3251600 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2023年07月19日
XML
カテゴリ:神秘体験空間
欧米列強の植民地支配に負けるな、の島国根性で、明治期に富国強兵の、戦意高揚政策から、日本人は単一民族とされたが、物質界の遺伝子解析などの、肉体の多様性から、多民族であるのは明白である。

欧米人が、日本に来てまず驚くのが、日本人はほとんど同じ黒髪なのに、顔形の多様さにあるらしい。俗に目が細く、顔面が平べったく、やや出っ歯気味なのが日本人の典型的なイメージだが、それは俗に弥生人と呼ばれる渡来系の公家顔のイメージであり、彫りが深く、目が丸く大きい、例えば、西郷隆盛で有名な顔は、縄文人と呼ばれる原住系の顔を持つ人も沢山いる。

日本列島には、そのような多種多様な顔に満ち溢れているのに、明治期に単一民族として洗脳されてしまったのは、いかにも不可思議である。

それは、島国根性からの同調圧力のせいかもしれないが、仮想敵を外に求める事で、内に一体感を生む根拠にもなっている。

かのアメリカ合衆国でも、頻繁に国歌斉唱が行われるのは、人種の違いから、この一体感を生ませるためであるらしく、日本の長野県でも、戦国時代から、大名統治の入れ替わりが激しかった歴史のために、頻繁に県歌斉唱が行われるらしい。

西洋人のように、個人意識をもちながら、一体感を求めるのならまだしも、どうも東洋人、特に日本人は、親方日の丸というか、長いものに巻かれろ、というか、何かの権威にすがって生きるのが楽だと思っている節があるように思える、のは私だけだろうか?

この長いものに巻かれろ、という諺も、古代中国の唐の支配層が、長髪だったので、その長い髪をまくので、権力者には従えという意味で、丁髷ができたらしい。長い髪は権力の象徴だったようである。

昔からよく西洋人に指摘される、お馴染みの話が、日本人は自分の意見がない、というやつで、交渉でも、「上司に相談して」というギャグにもなっている。つまり、日本人は個人的意見を好まない風習が昔からあり、個人的意見は我儘と解される場合が多い。だから個人的な権限もない。

確かに、何かの権威にすがって生きるのは、無責任でいられるので、楽な生き方かもしれないが、自分で自由には生きていない証拠でもある。それに、その道の権威や、専門家が、必ずしも正しいとは限らない。

必ず正しい神様のような存在が、つまりブラフマンのような存在がいれば、それにあやかり生きるのは道徳的に正しいが、それは遥か昔の古代レムリア時代の話なんである。

シュタイナーによると、人間が個人的なカルマをもつようになったのは、古代レムリア時代の、二足歩行を始めた時からだという。だから、それまでの人間は、動物と同じような集合魂で、個人的な自我をもたずに、言葉も話せなかった。

だから、覚醒意識もないので、睡眠中の潜在意識のままなので、動物のように、半分眠った意識で、いまでいう夢をみる浅い睡眠状態で、活動していたらしい。だから、死もなく、集合魂の潜在意識を、引き継いで生きていたので、同じ記憶をそのまま引き継いでいたらしい。

つまり、動物のように、各個体は、それをまとめる族長、もしくは種長の手足であったわけである。個人主義が確立していないので、死ぬという、覚醒意識の死を感じない。動物の死と同じである。

だから、前世が古い時代から転生してきた霊魂は、当時の古い価値観がまだ残っているので、古き悪しき集合魂、つまりルシファーの霊魂にアクセスしようとする霊能力も残っているので、自我の目覚めに薄く、集団主義に走りやすいともいえる。

組織のために、個人が死ぬという犠牲の感覚も、個がないので、ブラック職場になりやすい。バブルの経済社会で多くの日本人が過労死の犠牲となったのはまだまだ記憶に新しいし、令和のいまでも公共教育の場で起きている。

かつて明治期の多くの日本人は、このルシファーの古い価値観で、生きてきたために、昭和になって、アーリマンによる物質破壊の大戦を体験する歴史をもつようになった。

原発事故でも、ルシファーによる、原発安全神話という憧れの古い価値観での集団洗脳のせいで、アーリマンの大震災による大破壊を招いたわけなんである。経営者は皆地獄に堕ちるだろう。

