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テーマ:政治について(19800)
カテゴリ:マスコミ
映画靖国に出演した刀匠の方が出演は本意ではなかったとか言っているそうである。
しかし刀匠のところには国会議員が接触しており、本意ではなかったと言い出したのはその後のことである。 なにか脅しとか圧力とかといった陰湿なものを感じてしまうのは小生だけだろうか。 国会議員だけの事前試写を行った議員といい、出演者に接触して「出演は本意ではない」発言を引き出した議員といい、国会議員がこんな言論封殺のような行為に加担してよいのだろうか。 動いているのが、こわもての男性議員ではなくタレント的な女性議員だからといって、背景にある脅しの構図はなんら変わっていないと思う…。 ※ この靖国映画の騒動でなんとも不気味なのは、こうまでして映画公開をいやがる勢力の正体とそのいやがっている理由というのがさっぱりわからないことである。 ある人は中国人監督であることが問題だというのだが、監督の国籍と映画の内容は別ではないかという反論だってなりたつ。 また、事前試写を申し入れた女性議員は「かたよったメッセージを感じた」というが、そのかたよったメッセージとは何であったかという点については何も語っていない。 どんな映画で何が問題かが、実は一般人にはさっぱりみえないままに、映画館が上映を中止し、国会議員の接触を受けた出演者自身の否定的なコメントがきこえてくるあたりに、たまらなく不気味なものを感じる。 日本は本当に民主国家なのだろうか。 ※ 問題は映画だけではない。 一般人がようやく手にいれた「言論の自由」、つまりネット空間の自由だって案外危機に瀕しているのかもしれない。 最近特にかまびすしくなったネット上の有害情報の規制の議論である。 闇サイト、同伴自殺、自殺情報の入手など、何か事件が起きると、マスコミは必ず「ネット上の野放しの情報」は犯罪の温床であるかのようなイメージをあおり、ネット規制の方向に世論を誘導しようとする。 そしてマスコミ自らが行っている巨大な人権侵害には頬かむりで、規制の議論がでようものなら、すぐに「自分達は巨悪を追求している」とか「権力と戦っている」とかとのたまう。 先日、沖縄で暴行被害にあった少女が告訴を取り下げたのも自宅にまで押し寄せてくるマスコミの取材に恐怖を感じたからなのだろうが、新聞報道だけをみるとまるで「ネット上の中傷」が原因であるかのような書きぶりだ。 青少年の保護とか人権擁護とかといった耳障りのいい名目でネット上の言論が規制されるような自体だけはごめんこうむりたい。 もし、web日記で、子供が運動会で一等になったとか、庭に柿の実がなったとかいった愚にもつかぬことしか書けなくなったら、web日記をやめるしかない。 ※※ あの連合赤軍事件が映画化されるという。 これにかぎらず映画やドラマ化された事件というのは多い。 大久保清連続女性殺人事件もビートたけし主演で映画化されているし、三浦和義の事件も「疑惑の男」という題でテレビドラマ化された。 そうだとしたらオウム事件はなぜ映画やドラマにならないのだろうか。 あれくらい途方もなく戯画的な事件はないと思うのだが…。 で、麻原の役はオダギリジョーとブッチー武者のダブルキャストではどうだろうか。 信者にはオダギリジョーに見えて、それ以外の人にはブッチー武者に見えるという趣向である。麻原をモデルにしたとしか思えない最近のオダギリジョーさんのロン毛スタイルをみながら、きっと信者にとっては麻原もこんな風に見えたのだろうなとついつい想像をしてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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