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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2023年07月14日
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カテゴリ:神秘体験空間
巷では、最近、「科学」という言葉が独り歩きする傾向にあるが、「科学」とは何か?について不勉強な人ほど、似非科学とカウンターのレッテル貼りして、科学ではない科学を持ち出して、批判するのに呆れてしまう。

俄か御用学者や自称専門家の傲慢さに辟易してしまう。特に権威主義的な歴史学者を見ていて嫌悪感すら感じさせる。独善的で、異論を全く受け付けず、まるで過去に旅し、実際に見てきたかのように語るから不思議である。

現代社会の思想の自由さえも忘れてしまっているのである。現代のなかの過去に生きている。非科学と批判しながら、思想を弾圧しているのは、現代錯誤で、その存在自体が、どう見ても非科学だろう。

現代の歴史ドラマに、歴史考証とかを持ちだしてきて、歴史を私物化するのである。自分の見解とは違う意見に耳を傾けずに完全否定するから、思想弾圧に近いのに、自覚できていない。

それは悪魔の思想だと非難しながら、悪魔の思想を押し付けるのである。

これでは、ルシファーの悪に対して、アーリマンの悪を持ち出して、いずれにしろ悪の手に堕ちるようなもんである。ミイラとりがミイラになってしまっている。

どっちにしろ、悪魔であり、非科学である。

非科学であるというのなら、非科学を証明しないといけないわけである。悪魔を悪魔で証明できないから、結局、自分を否定することになってしまい、非科学だといって独善的になるわけである。

非科学の悪魔を堂々巡りしている。ある時はこの悪魔、別の時は別の悪魔を持ち出して、悪魔祓いを使い分けしている悪魔の使い手なんである。

悪魔の実態を掴む事無く、悪魔を使いながら、悪魔に踊らされている。

悪魔の実態を知らないといけない。非科学の実体を知らないといけない。何が非科学なのか、科学しないといけないわけである。

科学とは、物質現象を、物質で合理的に解き明かす学問で、物質で解き明かせない現象を扱うのは、科学ではなく、なんでも物質で解き明かせる、という根拠はどこに由来するのか? その根拠こそ、物質で解き明かしてほしいものである。

現代科学は、物質を、その内部構造に求めているが、シュタイナーに言わせると、物質性は、宇宙全体から与えられた愛の役割、天の配剤なんであるという。

だから、まず、宇宙全体の働きと、愛の役割、つまり、愛を発し、巡らせている宇宙意識を知らないと何もわからない話なんである。

つまり、愛の働きを解き明かす必要があるが、それは芸術によって、愛が体現され、人間のなかにも、愛の意識があり、愛を通じて、宇宙とつながり、宇宙の働きを感じとれるわけである。

愛の働きを自然のなか、人間社会のなかに、暗黙の糧に感じ取れるから、人間は食物に愛を感じ美味しいわけで、旅に出ては日常と違う環境に新鮮さ、楽しさを感じ、生きている。

愛には、低次の意識から、高次の意識まであり、人間が持つ物質欲や破壊欲は、勿論、愛の低次元の意識で、欲望なんである。

この欲望は、低レベルの意識が、高レベルの意識に対する憧れから生まれるわけで、高次の意識にまで自分を高めるには、欲望を愛にかえるために、自分を変える、苦悩や苦痛を受け入れ、努力して、欲望を克服し、捨て去らないといけない。

上には上があるように、下にも下があり、苦悩や苦痛を受け入れて、上に向かうのをやめて、苦悩や苦痛を拒否し、楽をしようとすれば、欲望が益々深まって、人間も獣のように堕落していくわけである。

いまの立場で意識を安定、固定させようとすると、欲望は留まるのを知らないので、逆に恐怖心に駆られて、益々欲望が深まり、獣になっていくのである。

万物は流転し、物質界は常に無常だからである。

例えば、欲しい物を1つ買うと、今度は2つ欲しくなるように、欲望は、雪崩のように深まっていくからである。欲望にはきりがない。欲望のはけ口を求めてはならない。

全てを物質で解明したいというのが、人間の欲望に発するのか、それとも、愛なのか? それが問題なんである。

自我の承認欲求のための、科学なら、売名行為のための科学ならば、それは非科学で、自我にとってはやる価値はなく、名誉欲にとりつかれている悪魔の罠にハマっているだけなのである。

現代科学によって、人間生活は快適になったが、その快適さの恩恵にあずかる、持てる者と持たざる者の、貧富の差が深まり、一方で地球環境の破壊が進み、人類同士の論争、闘争、戦争は、益々大量殺りくへと進んでいき、いまでは核兵器による同じ人類への恫喝が当たり前になっている。

