篤姫 総集編の見どころ------楽天
○--- 波乱に満ちた篤姫の物語は,終わりました。回を追うごとに視聴率は上昇。関東地区では年間平均24.5%,第48回は29.2%を記録しました。ドラマでの篤姫は,徳川幕府300年の歴史の中で凝り固まった価値観,身動きができない人の固定観念を見事なほどに解きほぐしていきました。
▼ 慶喜VS家茂の跡目争いに勝利した井伊直弼は,開国派を激しく弾圧。篤姫には,「井伊直弼=悪いやつ」情報がもたらされます。
そこで篤姫が取った行動は,井伊直弼に会って直接本心を聞くというものでした。そして分かったことは,彼の本心は「ひたすら国を守るのが自らの役目」ということ。つまり,彼はいい人だったのです。
このシーンは身につまされました。先入観,既成概念できめつけていることが,これまでの自分にはなんと多かったことか。
問題解決に当たり,固定観念,既成概念にこだわらず,本質を追究すると篤姫の姿勢は,まさに時代の転換期において効力を発揮するやり方でありましょう。
篤姫のこの行動は,母からの教え,
「己の役割を果たすこと」
「一方を聞いて沙汰(さた)をするな」
「考えても答えが出なければ,感じるままにせよ」
にありました。
▼ 篤姫は,天保6(1835)年,今和泉島津家の島津忠剛の娘として,鹿児島城下(現在の鹿児島市大竜町)に生まれる。嘉永6(1853)年,島津斉彬(なりあきら)の養女となり島津家本家に入り,名を篤姫と改めた。安政3(1856)年,13代将軍徳川家定の正室(御台所)となるが,家定は嫁いでから約1年半後の安政5(1858)年に死去。篤姫は23歳の若さで落飾(らくしょう・仏門に入る)して「天璋院(てんしょういん)」と号す。
以来,幕末の動乱期に婚家の徳川家を守るなど,江戸城無血開城にも大きな役割を果たす。明治(1883)年48歳で死去,上野寛永寺に葬られる。