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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2023年08月22日
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カテゴリ:神秘体験空間
ベルサイユの薔薇は、女子向け漫画だったが、はいからさんが通ると、ほぼ一緒に、子どものときに、よく見ていた。主人公オスカルフランソワが、女性として生まれ、男性として生き、王政を守るために、フランス革命に身を投じる話なのだが、その原典は、手塚治虫氏のリボンの騎士にあったように記憶している。

ベルサイユのばら - Wikipedia
はいからさんが通る - Wikipedia
リボンの騎士 - Wikipedia

当時は、女性の社会進出が目立ってきたせいなのか、男勝りの女性が主人公の、強い女性が流行った気がする。当時の教育には、昭和バリバリの、男は男らしく、女は女らしく、という、令和ではセクハラになりそうな地で行く硬派的な伝統が色濃く残っていた。

当時の社会は、男子にはどこか、女性には見向きもしない、硬派の体育会系の厳密な上下関係が求められ、男性色の濃い、大学の応援団的な雰囲気を醸し出していた。そして、なぜか、嗚呼!!花の応援団は、子どもには敷居が高い、どこかアウトローの、大人の男子がみる漫画とされていたような気がした。

嗚呼!!花の応援団 - Wikipedia

男性のほぼ大半は煙草を吸い、大酒飲みで、大人たちの男性という性差を、社会から強制されている空気があったような気がする。性差による教育がある程度確立されていたのが昭和といえるかもしれない。穿った見方かもしれないが、令和からみれば、闘争的で、何かと暴力に訴える不良を誘発する、空気に囲まれていた時代といえるだろう。

そのような社会の男性優位の流れが、団塊の世代の競争意識過多の時代から、全共闘の学生運動へとつながっていったのは、この昭和の空気感の反映ともいえるかもしれない。

令和の草食系からみれば、正にド肉食系を地で行く男性一色の物質性がギラギラした世界にみえる。男性が正しくて、女性は間違っているような、奥に引っ込んでろ、という雰囲気があった。だからこそ、女性に生まれたオスカルが、舞台がフランスとはいえ、男装してヒーロとして現れたような気がする。

オスカルと名乗る男装のヒロインは、それまでの勧善懲悪の、武力に訴え解決を図る、古い、武闘的なヒーロの文化や、しきたりに、改革を求める使者だった。だから、オスカルをみて、影響を受けた子どもは、強い女性に惹かれてしまったもので、恋愛に夢見る女性には全く関心がなくなったものである。

それまでのヒロインは、ヒーローに助けられるお姫様やお嬢様がお決まりの設定だった。せいぜい魔法を使って、悪を撃退する、魔法使いサリーやテクマクまやこんと呪文を唱えて変身する、ひみつのアッコちゃんがヒロインのお決まりの闘いだった。

ヒロインの闘い方は、あくまで秘密の闘い、まるで秘教を思わせる魔術だったのである。ある意味、男装も魔術とはいえるが。

さて、昭和の大人たちは、自分たちのしている教育についてほとんど無知なのに、性差の教育だけは過信していたといえるかもしれない。そのくせ、性教育というのは、巷では議論が盛んだったときもあったが、欧米のようにはほとんど進まずに、臭いものに蓋をするように、自然に覚えるなどと無関心だったのである。

明治以降の男性中心の社会も、昭和時代に反省する事なく、そのまま事勿れ主義として、平成を経て、令和になってはじめて、巷の差別問題として、芸能界のジャニーズの人権問題を、今更ながらに、国際社会から指摘され、気づかされている始末なんである。

そもそも男性らしさ、女性らしさとは何なのか、わかっている人がほとんどいないままに、男女の差が自己主張の場を借りて、朝まで生TVのように討論、論争、闘争の道具として、迷走しているのが、現代といえるだろう。

女人禁制の文化がなぜ生まれてきたのか、また女系天皇がいまだ現れない、その理由もわからないで、論争しているのは、人類が堕落腐敗しきった、愚かな獣になった証拠でもある。それらは、秘教学では明白な理由となっている。秘教学を知らずに語る莫れ、の身の程知らずであろう。

