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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2023年07月31日
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カテゴリ:神秘体験空間
シュタイナーによると、脳と腸は、兄弟のような関係をもち、特に前脳が下腹部と関係が深いという。だから、脳科学が、本当の脳科学となるには、腸科学になり、下腹部の消化科学になる必要がある。

毎回紹介している、人智学的医学からも、わかるが、人間は消化活動によって、食物から、エーテルを取り出して、エーテルによって思考している。

エーテルは思考が物質でないのと同じで、現代物質科学では、エーテルは物証できないので、マイケルソンモーリーの実験で否定されているが、それは、思考実験を、実験で物証できないと言っているのと同じである。

マイケルソン・モーリーの実験 - Wikipedia


物理学が可笑しいのは、物証できない思考実験から生まれた、なんらかの物証できる成果を、実験で物証することで、思考実験を認めているところで、つまり、霊的な何者か、エーテルなどが、物質化されるのをもって認めているところにある。

有名なシュレディンガーの猫の波動の収束性や、最近話題になった、量子ゆらぎを、コンピューターで再現する事で、物証としている。

つまり、これは、人体の消化活動を、物質化し、逆向きに再現している、のと同じなんである。

しかし、現代科学は、消化活動がエーテルを取り出しているのは無視し、つまり、エーテルを語らず、エーテルの物質化を語っているのである。

そして、シュレディンガーの猫では、アインシュタインが、神はサイコロを振り給わずと言った確率論を、エーテルの代わりに持ち出して、そして、量子もつれでも、それは引き継がれ、エーテルの性質の代わりに、内部角運動量のスピンを、エーテルの代わりに持ち出してくるのである。

シュレーディンガーの猫 - Wikipedia

量子もつれ - Wikipedia


物質科学にとって、非物質はありえないものなので、都合の悪いエーテルは、物質化した、数学的な消化活動をなんでも使って、巧みに物質化してしまうのである。

そして、消化できずに、下痢を起こすと、こんなものは科学ではなく、似非科学だとレッテル貼りをするのである。そして、脳科学ではありえない現象だ。脳が幻覚をみているのだ!と喚き散らすわけなんである。

だから、幽霊は脳科学では、幻覚とされているわけだが、ある脳神経医学者が、臨死体験中に、脳の活動がとまっていたのに、自分が臨死体験を記憶している不思議さに驚いてもいるのだが、脳科学では、死後の世界を物証できないので、その前後の急激な脳の活動に置き換えているわけなんである。

つまり、ルシファーの唯物論に洗脳された現代人は、その洗脳故に、アーリマンの脳活動になんでもおきかえ、物質化して、死でさえも、物質的に解釈してしまうわけなんである。

そして、死は、物質からエネルギーが奪われたものとしているが、ではエネルギーはどこにいくのか? エネルギー保存則はどうなのか? という疑問には、死については、こぼれた水のように、覆水盆に返らずと、恐らくエントロピーの増大の法則を持ち出すのだろう。

では、死によって、それまでの脳の活動全ては無に帰するのか? という疑問は、生きている人類が引き継ぐと、これまた都合よく物質で解釈してしまうのである。

引き継ぐと言っても、死者の脳の活動全てを引き継ぐわけにはいかないわけで、他者からみた違いはどうなるのか? などの違いは、物質的には考えられないので、これまた、記憶をコンピュータなどの媒体に記録ようと考えているわけで、堂々巡りの錯誤に陥り、アーリマンの手の内に堕ちている、といえるだろう。

このような唯物論が誕生したのは、中世のホッブス、ベーコン、ロック、ヒューム、ジョンスチュワートミルらの哲学からで、輪廻転生や、霊の存在を認めなくなった、中世の教会らにあり、彼らが便秘気味のせいで、消化活動が悪く、唯物論にハマったせいで、もし彼らに下剤を投与していたら、唯物論は下痢で解消していたはずだと、シュタイナーは述べている。

中世の教会は、禁欲主義というか、ただ一回の人生を貴重にして、教会の言いつけに従順に生きる、のを強いるために、イエスの時代の、パリサイ派のような、聖書を物質的に解釈し、法を私物化して、自分を度外視し、他に厳格に適応するのを求める偽善者であると、キリストに指摘されてしまうわけなんである。

ファリサイ派 - Wikipedia

とどのつまり、中世の教会は、古くからの、パリサイ派のルシファーの罠に染まっていて、その源を探ると、太陽紀のアスラに辿り着くのだが、その話はまだ勉強中なので、別の機会に紹介するが、このアスラと、ルシファーの取違いから、ルシファーの錯誤から、古くはサドカイ派の流れから来て、現代に至り、アーリマンの唯物教の物質科学の興隆を迎え、論争、闘争、戦争を、現代人が好むようになっているわけなんである。

サドカイ派 - Wikipedia


イエスはエッセネ派だったが、それは、両者の中庸をとる、つまり、ルシファーとアーリマンの中間の、ヘーゲルの弁証論でいうところの、正反合の、合の、キリスト的な中庸精神である。

さて、そもそも物質化とは何かといえば、その安定性、秩序をもった振る舞いと解される。シュタイナーは、物質とは、一である宇宙意識が与えた役割に応じる特性で、つまり天の配剤に起因するという。

天の配剤 - ウィクショナリー日本語版 (wiktionary.org)

