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カテゴリ:神秘体験空間
古代叡智では、悪魔の活動が活発になる1666年に、ニュートンにより唯物論の力学が物質界にもたらされた。
それは物質知の集大成ともいえる、古代叡智では、男性的な低レベルの下降の分裂=分化的な叡智とされるが、ハーレーに提案され、ニュートンが出版したプリンキピアには、数式は一切書かれず、図などで示された定義ばかりだったのは、非常に興味深い。 図などで幾何学的に示すのは、古代ギリシアからの伝統でもある。というのも、神は図で示される、と考えていたからである。というのも、古代ギリシア時代以前の叡智とは、神が直接、図やイメージなどの叡智を送ってくる、いわば直感的なもので、霊視的なものと思われていたからでもある。 だから、古代ギリシア時代以前では、文字を書き記すという習慣がなく、図やイメージをモノそのもので示し、ほとんどが口伝だったという。だから、文字を書くなどは、人間が神の叡智に手を加える不浄な心の働きで、不潔で、穢れだったわけでもある。だから、文字を書く人は、悪魔にとりつかれた、と思われたのである。 現代でいえば、計算機を用いて、自動計算したり、マスマティカなどの数式ソフトで、自動計算したり、AIなどを用いて、自動回答を作成したり、確率統計データを使って、人間の働きを物質的な道具、モノ的にみなす考えなどである。 だから、微積分の概念を既に手に入れていたニュートンが数式を書かなかったのは、恐らく、数式が、叡智の死んだものだと薄々感じていたため、とも思われるが、微積分に関して、後にライプニッツと争うのは、主に、ニュートンの弟子たちが起こしたもので、ニュートン自身は、恐らく低レベルな議論と思っていたのではないか、と思われる。 ライプニッツとニュートン:微積分学発見の優先権論争 (hix05.com) 低レベルな争いといえば、先日、TV録画予約のちょっとしたトラブルで、違う番組が録画されていたのだが、それが朝まで生TVという、昭和の巷の議論、論争好きの番組だったのに面食らったが、相変わらず、昭和当時とあまり代わり映えの無い、ある意味、老人たちがみる、古き良き時代劇ファンタジーのような、懐かしいが、新鮮さのない、いまや令和のZ世代が主流のネット配信動画時代に、あのような前時代的感覚を持ち込むのは、どう考えても退屈な時代遅れの錯誤感が否めなかった。 近所の仲が悪い弥次喜多連中が喧嘩しているのを見かけ、用事を済ました帰りがけに、また見かけて、まだ喧嘩してんのか、という感覚に近い。まだ懲りずにやっているのか、を強く感じた、TV業界ではもはや、池上、林解説の、わかりやすさを求める時代なのに、どういう一般視聴者を対象にやっているのが、甚だ疑問しかない。 分かりやすいのがいい、と言っているのではなく、それを取り掛かりにして、自分で調べる時代なんである。与えられた知識や権威にすがる時代は既に通り過ぎている事に気づいていない、身体だけでなく、中身も老人と化している、のに気づいていない、空気が読めていないから、時代の不適合者として、歪なままなんである。 ニュートンの弟子と、ライプニッツの微積分優先権争いのほうがまだマシだが、虚しい議論という意味では似たようなものである。 ニュートン自身は、ニュートン力学と呼ばれる微積分による数式の記述については、名前しか関わっていない。恐らく、ニュートンは、自分は神の代弁をしているだけで、数式を使うのは、それをわざわざ証明する事になり、神が神を証明する必要がない、と思い込んでいたためと思われる。 だから、ニュートン力学と呼ばれる体系は、ニュートンがいわば太陽になって、太陽系の他の惑星が、太陽光を反射して、地球にもたらしているように、ほとんどが後の数学者などにより数式で記述された。 さて、この微積分という概念は、簡単にいえば、物質界を無限小に分解していく叡智からなりたっている。いまでは、フラクタルと呼ばれる一断片が全体と同じ形になるように、分解していく数学に発展している。簡単に言えば、自己相似分解といえる。 そして、積分は、微分の無限小を集めて、神殿を建てるように、無限大に展開していく作業で、自己相似を外に向かって展開し、拡張していく、変換法則といえる。現代のニューラルネットワークを基にした人工知能AIなどや、サンプル数を無限大にまで拡張した、確率や統計の概念などは、現代の積分であり、無限小と無限大にまで物質的に拡張する変換則といえるだろう。 無限小の無限大への変換則で面白いのが、宇宙のフラクタル構造を解き明かすといわれている、パイコネ変換なんである。 パイコネ図 このパイコネ変換は、実は、人間の叡智の作成法を表現しているのである。 パイを延ばすのが、無限大の変換則で、積分を表し、パイを折りたたむのが、無限小への分解で、微分を表すのである。問題は、フラクタル構造になるように、元のパイと、折り畳み層になったパイが同じ形だが、何倍ものパイに進化しているようになるかどうかである。