昨今の気象の激しさをみると、過去の大戦が招いた後の、核兵器実験などによる、物質破壊の大きさに驚かされる。

科学狂の功罪は大きい。人類が行う実験に対して、高次の宇宙人が心配しているのに気づいていないくらい低レベルなんである。

さて、現代の物質科学の基盤となっている覚醒意識は、シュタイナーによると、古代ギリシアの悟性魂に端を発するという。

古代ギリシアでは、今哲学者と呼ばれている、当時の賢者は、霊能者だった。しかしまだ、現代人のような個人意識の自我、つまり覚醒意識が完全には目覚めていないために、物質概念に乏しく、物質世界を幾何学で捉え、自分という存在を、幾何学で、つまり数学で考えていた。

プラトンのイデア論はその代表である。つまり、人間は、神の愛が幾何学となった存在で、神の愛を図形と感じ、古代ギリシア人は、図形に、神の愛を感じ、意識し、多様な図形をつくり、図形で自分を表現し、会話したのである。

神の愛を図形で表し、その図形に、自分を感じ、投影した。

古代ギリシアの賢者にはまだ霊能力が残っていたので、文字を書かずに、霊能力である程度交信できたようで、いわゆる以心伝心で、いまでいえば、動物の種がもつコミュニケーションのような感じだったのが、霊能力を次第に失うようになって、文字を使って書き記すようになったらしい。

古代叡智によると、文字は、メルキゼデクにより、生命の樹の原理が、イスラエルの祖アブラハムの民族に、カバラとして伝わり、古代ヘブライ語がつくられたのが、古代ギリシアの幾何学の図形的思考と融合し、古代ギリシア語になって発展していったようである。

当時の文字となった古代ギリシア語のアルファ、ベータ、ガンマ、オメガなどが、数学で使われ、現代物理学でも、放射線や素粒子の名称などに使われているのは、悟性魂との因縁を感じさせて面白い。

古代ギリシア人が、悟性魂から、図形を自分に投影していたのが、現代では、物質に、自分の文字を投影しているのである。

古典ギリシア語/第一類/基本文法/ギリシャ語の文字と発音 - Wikibooks


古代ギリシアの悟性魂が発展し、現代では個人主義にまで発展し、かつての民族同士の戦いが、国と国の戦いになり、いまや、個人と個人の戦いとなっている。

そして、科学か、非科学かで、論争になっている。

つまり、物質か、物質でないか、で論争しているのである。

神の愛を図形や民族に、国家に投影し闘っていた人間が、現代になると、個人が文字で武装し、戦うようになった。

そして、いま、スラブ民族が、独裁という古き概念と、民主主義という新しき概念の中で対立し、戦争をしている。

そして、将来人間は、自分と自分が、自分のなかで戦うようになるのだろうか?

現代の、個人的な論争を、古代ギリシア時代からの悟性魂の進化からみれば、いかにも、欲深で、低レベルな、神の愛から離れた欲望の戦いになっているのがわかる。

現代人のなかでは、あらゆる欲望が、自分のなかで、戦っている。

古代ギリシア人は、霊能力により、神の愛を図形に封じ込め、図形を自分に感じた。その図形に、文字を当てはめて、自分を記述し、中世になると、宇宙や地球の自然を、自分を記述した図形や文字で、表現するようになり、物質科学が生まれた。

現代人は、自分が生み出した物質科学のなか、リングのなかで、論争し、戦っている。

果たしてそこに神の愛があるのだろうか?

闘い続けた後に、白い灰のように、あしたのジョーのように輝く不滅の精神、新しい神の愛のかたちがみつかるのだろうか?

戦わずして勝つのが良いと、孫子の兵法は説く。

戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり|孫子の名言 (sonshi-heihou.com)


以前紹介した、山岡鉄舟の無刀流も、この戦わずして勝つに近い発想である。

刀で倒すのではなく、心でなびかせる。

というのも、どの存在の奥底には神の愛があるからだ。

だから、表面で物事を捉えるのではなく、全体を見通して、物事を捉える。鉄舟は、神の愛を、心を通して、刀の形に変えたのが、無刀流と言っているようにみえる。

そして、自然から学べと説いている。自然は、神の愛が形をかえたものなのだから。

神の愛を私物化せずに、神の愛をそのまま自然に発展させ、公に明らかにして、増幅するのが、神の願いなのではないだろうか?

天の神の愛を、あまねく地に伝えるのが、真のユダヤ人なのではないだろうか?