前回は、微積分が、無限小と無限大の計算の陰と陽で、その陰と陽が、パイコネ変換により記述でき、パイコネ変換が、ウロボロスの蛇を表し、ウロボロスの蛇が、人間の脊髄の象徴で、脊髄から神経の交感神経と副交感神経の陰と陽から、男女の性が派生するのを紹介した。

シュタイナーによると、男女の性に分かれたのは、古代レムリア時代で、その前までは、人間は肉体をもたずに、両性具有の単性生殖で子孫に、霊魂を引き継いだという。だから、レムリア時代前の人間の姿は女性で、霊魂はあくまで両性だが、レムリア時代から、聖書に記述されたように、生命の樹から知恵の実を食べ、人間が肉体をもつに至って、受肉し、女性から男性が生まれ、男女に分かれた、というわけなんである。

聖書では、それを人類の失楽とし、ヤハヴェ神と敵対するルシファーに、エヴァが唆され、生命の樹から、知恵の実をとって食べ、エヴァから通じて、アダムも食べて、人間が男女に分かれて、地に生まれたと記している。

失楽の前までは、両性具有の単性の一元性だったのが、失楽により、生命の樹と知恵の実に分かれ、神の叡智が、愛と知恵の陰と陽の二元性に分かれたのを、シュタイナーは、男性系のカインの神殿伝説と、女性系のアベルの黄金伝説として、述べている。

そして、古代レムリアに、人類が男女の愛と知恵に分かれたために、肉体に男女の二元性と、愛が堕落した直感的な女性の知恵と、知恵が堕落した論理的な男性の認識を司る、頭の脳が、脊髄から生まれたという。

だから、現代人の肉体には、頭があるが、男女に分かれる前の、古代レムリア以前の人間は、頭をもたずに、頭は、いわば生殖器だったのである。男女に分かれる前の単性の両性具有の人間の頭は生殖器で、生殖器といっても、現代のような物質体を生み出す生殖ではなく、霊的な融合で、新しい叡智の誕生といえるような創造活動の事である。


2匹の蛇=龍

陰陽図

上図の、2つの龍と、陰陽紋は、生命の樹と知恵の実、男の認識と女の直感を表す。そして両性具有は目として現れる。


台風の目図

古代レムリア時代に男女が分かれ、古代アトランティス時代に神殿伝説と黄金伝説となり、そして現代へと続く、我々のポストアトランティス時代の終わりに、男女が再び統合される、両性具有時代の到来の準備がなされると、預言されている。

来る水瓶座の両性具有到来の準備のために、男系カインの神殿伝説による芸術や科学と、女系アベルーセトの黄金伝説の宗教が、統合されるだろう。

シュタイナーによると、聖書の内容は、女系アベルの直感的な叡智により、記述されたという。女性の方が霊能力に優れているのは、女性の肉体が、男性のエーテル体を宿すので、つまり、女性のなかの男性の叡智が陽で、積極的なので、直接に、神の叡智をとってくるので、直感が働き、女性の肉体をもつ人間により、聖書が生まれ、黄金伝説となってきたという。

勿論、なかには例外もあり、男性の肉体でも、男性の陽のエーテル体を持つ人もいる。そういう人は、恐らく外見に囚われると、霊魂の両性性と、肉体―エーテルの男性への過多な傾きとでバランスがとれずに、性同一障害になり得る理由となるだろう。

それはさておき、男女の差が融合されていくように、バランスされるように、輪廻転生が繰り返されるので、全てがバランスされ、両性具有となるために、進化するので、そしてまた両性具有が唯一の創造のシンボルなので、持続的に創造するには、その唯一の原則を獲得しないといけないからである。

つまり、今生では性同一できなくても、死後の、自他の変換によりカルマに記録され、来世により、性差は補完されるのである。現世での外的な差異、不完全、失敗などは、来世によって、内的な心の問題とされて、回復される機会を生む。勿論、現世において、性同一の内的な方向に和解するのに越したことはない。

だから、例外はあるが、性差については、外見や肉体に拘らず、中身、心の問題と考えるべきである。男性の姿をしていても、肉体をつくっている生命としての、中身のエーテル体は、その逆の女性であるのが、バランスをとる意味で、相応しいからである。