つまり、カオスになるのか、秩序を築くのか、は、カオスの縁にある叡智が、高レベルの愛か、低レベルの欲望かで、修行者の精神状態、心の問題で、変わるのである。 さて、前回は、霊的叡智の獲得方法が秘儀参入法であり、それは蛇の譲渡と呼ばれるのを紹介したが、この蛇とは、ウロボロスの蛇なのではないか?と思うわけである。 ウロボロス - Wikipedia ウロボロス図 人間は、外の物質界に自我を欲望により展開していく事で、自分を自然に適合するように変換し、いわばパイを延ばすわけで、人間の活動を宇宙に拡げていく無限大へのマクロの叡智の働きといえる。これはウロボロスの蛇の頭へと向かう高次の犠牲の愛への叡智の展開、つまり蛇の頭への進化の積分といえる。 この無限大への愛の働きが、人間に脊髄の神経から、大脳を中心とした脳を構築したようにみえる。 対照的に、人間を分解し、ミクロの原子へと、自己相似のフラクタルを求めていく、パイコネ変換でいう、パイの折り畳みの変換作業を、無限小へのミクロの叡智の働きといえ、ウロボロスの蛇の尻尾へと向かう低次の欲望の追求、物質欲の支配欲への堕落の微分といえる。 だから、この2つが合わさりつながれ、蛇の頭が尻尾をくわえるように、無限小を無限大が取り込むように循環するのが、創造の形であり、パイコネ変換となるわけである。 人間はウロボロスの蛇が、尻尾を頭でくわえたメビウスの輪になっているわけで、外界で体験した過去を、内面に取り込んだ叡智として存在する生命体なんである。それは、古代叡智の、カドケウスの杖からもわかる。カドケウスの杖は、モーセの杖とも呼ばれ、それは生命の樹から若木をとってつくられたという。 カドケウスの杖図 この図の2つの蛇は、ウロボロスの蛇でもあり、人間の脊柱にある交感神経と副交感神経を象徴化している。 交感副交感神経図 蛇の譲渡図 この蛇の譲渡については、男性と女性の違いを現わしていて、直感的な女性にとって、男性の話が正確だが退屈に感じる、のを意味している。というのは、男性が後から生まれ、太古には両性具有の外見は女性形だったからである。 だから、男性の論理的な脳や、覚醒意識の知的感覚は、後から生まれたもので、夢をみるような、霊的なイメージが直感でやってくる女性の霊能力が失われた代用なんである。人類が肉体をもたなかったときは、女性は男性を兼ねて両性具有だったわけで、だから、いまでも、唯物論に染まらなければ、思考の上では、男女差はない。 だから、リケジョと呼ばれる霊的な直感を失った唯物的な女性研究者が出てきているのは、思考の上では、本来は男女の差がないのがわかる。思考と肉体のバランスがうまくいかないと、どちらにあわせるかで、朝まで生TVのように永遠と自分が正しいと論争を繰り返してしまうわけなんである。 男性系のカインが、女性系のアベルを殺したというのは、現代の物質的傾向を預言するものである。男性系の低レベルな物質的叡智を集めすぎてしまうと、女性系の高レベルな霊的叡智が、それでは整理整頓がつかないと嘆くのは、自然の摂理なんである。 結婚は物欲にはじまるが、離婚せずに、高レベルのお互いの精神を認め合う愛の犠牲に発展させるための、愛の修行である。本当は、精神の上で両性具有となるために、一夫一妻制の結婚が、キリストの名の下の中庸精神を尊ぶために、誓われ、結ばれるのである。 本来の結婚とは、アストラル体の浄化、つまり、聖母マリアの純潔な処女性を回復させ、聖霊を宿らせ、両性具有の霊能力を蘇らせるために、行われるのである。 肉体の結合だけでは、不倫と同じである。倫理はアストラル体、こころの浄化と関わり、誓いは守らなければ生きる意味がない。昨今の巷に氾濫する物質欲亡者には耳が痛い話だが、それなりの地獄に堕ちるのを覚悟すべきであろう。