物質界に眠っている、人間の中に眠っている、神の愛をとりだして、育成し、増幅し、広く伝えるべきである。一灯照隅。万灯照隅。

人間が民族に拘る過去の歴史を置いて、人間は今宇宙に向かっているのを、知るべきである。

宇宙から地球をみること、地球から、過去の歴史から出る事を、今考えるべきである。

神の愛に応えるために、ルシファーの壁と、アーリマンの壁を乗り越えるために、シュタイナーの人智学的医学を紹介する。

          ★      ★       ★

 さて重要なのは、人体内の相互作用がどうなっているのか?である

 例えば珪酸塩を、どのように使えばよいのか?

 問題となっている金属が、3つの代表的金属、つまり鉛、錫、鉄に類似するのかどうか、を調べる、詳細な学術が必要となる。

 更に、人体下位は、銅、水銀、銀と関係し、これらの金属、もしくは親和性のある金属を、どの程度用いれば、人体の、炭酸活動を、うまく制御できるか、などを考えないといけない。

 このような考察から、天体の作用に起因する地上の金属と、通常は岩石状の、つまり炭酸活動=固体化の影響下に生成された鉱物や、珪酸の影響下で生成された鉱物とを、統合的に分析できる。このようにして、治療に必要な、外界の活動に、徐々に具体化にアプローチできる。

 その際、注意すべきなのは、人体の下位活動の消化に影響されない、嗅覚や味覚では感知できない活動をもつ鉱物、外界に、その物性をあまり出さず、隠している鉱物は、かなり分解して用いないといけないが、嗅覚や味覚などで、すぐに感知できる物性をもつ鉱物は、分解せずにそのまま使える。

 嗅覚や味覚に強く作用する物質薬は、治療部位がわかっている場合、そこにそのまま投与できる、良薬である。特に、その物質がもつ治癒原理が、通常の食餌療法などの消化活動によって、相殺されなければ有効である。

 とはいえ、物質から薬を探すには、少なくとも、次のように考えないといけない。人間の感覚は、これまで述べてきたように、人体に局所化されているので、次のような結論に至る。

 「薬をみつけるための、その効能を知るのに最良なのは、人体しかいない。」

 嗅覚や味覚にも感知できない物質では、薬物療法が困難なのは言うまでもない。しかし、注意すべきなのは、特に医師には重要な、自己教育がある。この自己教育とは、通常の感覚では捉えられない、霊感覚=超感覚を養成する事、つまり、外界の珪酸の活動を感知できるまでに導き、養成することである。

 石英は結晶で現れるが、石英を含む岩石や鉱物に関係する珪酸の活動は、多様な結晶で現れ、特に珪酸塩の場合、結晶の数は途方もなく、多様で、この多様性には意味がある。

 結晶の多様性が感知できれば、多様な結晶のなかで、どの結晶に、珪酸の活動が優勢なのか、が感知できる。外の自然では、珪酸塩のように、多様な結晶ができる場合、その多様性を基本に、珪酸活動を選択しないといけない。この結晶の分布から、珪酸塩を治療すべき部位や臓器に到達させるために、分解などする事で、粒子状にして用いる必要性が示される。

 その為には超感覚力を身につける必要がある。これから見ていくように、この超感覚力が、薬効の評価にも通じていくからである。また人体を、薬の良い反応体として、特に、例えば匂い、嗅覚も、視覚の7つの色彩感覚と同様に、7つの匂いの違いを区別できるまで高め、修得しないといけない。

 甘い匂い、もしくは、刺すような匂いなど嗅覚の高度な識別力を身につけたら、味覚も同様に7つの味に分けられる。嗅覚の7つの、いわゆる匂いのスペクトルを修得すれば同時に、可燃性の物質特有の臭いが分かる。

 嗅覚により、可燃性の物性にアプローチできるが、その方法については後に述べる。また味覚の高度な感受力が獲得できれば、例えば、塩について、甘い、塩辛いなどを正確に区別でき、その両者の間に、なお5つの味の違いを認識できたなら、自然の塩活動について、人体との関係性が獲得できる。

 知覚から、物質の人体との関係性が獲得できたら、自然から得るイメージを基に、薬を、次のように感じ取れるようになる。

 「この物質は、人体のこの臓器に良い、あれは別の臓器に良い。」

 様々な物質の働きには、慎重で厳密な科学的調査が基礎になくてはならないが、それでも、やはり大きな意味を持つのは、科学的な調査の成果にも、高度に主観的な感受力=超感覚を添えるべきで、その霊的能力を決して無視してはならない。

 すなわち、自然についての、内的な親和性の感情=愛を獲得しないといけない。

 以上の議論を、次回も引き継いで、更に個別の具体的な話に入っていく。





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Last updated  2023年07月14日 20時54分17秒
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