男性の肉体を持つ人は、女性の陰の受動的な知恵をもち、論理的な認識を深めるために、物質界の知識を集める傾向をもつ。だから、男性は、物質界を建設的に構築してきたわけで、有名なメーソンの石工も、女人禁制で、カインが農夫であったように、物質界、鉱物界の地を耕し、神殿建設の、芸術や科学を新興してきたわけである。男性にコレクターの趣味が多いのもわかるだろう。

カインの男系がつくる科学技術や芸術は、聖書の内容、つまり宗教の権威とは相いれないもので、アベルーセトの女系の直感的叡智とは、陽と陰の対極にある。つまり、男性の肉体には、女性の受動的な叡智、受け身の知識が宿るので、男性は肉体を用いて、移動や運動しないと、知識が集められず、集めた知識を脳に与えてから、間接的な論理を構築して認識し、神の叡智にようやく到達するわけである。

だから、正確だが退屈な知識を間接的に駆使する男性の脳と、直接、要点を掴み、未来をある程度予測できる直感が働く女性の脳との違い、が生じるわけなんである。男性の話は長くつまらないと女性の脳は感じ、女性の話は、移り気で天気のように変わり、とりとめなく、何を考えているのか、想像できないと男性の脳は感じるのである。

ちなみに、競馬予想をさせれば、男性がデータ中心で、女性が直感で予想する、などからもわかる。しかし、時代の推移と共に、この性差は次第になくなっていくだろう。随分前の平成に、男女の脳の差が巷で色々いわれたが、令和となると、セクハラなどのコンプライアンスが必然の時代になって、いまや男女差もなくなっていき、昔の価値観はもはや通用しない世の中になっている。

男女の差は次第に解消され、和解していくのが、次の時代への準備となるだろう。シュタイナーによれば、それは聖書の女系の黄金伝説のなかから、男系のキリストの神話が生まれ、メーソンなどの秘密結社の男系の神殿伝説のなかから、女系の聖母マリアの神話が生まれたように、徐々に両性具有の中性化へと時代は進んでいく、と預言されているという。

科学技術の中でリケジョが生まれているように、男性の女装化が流行っているのも、物質界の俗物的には、時代の流れの、中性化といえなくもない。女性のなかの男性的直接的な叡智と、男性のなかの女性的間接的な叡智の統合がそのうちなされるであろう。

それが神秘の目として、霊的な結婚として、マナスと、ブッディとアートマの神器の、黄金の叡智の三角形のなかに、象徴化されている。


プロビデンスの目

シュタイナーによると、ゲーテは、人間の眼は光から生まれた、と考えたという。だから、人間の眼には、男女の陰と陽の叡智が統合された形が隠されている。霊的な叡智の統合の継承なのである。

それは、男女の叡智を統合して、神の3つの神器を獲得し、人間に、自由な愛の天使となれと、高次の宇宙人が送る愛のメッセージでもある。

いまの現代人は低レベル故に、下半身の生殖器で物質的に、セック ス=性同一化するが、高レベルになると、上半身の脳で、セック ス=性同一化するのである。それは本当の愛の融合なのである。現代人は、性差を超えて、愛の生殖器を上半身に開発しないといけない。愛の言葉を見つけ、発するようにならないといけない。

水星人の姿は、愛の男女の統合を現わした、ゲゲゲの鬼太郎の目玉親父なのかもしれない。昭和のオスカルは、令和の目玉親父として現れるのかもしれない。想像するには難しいが、楽園の両性具有がオスカルで、失楽後の両性具有が目玉親父と考えれば、よいかもしれない。

 令和の目玉親父の、愛のメッセージの使者となるために、シュタイナーの人智学的医学を紹介する。

           ★        ★        ★

 人生の第三期を取り上げてみると、それまでの期間と同様に、鉄と蛋白質との均衡(動的平衡)を取るのが問題となってくる。この均衡が取れず、鉄と蛋白質の相互作用が異常になると、萎黄病(貧血)の症状が出る。

 萎黄病(いおうびょう)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)