物欲を克服するのはなかなか難儀な修行である。 心の浄化を目指し、水星人となる両性具有の霊的な結婚のために、シュタイナーの人智学的医学を紹介する。 ★ ★ ★ さて、以上のような知見を、霊視で追求していくと、人体の二極性、つまり放射とその抵抗を総じて研究する事になる。この二極性は重要である。 というのも、この二極性において、蛋白質合成の活動は、金属の作用を抑制させ、金属の摂取は、金属の放射を促進させるからである。無論、なかには例外もあり、この例外を手懸かりとして、宇宙のあらゆる側から、人体に働きかけてくる独特な天体の作用の全貌を奥深くまで見通せる。 この全貌を見通すには、既に暗示した事実を更に追求し、個別に適用し、応用して考察できるようにする必要がある。例えば、次のような事例に言及すると良いだろう、 植物の炭素については、以前、植物炭を取り上げ、霊的な観察を行ったが、動物の蛋白質の大半がもつ窒素の成分を、植物がもたない、のに注目すべきである。この窒素成分の欠落が、燃焼に際し、動物がもつ炭素とは異なった関係を生じさせる原因となっている。 更にまた、この差異により、動物の炭素が、例えば、胆汁や粘液、更には脂肪といった生産に関与する傾向をいくらか引き起こしている。この動物炭と植物炭の相違が、人体での、金属と、非金属(蛋白質)の二極性の差異にも導く。 (金属は天体の活動から生じるが、蛋白質は地上の人体の活動から生じる。) さて、この対極的な相互作用に注目すると、重要な事実に到達する。人智学の説明のなかで、人生のなかの周期をしばしば強調してきた。幼児期から歯牙交替期までの期間(約7歳)、それから性的成熟に至るまでの期間(約14歳)、更に、20代初めまで続く第三の期間などである。 これらの周期は、次の様に、人体の内密な出来事と結びつく。 歯牙交替をもって終わる最初期の特徴は、自我を制限し、骨格を強固につくり、分化するために、人体のエーテル活動を集中させる事にある。この期間は、堅固な骨格を外に向けて、歯を送り出す事で終点に達する。 さて、実際はまだ大半が液状の人体のなかで、骨格の形成のように堅固さへの進行が、特に周辺へと向かう活動と関わるのは明白である。そして、この期間と密接に関わる、日常、あまり注意を払わない、2つの物質に注目すべきである。 その2つの物質とは、フッ素とマグネシウムである。それらは非常に薄まった状態で、人体に出現し、この幼児期の、歯の生え変わりまで特別な役割を果たす。 人体の固体(骨格)化を進めるのは、フッ素とマグネシウムによる継続的な相互作用であり、その際、マグネシウムは、放射から、繊維質などを束ね、そのなかへと、石灰質を導き、組織化し、フッ素は、マグネシウムの放射を抑制し、角を削るなどして、彫刻家のように働く。 だから、次のような事実がわかる。 「歯の周囲のセメント質やホウロウ質は、フッ素が彫刻家として働き、その内部は、マグネシウムが造形家として、放射により働く事で出来上がる。」 従って、7歳までの幼児には、マグネシウムとフッ素の供給の間に、釣り合い(均衡)をもたらすのが重要である。この釣り合いがなければ、早期に歯が損なわれてしまうのが、経験から判明するだろう。 是非とも必要なのは、乳歯が生えてすぐ、ホウロウ質の発達が遅れていないか、もしくは、歯全体の成長が矮小化していないか、観察することである。 更に、適した食餌療法によって、両者の均衡(動的平衡)へと結びつくように、フッ素、もしくはマグネシウムの供給により、病気の予防にも気を配るべきである。この両者の均衡によって、人体全体の形成が直接見通せるようになる。 この最初の数年間、人体は、外界の一部に他ならず、その物質の構成に従って、外的環境の性質が究めて強くなるが、その中心には、このマグネシウムとフッ素の相互作用がある。 この時期の人体は、外界からフッ素を摂取する事で、外の金属の放射に抵抗する。 (この時期にフッ素を摂りすぎると、自然の力に抵抗しすぎ、あまりに賢くなりすぎて、逆に歯を損失するという。歯はフッ素を吸収するので、摂りすぎないために、歯を損じるという。フッ素の取り過ぎもよくない。マグネシウムとの均衡を考えるべきである。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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