どうも日本人は集団主義に熱狂しやすい特性をもつようにみえ、そもそも日本人というくくりも問題なんであるが、多様性よりも単一性に重きを置きがちに思える。

個人主義のための民主主義ではなく、大衆洗脳のための多数決主義で、政治が行われてきたために、選挙活動で当選してしまえばなんでもやりたい放題で、現代の問題に面と向かって解決を図るどころか、無責任にも先送りし、アーリマンによる大破壊を招いている同じ過ちばかりなんである。

現代を生きずに、過去を懐かしんで、未来に先送りし、救世主を待ち望む無責任な問題放棄を、日本の政治家が繰り返しているのに呆れるばかりである。

古代レムリア時代は、今から遥かに昔の数百万年前の話であるのに、いまだにアジアや、東洋には、この古き価値観や、ブラフマンにいまだ憧れてる熱情を密かに持っている。

単一的価値観でもって、多様性を排斥し、懐古主義に陥りがちである。

古代レムリア時代から、まるで夢をみるように、眠っている動物の集団の潜在意識のようで、古代アトランティス時代から古代ギリシアまでの自我による覚醒意識の育成が、忘れられているようで、真に個人主義が芽生えていないように、昨今の巷の、性差別問題やら、公共教育の教員不足問題などからの問題山積盛り沢山で、感じられてしまうのである。

日本人は、いま、本当に自分の人生を生きている、といえるのか、自問自答すべきかもしれない。

二足歩行をはじめてから、人類は個人的なカルマをもち、自由な生き方、誰かに命じられる生き方から脱したはずなのである。人類はもはや古代レムリア時代に生きているのではない。

そのときから、人間は自由になった2つの手を使い、計算や、リズム、音楽や、言葉を表現できるようになった。そして、各個人の行為を、他者に、言葉で説明する事で、各個人の行為が、全人類に寄与するようになり、共通の社会が生まれた。

古代アトランティス時代から、言葉を使い、メルギゼデクに習った文字で、アブラハムの民族が、共通社会をつくり、記憶イメージから、悟性を基にした思考が、古代ギリシアの哲学者たちから生まれ、現代までに、個人主義の、覚醒意識が生まれた。

そして、共通の社会現象から、人間は個人的に行動し、話しながら、物質界で、思考するようになった。

いま、覚醒意識の思考によって、ルシファーの古い憧れの価値観を破壊し、超えていかないといけない。ルシファーの誤った神秘主義を破壊し、現実に即した、物質界を愛で満たす芸術的な、新しい価値観をつくらないといけない。

でないと、アーリマンの物質主義的な価値観により、全てが快楽の名の下に、首尾よく物質的に統合されていくだろう。

新しい愛に満ちた中庸精神の、キリストの個人主義を打ち立てるために、シュタイナーの人智学的医学を紹介する。

            ★       ★       ★

 例えば、正真正銘の自然の教師とでもいうべき植物、チコリ(2)を取り上げてみる。チコリを手懸かりにして、薬理作用が研究できる。

 2;チコリ

 キク科、和名キクニガナ。明るい空色の花をつける。若葉は野菜として食される。根をコーヒーの代用品1)とすることでも有名。一般の薬草学においても、葉、花、種子、干した根、いずれも、利尿、健胃、緩下等の薬効があるとされている。中国では全草が肝炎や黄疸の薬として用いられる。
1)http://hirogarden.web.infoseek.co.jp/herballifeherbchicory.html
参照;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%B3%E3%83%AA

 チコリは、消化不良を改善し、外界に開く臓器の障害を改善する薬となり、また自我に必要な活動を、血液が実施するように、血行が停滞しないように働く。

 チコリの作用は、末端部まで及び、ときには、頭部、特に喉に、そしてまた胸の肺にまで及ぶ。

 チコリは人体にくまなく作用するので、チコリの作用を研究すれば、興味深い知見が得られる。チコリの(消化不良の抑制と、血栓予防の)作用が、人体下位から扇形に拡がる、のがわかる。

 では、「この消化不良の改善は、チコリのなかの何によるものか?」

 それは、「チコリのなかの苦味成分にある。」

 この苦味成分は、植物のなかにあっては、物質性をまだ強力にもち、あまり分解されずに、外界の外観のままにある、のを意味する。

 口に入れると、唾液では、ほとんど溶かされず、胃に取り込んだ後にはじめて、分解がはじまり、腸を通じて加工され、血液中に出され、溶解された形で、末端の骨や神経、筋肉に到達する。だから、この苦味成分は、まだ消化、加工されていない外界の物質とほぼ同じ状態にある。

