意味で、祟りを恐れて、反乱者を神として祀るわけです。

 そのうち八切史観を元に、日本史の書き換えを紹介したい、と思いますが、とりあえず、差別意識があるようでは、とても長期にわたって、民を治めることはできないわけです。

 トートは少なくとも約2万年も民を治めたわけで、その理由をエメラルドタブレットに書き記しているわけです。

 まず為政者に必要な心掛けは、差別しないです。

 さて、エメラルドタブレットには叡智が書かれています。現代で一番の問題と言われる医療についても、わかることを紹介しましょう。

 病気にかかるというのは、魂と肉体のバランスの崩れです。端的にいえば、魂が肉体に曇らされ、それが病気になるのです。だから全ては心から起こる。

 オカルトでは、心とは、魂のことですが、詳しくいうなら、肉体を操る総体というべきものです。魂の制御の不備が、心となって、肉体に現れるわけです。これはパソコンを操る使用者と考えるとわかりやすいでしょう。間違った命令をすると、パソコンが誤作動するのと同じです。

 病気は、心から起こるのだから、これは病気にかかった本人が心がけを改めない限りは治らないのです。病気は患者本人から出ているので、患者本人しか治せないのです。

 医療行為者は、魂の教育者として、病気の原理を解き明かし、教えるしかできないのです。後は本人の努力次第です。

 しかし、医療行為としては、患者本人しか治せないからといって、突き放すのではなく、病気の原理を解き明かし、できるだけ教える義務があるわけです。魂の教師という義務があるわけです。

 医療行為者は、現世での人生に限定されるわけですが、宗教者は、現世を超え、過去世や来世への魂の教育まで言及できなくてはいけないわけです。

 だから、宗教者を名乗る以上は、現世の生き様から、過去世と来世を見通せないと嘘つきとなるでしょう。ましてや、宗教で商売するなどは、その人の来世をとても暗いものにするのは必定でしょう。

 現代は、EASY COME EASY GOを肝に銘じてほしいですね。なんでも金銭で解決しようとしますが、そういう解決法は、安易なので、何も身に付かないのです。魂を益々腐敗させ、暗くしてしまうわけです。

 一灯照隅 万灯照隅

 これは伝教大師の言葉ですが、これは皆人類平等ということなのです。陽明学者の安岡氏は、この言葉を「社会のどこにあっても、その立場立場において. なくてはならぬ人になる. その仕事を通じて世のため人のために貢献する. そういう生きかたを考えなければならない。」という風に説いていますが、皆が、神の一分子で、一細胞なのです。

 だからどんな一人でも欠けてはいけないのです。

 皆が照らし合わせて、照らしあって、隅をなくし、暗闇を輝きに変えていこうということが、エメラルドタブレットに書いてあります。

 社会の頂点は底辺なのです。上にあることは、下にもあるのです。

 これがわからなくては、人間失格です。だから、魂はいろんな立場に転生していくのです。





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Last updated  2019年01月17日 21時46分16秒
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