現代科学では、複雑系と呼ばれるカオス工学で、物質現象の安定性を超える非線形現象を解析しているが、この科学が非物質性を記述するには最適で、非線形の非物質性をもつ、生命現象を記述する、のによく使われる。

例えば、パリサイ派の唯物的思想は、杓子定規な律法主義者で、カオス工学では、秩序的な振舞いと捉えられ、それが激しく振舞っていくと、ある段階で、秩序型を失い、無秩序なカオスになっていく。確かにカオスは、非線形なので、無秩序だが、統計力学で用いられる、数値解析を駆使して、何とか解析している。

このカオス理論による、数値解析学が、アーリマンの与える古のサドカイ派の新しい学問なんである。パリサイ派の唯物論の秩序系から、サドカイ派の物質性数値解析、人工知能AIなどは、アーリマンの物質支配による知的生命統一論で、この間にあるのが、カオスの縁である、キリストのカルマによる、心の中庸である。

カオスの縁 - Wikipedia

カオス理論 - Wikipedia


ルシファーから、アーリマンの手に堕ちないように、キリストの心の中庸、カオスの縁で生きるために、シュタイナーの人智学的医学を紹介する。

             ★       ★       ★

ルドルフ・シュタイナー
「精神科学と医学」第11講
1920年 3月31日   ドルナハ
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 前回は、具体的な事例からはじめ、それとは全く別の事例に到達したように、今回も、ある具体的な物質現象からはじめ、問題全体への拡張を試みたい。

問題については、その性質や、講義時間が少ない為、いわば周辺から円を描くようにアプローチしなければならず、公理から始め、次第に、複雑な問題へと進んでいく、科学的なアプローチはとれない。

 今回は、植物のなかの炭(以下、「植物炭」とする)からはじめ、霊的な観察を、もう少し先に進められるように範囲を拡げる。前回は、チコリ、野イチゴ他を研究したように、今回も、一見奇妙にみえるが、自然界には、どこにでもある、「物質」について研究していく。

 自然を実際に観察するだけでも、今日の科学が導く知見以外に、目を向ける必要がある、のがよくわかる。

 前回後の講義で、コリスコ博士(1)が、未来の科学は、いまとは全く別のものでなければならない、と指摘し、そして、その際、「生理学」という言葉を好んで用いていたのは興味深い。それは、化学と生理学に橋を架けるべき、その決意の表明だからである。

1) オイゲン・コリスコ[Eugen Kolisko] 1893-1939  1920年からシュトゥットガルト自由ヴァルドルフ学校の教師および校医。後に英国でも活動。 

 橋を架けるのに必要な基礎知識が欠けているので、この講義でも完全には紹介できない、あらゆる事例を考慮する必要がある。例えば、人体をつくる炭素という物質を、外の自然にも見つけられる。

 では、そもそも大いなる自然のなかには、人体にあるもの、の他に何があるのか?

 実は、人体以外には何もない、といってよい。というのも、目の前の外界全ては、人間が進化するにつれ、人体から外に出し、分離し、遠ざけてきたものだからである。

 人間は、新たな進化段階に進む必要があり、次の段階に進めるのは、人間と相対する外界の活動が進む事で、その相対活動を、人体に取り入れる余地が生まれた事による。従って、外界の活動と、人体内の活動との間には、実際、親和と対立が存在する。

 さて、これは、前回の講義後に述べた「化学の生理学化」、コリスコ博士の講義を聴けば、この表現の意味が理解できるが、シャイデッガー博士(2)の講義のなかでの興味深い議論において、ホメオパシーを、人智学で捉える必要がある、のが指摘されたが、その指摘と不思議にも共鳴し合っていた。

2) エドウィン・シャイデッガー[Edwin Scheidegger] バーゼルのメーリアン・イーゼリン施療院の主任医師および設立者。

 そして、この共鳴の反響は、ある段階で、次のような不可思議な言葉になって消える。この言葉とは数十年来関わってきた、

 「ホメオパシーの医師でも、神秘主義(オカルト)になるのを恐れている、すなわち、神秘主義者(オカルティスト)という評判を立てられる、のを恐れている。」

 さて、この言葉と関わってきた根拠は、あくまで現実へと回帰していくなかで、特殊な見方をされた事にある。

 ホメオパシー療法で切に求められる本質を、正確に描写するなら、常に、誤解しやすい、些かラディカルな表現にならざるを得ないが、物質自体の性質というよりも、物質を体内で分解し、消化する活動、つまり、例えば、人体の珪酸の活動や、植物炭の活動にある。

 物質は、人体で消化され、分解され、調和、中和活動を誘発する事で、薬となる。ホメオパシーの薬を用いると、人体では、本質的に何を生じさせ、どんな活動を誘発するのか、随分と取り組んできたが、是非、ラッシャー博士(3)も認めたように、例えば、リッターの治療法(光線力学的療法)も、リッター嬢自身が認めなくても、ホメオパシー療法に含めたい。

3) ハンス・ラッシャー[Hanns Rascher] 1880-1952 ミュンヘンの医師。

(リッターの治療とは、光線力学的療法とも呼ばれ、簡単にいえば、光を発する媒体のルミネッセンスを人体に投与し、光を内外から照射し、制御し、病気の治療を目指す治療で、現代の放射線治療や、光=遠赤外線に反応する抗体を投与し、遠赤外線を外から当ててがん治療を目指す光免疫療法などになっている。)





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Last updated  2023年07月31日 21時11分25秒
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