 ところで、チコリはカリウム、アルカリ塩を含んでいる。特に、それらの、血液への作用を調べれば、チコリのなかに、どのような活動があるのかわかる。苦味成分のなかの活動は、それと関係が深い消化器へと進んでいく。

 アルカリ塩は、血液や血液と関係の深い器官へと進んでいく。更に、チコリは、珪酸を多量に含み、珪酸は血液を通じて、末端の器官に達し、神経や筋肉を経て、骨のなかにまで到達する。

 従って、次のように考えられる。

 「チコリの作用は、基本的に、3つに分けられる。そして、それは人体の3つの、頭部、胸部、四肢と腹部に作用する。」

 アニスとチコリの薬理作用は、いわば目の前で行なう、自然の臨床試験であり、人間の臨床試験よりも、包括的で、遥かに意義深い。というのも、自然の意図は、自然に対して実験により問いかける人間の意図よりも、遥かに大きく豊かだからである。

 アニス、チコリのような植物に続いて、スギナ(3)も興味深い。スギナにも消化不良を改善する作用と、末端に達する作用が見られる。

 3;スギナ

 トクサ科の多年生植物。これの胞子茎がツクシ。スギナの全草は利尿薬とされる。いわゆるトクサ(木賊、砥草)は Equisetum hyemale。 地上茎は円筒形で分枝しない。茎は珪酸を多く含み、固いので、18世紀まで、鍋類、特に白銅製品などを磨くのに用いられた。
参照;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AE%E3%83%8A

 では「スギナの、末端にまで達する作用は、何によるのか?」

 それは、また「珪酸」で、チコリと同じ答えとなる。だから、これら植物の比較研究から、植物の薬理学が多彩になるが、植物が外界にあるのと近い状態と、分解され、成分となった状態の両者は、消化器と関係が深く、そこまで達するが、植物というよりも、鉱物に近い状態、つまり珪酸にほぼ近い状態は、人体の中心から、末端を目指し、そこで、同時に治癒作用も引き起こすのがわかる。

 植物の薬理作用としては単純だが、極めて多い知見をもたらす、実に素晴らしい植物がある。それは野イチゴ(4)である。この野イチゴの作用が滅多に観察されないのは、この作用を覆い隠してしまう人たちによく食べられているからである。

 4;野イチゴ

 ワイルドストロベリー。ヤマイチゴ、エゾヘビイチゴ、シロバナヘビイチゴ とも。葉、根、実いずれも用いられ、冷却、収斂、強壮性のハーブとされる。
参照;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%93%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4

 野イチゴの作用を、覆い隠さず、まだ感じやすく、敏感な、つまり野イチゴをほとんど食べない人たちで試せば、この作用の素晴らしい効能が明らかになるだろう。

 野イチゴの作用は、特に血液の正常化を促す。血液に正常化を促す、この野イチゴの作用を打ち消す免疫をもたなければ、下痢の薬にもなる。というのは、下腹部に間違って起こる活動から、下痢になるが、この野イチゴの作用によって、正常化が促され、血液を正しい活動に戻すからである。

 さて、野イチゴは、血液を正常化させる基本作用をもち、また同時に珪酸ももつので、人体の末端の活動と関わり、末端を目指す。野イチゴの珪酸も、末端にまで、珪酸のもつ固体化の作用を展開し、進めていく傾向をもつ。

 しかし、末端で、この固体化の作用を展開しすぎると、逆にある危険を生じてしまう。珪酸を、あまりに多く末端に導いてしまうと、そこでの固体化の活動に、十分な栄養が供給できない、危険が生じる。

 さて、野イチゴが素晴らしいのは、珪酸活動でつくられた固体化組織に、栄養を供給する血液を自ら準備できる点にある。つまり野イチゴは、珪酸によって末端に生じる活動を支援する、血液も同時につくるという、驚くべき一石二鳥の働きをもつ。

 自然は、このような例証(サンプル)によって、この例証は更にずっと増えていく可能性もあるが、実に驚くべき洞察を与えてくれる。ただし、自然を正しい観点で探究する神通力=直観力を備える必要がある。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023年07月19日 19時01分35秒
コメント(0) | コメントを書く
[神秘体験空間] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.