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テーマ:ニュース(99487)
カテゴリ:マスコミ
こうした話題を取り上げること自体、マスコミの笛に踊っているのかもしれないけど、今回の亀田騒動と称する騒ぎをみていると、何年か前にあった某プロ野球監督夫人に対するバッシング騒ぎを思い出す。次のような点がよく似ていると思わないだろうか。
その人物を「嫌い」という人はいるだろうけど別に犯罪を行ったとかいうわけではない。 ある時期まではもちあげていたマスコミが突然批判一色になる。 その批判騒ぎでワイドショーや週刊誌のネタを一定期間もたせる。 なぜ公人でもないその人物の言動をそんなに大きく報道するのかという疑問には誰も答えない。 あ、もう一つ共通点がある。 これがもし本当に人に危害を加えた人物、例えば元少年犯罪者などだったら、マスコミがバッシングどころか触れでもしただけで、人権屋さん達がどっと群がってくるだろう。ところがこうした理由のわからないバッシングに対しては人権屋さん達の動きもなぜか鈍い。 まあ、亀田一家にしても某プロ野球監督夫人にしても、一応有名人で本人もマスコミを利用していたという面では同情の余地は少ないのかもしれないけど…それにしてもいっせいにもちあげ、いっせいに叩くマスコミというのはやはり怖い。 ※※ 新聞で本の広告をみていたら、この間の愛知県でおきた女性拉致殺害事件を下流層の暴走と分析した本もでているようである。昨今の格差拡大は単なる経済問題だけではなく、日本社会を質的にも変えている。あの女性拉致殺害事件の犯人達はいずれも定職がなく経済的に困窮していた中年者で、一人は車中に寝泊りしていたいわゆる車中ホームレスであった。介護殺人などと同様こうした事件も今後の日本では確実に増えていくだろう。そしてこれは犯人達の出会いのきっかけとなった闇サイトを規制しようがしまいがあまり関係はない。だからこの事件、マスコミが名づけるように「闇サイト殺人事件」ではなく「格差社会殺人事件」としたいところだが、それも犯人達を免罪するみたいでまずいのだろう。 思うに、日本社会では、様々な紐帯が個人を規制し、社会をなりたたせてきた。家族や親族に迷惑がかかるなどもその一つだろうし、会社を辞めなければならなくなる、世間様(多くは狭いムラや地域であるが)に後ろ指をさされる、ご近所に顔向けができないというのもそうである。昔の学者はこれを「恥の文化」と称して日本人の特質とした。ところが今激増しているのはそうした紐帯をもたず、夢も希望もない貧困者達である。 こんな中で良好な治安を維持していこうとしたら厳罰化だってやむをえない。いや、それどころかそのうち江戸時代みたいな公開処刑だって導入しなければいけなくなってしまうのではないか。 (公開処刑というのは決して荒唐無稽な話ではなく、米国でもオクラホマテロ殺人犯の処刑シーンをテレビで流したそうである。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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