 だから、発達(成長)段階に沿って、出現する異常だけをみるのではなく、以前述べたように、幼児期に、歯についてのマグネシウムとフッ素の均衡を失えば、そのときに、ダメになる歯が準備されてしまい、後に現れてくる、というように、また委黄病=貧血の科学的な特徴だけでなく、根本から病気を理解するには、人体全体の根底にある隠された秘密に参入しなくてはならない。

 このような均衡から、人体構築に関与する金属が大まかにわかる。しかし重要な金属として示した、鉛、錫、銅、水銀、銀、金は、鉄を例外として、人体構築には関与しない。これらの金属は、鉄を例外として、人体構築には直接関与しないが、だからといって、人体に関与しないわけではない。

 概ね、人体の、末端部の活動を追求すると、地中の、珪素=シリカに関係するのは既に述べた。しかし、人体に生じる事象は、皮膚内の活動だけではなく、外の宇宙全体の活動のなかに組み込まれ、影響を受けている。

 人体に御馴染みの物質が意味を持つように、外からは、以上に列挙した金属が人体に有効で、意味をもつ。そして、鉄は、人体内と、人体外の均衡を担う、媒介の役割が与えられている。

 鉄は、皮膚内と外とを媒介する役割を引き受けるので、次のような事がわかる、

 「肺もまた、人体全体になろうと努めているが、肺の活動は、自然や宇宙の生命活動にも密接に関わっている。」

 解剖して、眼の前にある(静的な)肉体を見るだけでは、人間のごく一部を観察しているにすぎない。そのような観察は、生命活動全体ではなく、ほんの一部で、外の活動に対抗する内の活動しかみない。逆に、外の活動は、外から人体に働く、鉛、錫、銅などの活動から成立する。

 だから、自然科学の意味づけで観察するときでも、人間を、皮膚で境界づけしてはならない。従って、内から外へと働く活動だけが問題となるのではなく、外界から、人体(エーテル体)に方向性を与える活動も問題となる。このような問題を考えると、次のような事が深い意味を持ってくるだろう。

 御存知のように、人体の物質は、塩基(アルカリ)性、酸性、中性をもって活動している。

 つまり、物質は、塩基、もしくは酸と結びついて出現するか、或いはまた、化学的に、中性の塩(えん)として出現するかの、いずれかで活動している。

 しかし、塩基から酸へと移った後、中性の塩に至るような、対立する塩基や酸の二極性だけでは、状態は言い尽くしえない。この酸、塩基、中性の塩という三重性が、人体の本質、つまりエーテル全体の方向性と、どのように関係するのか、を考えないといけない。

 塩基は、口内や消化などの活動を、前から後ろへと継続させ、支援する傾向をもつ。だから、塩基は前から後ろの方向に関わり、酸は、その逆の後ろから前の方向と関わる。

 人体の前後の対比に注目すると、塩基と酸の対比に辿り着く。中性の塩は、地球の中心に向かい、両者の均衡をとる垂直の位置関係にある。だから、上から下への活動には、中性の塩が関わっている。

 従って、塩基、酸、中性の塩の、人体のなかでの活動を知るには、以上の3つの方向を基準にするとよい。すると、人体の観察を通して、外の金属の科学と、生理学との間に橋を架けるような事例が再び獲得できる。

 このようにして塩基や酸と、中性の塩との地球との関係などの知見が与えられる。この事を例えば、図で示せる。

 地球の中心に、中性の塩は、向かう傾向を、塩基と酸は、地球の周りを、円を描いて前後に回転する傾向を持つ。だから、人体に与えられる方向性をよく知り、この方向性に対して、逆に、化学的に介入できる。

 この方向性から、塗布や軟膏などの薬で、外から化学的に介入する治療法が想定できる。従って、外から、ある方向に働く薬の研究が必要となる。状況によって、ピリピリする芥子の軟膏や、金属の軟膏を、適切に調合すれば、内服に劣らず、大きな効能が得られる。

 ただ、軟膏薬を、どのように塗るべきか、などを見ていく必要があり、というのも、ある膏薬を、どこに塗るかで、効果が変わってくるからである。

 適切な箇所に塗ることで、損傷に対する抵抗力を、人体から引き出すことにある。ヒリヒリ痛む箇所に、大雑把に塗るのは正しい、とは言えない。





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Last updated  2023年08月23日 02時08分18秒
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